元々の知識がない分、情報量が多すぎて頭の整理が追い付いていないから、
まずはちょっと今までのミステリーツアー航路を振り返ってみる。
占星術の起源は天体(星)信仰
シルクロードを通ってミトラ教、道教、仏教と融合しつつ日本の神道にも組み込まれた。北極星、またはシリウスを神格化して宗教化したもの。祀りごと、祭りごと、政(全部マツリゴト)とあるように、信仰・民俗文化・政治が一体化していた時代、天文学(=占星術)はかなり重要なポジションを占めていた。
元々の占星術は、「金運は?」とか「結婚運は?」とかそういうウラナイとは違う。天体の運行=暦を知ることは、生きていくために必要不可欠だった。
ネイティブ・アメリカン(インディアン)の言う「サムシング・グレート」のように、自然の中になんかすげぇチカラをより強く感じて、畏れ敬っていた時代。
日本の占星術に関わる重要人物
星信仰の流れを組む密教、妙見信仰で存在感がデカいのが空海(弘法大師)と秦一族。弘法大師は日本各地に伝説を残した平安初期のお坊さん。秦氏は古代日本の建国に活躍した、出自が謎に包まれている一族。百済王朝から亡命してきた、とかユダヤ人をルーツに持つ、とか諸説アリ。彼らのご先祖様がどこから来たにしても、優れた技術や知識を持つ一族であったことに間違いない。
秦氏と神功皇后伝説
秦一族が渡来してきたのが応神天皇の時代だと記録がある。応神天皇は神功皇后の息子。応神天皇を妊娠中に、亡くなった夫(仲哀天皇)の仕事を引き継ぎ海を渡って戦争史に行ったなんて逸話もあるくらいパワフルな伝説の女傑。すさまじい伝説が多いもんだから、「フィクションでしょ?」って声も多い。
シャーマン(=呪術師)チックな伝説が多いことから、神功皇后は邪馬台国の卑弥呼のことなんじゃないか?って説もある。神託を受けて政治を動かす力を持った女性、という共通点で。
伝説は尾びれ背びれがついているだろうけど、神功皇后と秦一族が接点を持っていてもおかしくない。神功皇后の家来で愛人(応神天皇のパパ説もある・・・)の武内宿禰が秦一族の末裔なんてハナシもあるくらいだし。
長崎にもいたるところに神功皇后伝説がある。
神の島、神崎、皇后島、高鉾島・・・地名の由来が皇后伝説なんだって。
九州に縁のある秦氏
渡来人として日本にやってきたのが九州北部。そこから東にも勢力を伸ばしたと考えられている。全国各地にある八幡系の神社の起源は大分県のUSA、宇佐神宮らしい。新元号「令和」で一躍有名になった坂本八幡神社も、ルーツは秦氏ってことになる。
神功皇后=卑弥呼説と、邪馬台国=九州説でいくなら、がっつり秦氏&神功皇后が九州に絡んでくる。
秦氏と星信仰
秦氏が大切にした信仰が、妙見信仰と呼ばれる星・宇宙・天体を神格化したもの。妙見と秦氏がどっからどう繋がってきたのかワカンナイんだけど、とにかくセットで登場するこのキーワード。
シルクロードにも関わってるし、ルーツがユダヤ人って説もあるし、航海に関わりが深いから星を見上げて何かを感じるのは大いにありえる。まぁそういうもんだろうと思って先に進む。
秦氏と稲荷神
八幡さんは日本で二番目に多いとされる超メジャー神社。ナンバーワンはどこかっていうと、コンコンきつねのお稲荷さん。なんと、稲荷神社のルーツも秦氏だってから、驚き。
イナリのラテン語表記はINRI。このINRI(イナリ)の漢字当て字を考えたのが弘法大師・空海さんなんだとか!!中国密教のダキニ天という仏教系の神様を、日本で稲荷神として祀ったのも空海さん。
稲荷の表記がINRIなのはキリスト教ルーツなんじゃないかって説もある。INRIはラテン語で「ユダヤの王、ナザレのイエス」の略語として十字架に書かれているから。八幡(=ヤハタ)もヤハウェ(=ユダヤ教)に関連付けられる説もあり。
シルクロードでいろいろ混ぜ込んできてるから、それもアリかもしれないな~
INRIはイスラム世界で(何語をソースにして言ってるのかワカランけど)「光を発するもの」という意味だって言ってる人もいる。
(暗闇で)光を発する・・・星!そして、火。お稲荷さんの紋は火炎宝珠。スライムみたいなカタチの宝珠が炎に包まれている。火を神聖視する宗教と言えば、古代ペルシャのゾロアスター教(拝火教)。
シルクロードの拠点であるペルシャで信仰された星を尊ぶミトラ教、火を尊ぶゾロアスター教。どちらもキリスト教・ユダヤ教・ヒンドゥー教に影響を与えた古代信仰だから、遠く東の果て日本にも繋がってくるんだろうね!
でも私は「ここで祀っている神様の正体はXX教の◎◎だ!」ってハナシには興味ない。宗教は人間が都合に合わせて言葉で定義するルールでしかないと思っているので。
信仰対象の源泉・・・人が何に心を震わせて、何を願って、結果としてどんなカタチが残っているのか。それがオモシロイと思っているので。何教でも何信仰でもいいんです。結局繋がってるから。
弘法大使(空海)と星信仰
もう一人の重要人物、空海さん。真言宗、密教といった仏教系の人だけど、星信仰も大いに関係がある。密教の秘儀、宿曜道は東洋の占星術だし、北極星を神格化した妙見菩薩は密教の仏様でもある。
長崎の香焼という地名は、空海さんがお香を焼いた伝説から来てるらしい。それから岩屋山、稲佐山にも立ち寄ったんだとか・・・。実はこのお山も星信仰に大いに関係ありそうなキーワードが繋がってくる。
「稲佐(イナサ)」という地名の謎
稲佐山、そしてイナサという地名について。
イナサで検索しても稲佐が出てこないことから、語源を調べたという人のブログが面白かった。
古代九州に1つの連合国ができ上がった。
大陸の国はその国を「倭」とよんだ。
連合国の名を「邪馬壱国」という。
そして大陸からも、さまざまな人々が九州に移り住んできた。
朝鮮大陸の「百済」から、ある部族集団が一人の姫をつれて、長崎の地に流れついた。
王族の内紛であろうか、それとも、国を追われてであろうか。
彼等は、矢を巧みにあやつる。
(吉野ヶ里遺跡の守りにつく兵士)
のちに「倭」の人々は、彼等を「イナサ」と呼んだ。
「早き矢を射る者」という意味であった。
言葉は広がり、嵐の風を「いなさ」と呼ぶ人々もいた。
姫は故郷の祖先を神として祭り、海岸に社をかまえた。
「日本」になる前、倭の国々の時代。九州土着の民(邪馬台国の勢力)VS天皇国のルーツ( 大和)があった。そこまでは史実でも「隼人、蝦夷、土蜘蛛」の討伐として出てくるおはなし。
結果的に私たち日本人は教科書で学んだように天皇家の歴史を生きてるわけだけど。歴史は戦争の勝者の歴史。敗者の歴史は闇に消える。どっちが正義でどっちが悪だとかは思わないけど。
でも・・・一生懸命生きて、強い思いとか夢とか、たくさんのたくさんの人の人生が全部なかったことにされて、それどころか塗り替えられて見下されているんだとしたら・・・それはちょっと悔しい気がする。
もし邪馬台国のヒメ、卑弥呼が神功皇后だったとしたら。共に国を統べていた勢力(愛人?笑)が秦一族だったとしたら。日本各地にある八幡さん、稲荷さんからわかるように、歴史の表社会ではなく舞台裏、精神的な部分でその思いは引き継がれているのかもしれない。
歴史ミステリーって、ロマンだね~~~~
さてイナサの話に戻る。
「稲佐」で出てくるのは島根県出雲市にある稲佐の浜。そうそう、関東に住むお友達のブログで見て「イナサだ~」って思ったのがキッカケでちょっと引っかかってたんだよね。
写真にあるのが弁天島。弁天、弁財天・・・これもキーワードで後から登場するキーワード。
国譲りの神話の舞台なんだとか。この神話に出てくる登場人物(神物?)もまた、このミステリーツアーに後々登場しそう。これまた近所の謎の神社で出会ったキーワードとリンクしてて。
出雲、そして神話と言えばやっぱり出雲大社。先週美容院で「出雲大社いったほうがいいですよ」と勧められたから、もしやと思ったらやっぱり繋がってきた。
出雲大社の紋はどんなモンじゃろ?と思って調べてみると、びっくりぎょうてん!
六角形に剣花菱・・・?まさかまさか、と思ったら出てきたよ、玄武神!!!星信仰の神獣。なんなんだろう、どう繋がってくるんだろう。ここは保留。とりあえずまとめを先にしなきゃ。ん?島根県の紋章って勾玉が4つ・・・淵神社は勾玉が3つ・・・ぞわぞわ
そう、この淵神社が背にして立つ山が稲佐山。かつて宝珠山と呼ばれた山。宝珠、稲荷神社の紋ね。イナり・・イナさ・・・なんか関係あるのか?
宝珠山、今の稲佐山のふもとにある淵神社のミステリーを追ったのが前回の航海日誌。
玄武神についても、ここで書いた通り。あー、やっとここまで来た。
稲佐山のふもとにある淵神社、もともとあったのは玄武神を祀る妙見社。妙見社の後、ふもとに祀られていた弁天様から「稲佐弁天社」に名を変え、そして神社に姿を変えた。
うわぁ、どう繋がっていくんだろう。
伝説のお寺、神宮寺
淵神社が神社になる前、稲佐弁天社、正式には萬福寺というお寺だった。そのお寺も、神宮寺という別のお寺土地に建てたもの、というところまで分かった。
さて神宮寺。名前からみるに、「神」を守るお寺さん。神仏習合のなごりかな。
特別編 「長崎おもしろ・よもやま話」第5話 まぼろしの二つの神宮寺(じんぐうじ) - やまだ眸月真の長崎ものしり手帳
長崎が長崎になる前、と~っても大規模なお寺さん神宮寺が寺領としておさめてたんだって。実際に記録には残っているんだけど、お寺も遺跡も全く残っていないから、伝説の寺。
上のポッドキャスト番組のタイトル通り、神宮寺はふたつ。同じ名前だけど違う山(岩屋山と金毘羅山)を拠点にあったらしい。稲佐山がどっち勢力になるのかよくワカランけど、地図で見るとこう。
で、グーっと戻って弘法大師。稲佐山と岩屋山に立ち寄った伝説、ここよここ。
金毘羅山は空海さん立ち寄ってるのかどうかワカランけど、別名瓊杵(ニギ)山、祟嶽(タカダケ)といって、天孫降臨、神様ニニギノミコトが天から降り立った最初の地(だからニギ山)という、こっちはこっちですごい伝説がある。
上のポッドキャストではふたつの神宮寺がライバル意識を持っていたんじゃないか?ってストーリーが面白かったけど、裏と表、根っこは繋がってるんじゃないか??ってのがシロウトな私の発想。
ほら、神宮寺で神道的な見方ですると、狛犬。境界を定める一対のシンボル。何らかの神域に対して、この二つの山が狛犬的な役割を果たしている・・・なんておもしろいんじゃないかな?!
神功皇后伝説の地として「神」の着く地名がやったら多いのが、この一対の狛犬から稲佐山側なんだよ。そっちがわ、海だけど、ナニカ重大なモノが祀られている・・・山以上の規模、となったら海底か?!
ま、それはいったん置いといて。
金毘羅山はもともと妙見信仰の場だったと出てきたもんだ。でも空海さんが寄ったっていう岩屋山はどうなのか、まだ情報は見つけてない。金毘羅山が妙見三山のひとつだった、って紹介されてるし規模もすごかったところからみると、この地(長崎)での星信仰の関わりは深いぞ!!
まだまだ気になるキーワード
場所は離れて熊野、紀伊半島。歴史ミステリーにハマる前にすっごくすっごく気になっていた場所。そして補陀落渡海。
これはまだ繋がってないんだけど、絶対後から繋がる。直感だけで言ってるけど。
次は神道視点で星信仰の変化を追ってみようと思う。もしかして、日本の教科書的な歴史観がひっくり返っちゃうかも。
つづく!!