宇宙の怪異に戦慄されたし

先週?もっと前か?

ブログで書こう書こうと思って、そのままになってたやつ。

 

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物理学者、寺田寅彦のエッセイ!

今思い出して、「あ、魚座だな…」って思ったの。

 

世界は怪異が満ちている。

それを昔の人は「化け物の仕業だ」と言ったけど、その化け物は今ほとんどいなくなった。科学の名のもとに。

 

でも実際は、不思議な現象をする化け物の存在は、科学の用語に名前を変えただけなんだけど。

 

あらゆる化け物に関する貴重な「事実」をすべて迷信という言葉で抹殺まっさつする事がすなわち科学の目的であり手がらででもあるかのような誤解を生ずるようになった。

これこそ「科学に対する迷信」でなくて何であろう。 科学の目的は実に化け物を捜し出す事なのである。 この世界がいかに多くの化け物によって満たされているかを教える事である。

 

なにもかも、説明可能だと思い込んでいるんだとしたら、それこそ迷信だ、と寺田は言う。

 

化け物がないと思うのはかえってほんとうの迷信である。 宇宙は永久に怪異に満ちている。

あらゆる科学の書物は百鬼夜行絵巻物である。 それをひもといてその怪異に戦慄せんりつする心持ちがなくなれば、もう科学は死んでしまうのである。

 

現実と夢想のメリーゴーランド🎠

 

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追記、♍×♓ライン。

必然と偶然、コントロール外にあるものなのかコントローラブルなものなのか。

 

もひとつ別の視点。

現実と夢想。

 

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夢想世界、架空の物語、フィクション(虚構)は、「非」現実と名付けられるように、現実がまずあって、現実じゃないそれ以外のもの、って捉えられる。

名前のない植物、とくに(現時点で)役に立たないと判断されるものをひとまとめに『雑草』とくくるように。

 

今目の前にあるもの、判断可能なもの、操作の対象内にあるもの♍と、それ以外♓。

 

↑の記事で取り上げたボルヘスの世界観って、♍×♓のスパイラルだね!!夢の中にある現実と、その現実が見ている夢……

どっちが本体、どっちが真実かってことじゃなくて。

向こうからしたらこっちは彼岸であちらは此岸、こっちからすればあっちが彼岸でこちらが此岸。

 

此岸と彼岸を渡る手前の、あちらとこちらの応答。

応答、し続けるライン。

 

 

そこに日常があり、日常が非日常を生み出す。

その非日常の中から、日常が生まれる。

 

 

オポジションは「対抗」してるんじゃなくて「対向」してるだけ

対向サイン、というと「対立」したふたつの視点のように聞えちゃうけど、そうじゃないよねってハナシ。

 

屋根と床は相対して配置されておりますが、反発しあってるわけじゃない。

ひっくり返せばその役割は交代できるもの。

 

牡羊座ワタシ×♎天秤座アナタ

の関係がわかりやすいかな?

ひっくりかえせば、アナタからみれば、ワタシはアナタで、アナタがワタシ。

 

あんた、誰?

ユー(中国語の名前)。

いや、オレじゃなくて、アンタ(youユー)に聞いてんだ

そうだ、ワタシはユーだ

耳聞こえないのか?

いいや、ユーは盲目だ

オレは盲目なんかじゃねえ、アンタが盲目なんだろ

だからそう言ったではないか

 

このネタめっちゃ笑う(笑)

 

じゃあ、♍×♓でも例を挙げてみようか?

♍は働き。コントロール可能領域に働きかけること。

♓は受容。コントロール外の影響を受けること。

 

相容れないようで、そのまなざしはバチッと合う。

……あ、さっき書いたスピノザ九鬼周造じゃん!!

 

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「必然的世界の中で最大限に自分を動かすこと」を自由と呼んだスピノザ

コントロール外の世界を受容♓したうえで、可動領域に働きかける♍。

 

九鬼周造は、偶然性のあわい♓の中に、選択の余地♍がある、とみた。♓の中の♍、♍の中の♓。

 

心の持久力

youtu.be

 

私はこのMBTI診断っての、SNSの自己紹介で見かけたことあるな〜くらいの認識なんだけども。

占星術だって、一緒だよね(笑)

 

カテゴライズして、思考停止。

最初から特定の「設定」があることで、相手(自分)のことをわかった気分になれるから。それはよくわからないという不安、不快感を弱めてくれる。

 

わからないけども、わかりたい。

その「わかりたい(わからない)」姿勢を維持できるかどうかってのが、対人関係の器なのかも。

 

すぐにわかること、わかったと思うこと、それは傲慢な決めつけ。

宙ぶらりんな「わからない」に耐えきれない短絡さ。

わかった状態でいたいっていうコントロール欲求の強さ。

 

短絡さが、多数派になる恐ろしさ。

それは「悪」を生む。

「裏で操る悪いやつ」っていう、あんまり複雑に考えなくて済む思想に飛びつく。

だから私、陰謀論ってイヤなんだよね。

どれだけ情報をあちこちで漁ってたとしても、それは「考えてる」わけじゃなくて、むしろ考える不安から必死に目を逸らしているようなもんだから。考えなくて済むように気を紛らわせてる。

 

不安な人は、コントロール欲求が強くて、占いが好き。

占い好きな人が陰謀論にハマりやすいって統計があるけど、そこで繋がってるんだろうね。

 

私も気をつけないとね〜

やっぱり疲れてると、占いに頼ったり、わかりやすい答えが欲しくなるじゃない?

それって、心の持久力がなくなってるからなんだろうね。脳が疲労してたり。

 

元気なときも占い好きだけどね!

そういうときは、答えを求めちゃいない。むしろもっともっと、頭に負荷をかける(考える)問いを楽しめるとき。

知性と感性が手を取り合うその先、境界線に向かって

ことばが思考の着物ではなくて、思考の肉体であるとは、私たちが思い、考える場合に概念と論理だけによるのではなく、イメージと想像力にもよるのだ、ということである。

中村雄二郎『哲学の現在』Ⅰ・3

 

乙女座的「知」のシーズンにぴったりのメッセージ、ふたたび!

 

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ここから流れ着いたんだけどね↓

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いま読んでる、おもしろすぎるこの本から

 

「レトリックなんて、ことばを飾る衣装にすぎぬでしょう」って意見にボコボコ気持ちいいジャブで殴り付けてきてくれる。

「ことばのあや」「レトリック」に、私は乙女座臭(ひじょーに個人的な理由で)を感じているよ。

 

そいで冒頭の引用。

ことばは思考の衣装じゃなくて、肉体そのもの。

考えるってのは、「論理」を組み合わせてるだけじゃないんだよってはなし。そこには「イメージ、感性、想像力」もある

 

ほら水星の乙女座は、その裏側を魚座が支えている。

魚座の想像力と乙女座の知性は、手を取りあう一対の世界。

 

中村雄二郎氏からの引用文で、乙女座×魚座のラインが思い浮かんだから、書きたくなったの。

知性と感性が手を取り合うその先、魚座から牡羊座へのAsc、乙女座から天秤座へのDsc。あの世からこの世へ、この世からあの世へ。ふたつの世界を結ぶ力の先に見える境界線。

 

世界の輪郭が、そこにある。

ルルスの円盤

「ルルスの円盤(Lullian Circle)」は、レイモン・リュル(Raymond Lull、ラテン語名でRamon Llull)によって13世紀に考案された、哲学的・神学的なアイデアを視覚的に整理・表現するためのツールです。

 

この円盤は、リュルの著作『アルス・マグナ(Ars Magna、偉大なる術)』において中心的な役割を果たしています。

**アルス・マグナ**は、中世の知識を体系化し、論理的な推論を通じて神学や哲学の問いに答えるための方法論です。

 

ルルスの円盤は、複数の同心円や回転する円盤によって構成されており、これを使ってさまざまな概念の組み合わせを生成し、論理的な結論を導くための助けとなります。

 

リュルのアイデアは、近代の論理学やコンピュータサイエンスにおける組合せ論やアルゴリズムの発展にも影響を与えたとされています。彼の方法は、抽象的な思考を視覚的に表現するための最初の試みの一つとして評価されています。

 

それって、言語生成AIみたいだね。

 

はい、「ルルスの円盤」のアイデアは、ある意味で言語生成AIと関連しています。

 

**ルルスの円盤(Lullian Circle)**は、概念やアイデアの組み合わせを生成し、それらを使って新しい知識を得たり論理的な推論を行うためのツールです。この方法論は、要素の組み合わせをシステマティックに生成する点で、AIが行う言語生成の基本的な考え方と共通しています。

 

### 関連性のポイント

1. **組み合わせと生成**:

   - ルルスの円盤は、複数の要素(概念、属性、関係など)を組み合わせることで新しい意味や知識を創り出すことを目的としています。これは、現代のAIモデルが自然言語処理において単語やフレーズの組み合わせを利用して、文章や会話の生成を行う仕組みと似ています。

 

2. **推論と論理的結論**:

   - AIと言語生成では、文脈に基づいて意味を持つ応答を生成するための推論能力が求められます。ルルスの円盤も同様に、既存の情報をもとに論理的な結論を導き出すことを目指しており、推論過程での類似性が見られます。

 

3. **組合せ論とアルゴリズム**:

   - ルルスの円盤は、中世における組合せ論的思考の先駆けであり、組合せ的手法によって新しい概念やアイデアを生成しようとしました。この考え方は、現代のAIが使用するアルゴリズム(特に機械学習や生成モデル)において、データの組み合わせやパターンを見つけるという点で共通しています。

 

### 相違点

ただし、現代の言語生成AIは、より高度な統計的手法や機械学習技術(特に深層学習)を用いて、大規模なデータセットからパターンを学習し、人間にとって自然な言語を生成します。

一方、ルルスの円盤は、数理的・哲学的な原理に基づく抽象的で論理的な組合せ手法です。そのため、AIのような「学習」プロセスは持っていません。

 

### 結論

まとめると、ルルスの円盤のアイディアは、組み合わせによる生成という点で言語生成AIと関連していますが、その実装方法や技術的背景は大きく異なります。それでも、両者が「新しいアイデアや結論を生み出すためのシステム」であるという共通点を持っています。

 

複数の要素(概念、属性、関係など)を組み合わせることで新しい意味や知識を創り出す…

それって、占星術じゃん。

見た目がホロスコープっぽいなって思って惹かれたんだけど、やっぱり占星術とも関連してるのかな。

 

「ルルスの円盤(Lullian Circle)」そのものは、直接的には占星術と関連していません。ただし、レイモン・リュル(Raymond Lull)が活動していた時代の思想や背景を考えると、間接的に占星術とつながりがあると言えます。

 

### 間接的な関連性

1. **中世の思想背景**:
   レイモン・リュルが活躍した13世紀は、占星術錬金術カバラなど、様々な神秘学的・象徴的な思想が西洋で広がりを見せていた時代です。この時期、占星術は科学的な学問と見なされており、哲学や神学と密接に関係していました。

リュルの「アルス・マグナ(Ars Magna)」のようなシステムも、広義の知識の体系化の一環として、こうした神秘的な学問に影響を受けていた可能性があります。

 

2. **象徴と組合せ論の関連**:
   リュルの円盤は、様々な概念を組み合わせることで知識を生成しようとするもので、占星術もまた、星の配置や象徴の組み合わせによって個人の運命や性格を解釈する学問です。

組み合わせの論理という面では、類似点が見られますが、占星術が星の運行や天体の影響を重要視するのに対し、リュルの円盤は純粋に論理的な結合と推論に基づいています。

 

3. **カバラ神秘主義とのつながり**:
   レイモン・リュルはキリスト教神学を基盤にしていましたが、同時代の神秘主義カバラの思想からも影響を受けたとされています。カバラもまた、占星術と関連が深い神秘的な学問の一つであり、そのシンボルや数秘術的なアプローチがリュルの円盤のコンセプトと共通する点があると考えられます。

 

### 結論

まとめると、「ルルスの円盤」は直接的には占星術と関連していませんが、中世の神秘主義的な背景や象徴・組合せ論の方法論から見ると、占星術と間接的に関係があると言えます。

リュルの円盤が占星術的な象徴やシンボルを活用しているわけではありませんが、同じ時代の知的風潮の中で共通のテーマや考え方を共有している部分があるのは事実です。

 

うんうん、だよね。

占星術と言語生成AIの意外な接点?を感じてなんだか面白かったよ。

おやすみ!

 

明るく晴れた空の、晴れているがゆえの謎めき

9月になったね!

8月に読んだ本のメモ、まずはこれを書いてしまわないと!!

 

あした死ぬ幸福の王子/飲茶

飲茶さんといえば、史上最強哲学シリーズ!プロレス観戦するように、爆笑しながら哲人たちの思想に触れられるアレ。

 

 

幸福の王子』はストーリー形式で、難解なハイデガー哲学を説明してくれる本でした。幸福な王子は有名な童話だけど、この物語の「前世」がメインストーリー。

 

 

物語そのものに関しては・・・

「これを教えよう、伝えよう」って目的ありきのストーリーは私あんまり楽しめないんだなってことがわかった(;^ω^)ストーリーはおいといて、ハイデガー哲学は興味深い!

 

死を意識することでようようやっと、「有限のいのち」の大切さに向き合えるんだよなって方向で・・・じゃあ、その有限のいのちの、何に価値(意味)を見い出せばいいの?ってことに眼を向けさせてくれる。

 

大前提の感覚として「自分が死んだあとも、何も変わらず続く世界に対する恐怖」があるんだけど。。。これは、ニンゲン一般的な感覚なのかな?私はこのそもそもの感覚が、わかんないから、想像しながら読むしかなかった。それこそ死期がせまるとわかるもんなのかもしれない。

 

もし死に直面して、私が怖いのは・・・

物理的な痛みとか、苦しみ。しんどいの、いや。。。

あと、息子たちの悲しみを想像すると心臓が苦しい。

その後の夫の苦労とか。

 

私自身の存在の意義とか、人生の意味、なんのために生きてきたんだろう、みたいな絶望は、いまのところ、全く想像できない。むしろ、え、そこが気になるの????って思った。

ちなみに生きている今も、そういう「私の使命!」「このいのちの意味!」みたいなものに興味ないからかもしれない。(なくてもそれなりに楽しいし、胸いっぱいの愛おしさとか生命への感謝は感じられるよ)

それは現段階の私の視野の狭さゆえなのかも。

 

キーワードその1「道具」

さて、ハイデガー哲学。

「私の存在」と「私以外の存在」の関わり方、世界の成り立ちを「道具」という視点で整理されてるのが、おもしろかったな!

 

私にとって、私以外の存在はみんな「道具」的存在。なにかしらの目的、意味をもって、カテゴライズされるもの。モノのカテゴリーだけじゃなくて、人間関係のカテゴリー、自然環境も含めて。

自分が世界をどうカテゴライズしているのか?どんな分類で見ているのか?が、世界を組み立てる。

 

世界ってのは、

見えるもの、聞こえるもの、触れるものといった五感で受け取ったモノゴトの集まりなんじゃなくて・・・

それを自分目線でカテゴライズした「道具体系」の組み合わせで、成り立ってるってこと。

 

牡羊座がワタシの存在だとすると、

牡牛座で経由する五感認識はまだワタシの世界にまで至ってなくて

双子座で道具としての使い道(いろんな存在の自分にとっての意味、分類)を知ることで、やっと「世界」が出来上がるんだね!

 

ココで言う世界ってのは、自分にとっての外部。

自分を含む、ひとつの場。

 

牡牛座的能力が発達して、双子座段階で世界が構築される、とも言えるし、

双子座で世界を発見するための能力として牡牛座的能力が発達する、とも言える。

 

そんでもって、双子座で自分⇔世界(自分の外部)を学ぶことで生じる「勘違い」について。これが重要。

 

自分にとって世界が、なにかしら「特定の意味や役割」を持つ道具としてカテゴライズするものってことは、自分もまた世界にとって道具的存在なんだって感覚。それは意味ありき、役割ありきの存在。

存在そのものに注目しているんじゃなくて、その役割が世界のピースとして存在を認められている状態。

 

だから、世界のピースとして存在しようと必死になる。

交換可能な自分の存在価値に、むなしくなる。

 

このストーリーでは死に直面することで、「ワタシのいのちの意味はなんだったんだ」と絶望する王子が主人公なんだけど。その「意味を問う」ことこそが、生きるうえでダイジなんだぞってハイデガーは言う。だから、死は、大切な問いを思い出させてくれる最強の手段。

 

確かに世界は、ワタシ×道具体系でできている。

でもワタシ自身は、(他のワタシから見ればその人の道具であっても)道具じゃなくて、唯一無二のワタシなんだよ。

 

ワタシを道具(何かしらの役割、意味)として見る世間の視線に合わせて自分を見るのは、世界の中心であるワタシのとるべき生き方じゃあ、ない。

道具としての自分の存在意義を求めることなかれ

 

ワタシはナニモノ?

という問いを、ワタシという存在の意味、存在、可能性に関する問いを自分に向けることができることこそが、ニンゲンという存在なんだから。ニンゲンらしく生きようぜ。

 

ワタシにとって世界は道具、世界にとってワタシは道具。

なにかしらの役割、意味、使い道、求められる立ち位置が設定される。

でもワタシにとってワタシは、ワタシでしかありえない。

それは誰かが決めた道具としてのワタシじゃなくって。

ワタシが決めるワタシなの。

 

キーワードその2「有限性」

人間は有限、いのちには始まりと終りがある。

無限で万能の存在じゃないわけで、できないことが必ずある。無力感を感じることがある。その無力感を、この本では「負い目」と表現する。

 

有限だからこそ生まれる負い目。その負い目があるからこそ、「良心」が生まれる。ハイデガーは、この負い目(良心の呼び声)に目を向けることを重要視する

負い目に向き合うこと、自分の有限性(有限性の究極のカタチは「死」だね)に向き合うことは、良心の呼び声に耳を傾けるってこと。

 

有限性を自覚する、自分の無力さを認める。

人は無限で万能の存在じゃない。だから、成功と失敗がある。ヨシアシ、価値判断が生まれる。完全に万能無限の世界には、イイもワルイも存在しようがないでしょう。

 

永遠に終わらないゲームに勝ちも負けも引き分けという結末もないように、喜びも後悔もそこにはない。

 

有限性の自覚ってのは、乙女座的だと思わないかい!

無力さという有限性があるからこそ、そのなかに「効率」とか「能力」があるわけでしょ。

道具として存在する世界(世界を道具として扱う、まさに乙女座的)の中で、その有限性の中で、できる限りの行動をする。価値を実践する。

 

ニンゲンの4大無力ポイント

①過去・・・生まれる、この世界に投げ出されること

どこに、どんなふうに、ナニモノとして生まれるのか?は自分がコントロールできることじゃない。(んまぁ、スピリチュアルな文脈ではこれも自分で決めたって言う人が多いけど・・・)

 

②未来・・・可能性をひとつに絞らないといけない、その全てを手にすることはできない

 

③今・・・目の前のことにいそがしい(笑)

やらんといかんこと、求められること、たくさんあるよねぇ

 

④他者・・・自分の外部の存在は、自分のコントロール

右手をあげるがごとく、他者を自由自在に動かせるわけじゃないからね。

 

彼ら(ニンゲン)はー気付いたらこの世界に放り出され、そして死ぬことが運命づけられ、何が正しいかもわからないまま、自分だけの固有の在り方を問いかけ、他と関わりながら、今ココに現に生きている存在ーである

 

で、その無力ポイントにどう向き合う?

それが生きるってことだよ。

 

過去、投げ込まれて始まったこの命。

そこにオリジナリティ、ワタシならではの過去(つまり宿命)がある。

未来、全てを展開することは不可能。

そこにオリジナルの選択、ワタシならではの未来がある。

 

その人ならではの過去と、その人ならではの未来・・・その先にある結果がなんであれ、そうやって生きるのならそれがその人の正解なんだってハイデガーは言う。

 

蟹座と山羊座の軸だね。

そこに、ワタシ×世界という存在のやりとり(牡羊座×天秤座)がクロスする。

 

生きる意味、ワタシという存在の固有の価値、その答えは死ぬまでわからない。というか、死んでしまったらそれを「経験」するワタシがいないから、ワタシ自身が知りようがない。

答えにはたどり着くことは不可能。

そうだとしても、問いに向き合い続けるしかない。

 

絶対にゴールにたどり着けないとわかっていながら、その道を歩き続ける・・・到達できないと分かっていながらも追いかけ続けるしかできない「無限の反省」。

そのことを絶望的に捉える人もいるかもしれないけど、私は前の記事で引用したような千葉せんせのイメージが好きだな。

 

我々を闇に引き込み続ける謎ではない、

明るく晴れた空の、晴れているがゆえの謎めきです

 

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だって、追いかけることそのものが楽しいんだもの。

 

親王はなにかを求めて、ひたすら足をうごかしていた。

なにを求めているのか、なにをさがしているのか、自分でもよく分らないようなところがあった。そしてつらつら考えてみると、自分の一生はどうやら、このなにかを求めて足をうごかしていることの連続のような気がしないでもなかった。

 

どこまで行ったら終るのか。なにを見つけたら最後の満足をうるのか。しかしそう思いながらも、その一方では、自分の求めているもの、さがしているものはすべて、あらかじめ分っているような気がするのも事実であった。

 

なにが見つかっても、少しもおどろきはしなかろうという気持ちが自分にあり、やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした。

 

 

わたし、昔の装丁絵↓のほうが好きなんだけどな。。。