石の宮殿ミステリー

 日本三奇、生石神社の石の宝殿のミステリーに迫る!

前回の記事の続き。

 

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なぜ一夜の内に工事を完成させる必要があったのか

神社の略記によるとこの石の宝殿、出雲の神様オオアナムチ

相棒スクナヒコナが国土を治めるために、一晩で完成させようとした。

それを阿賀の神一行の反乱を受けて朝が来てしまい、建立は断念。

 

 

多分この略記に書かれている「石の宮殿説」は、

「国(異国の地の人間)を治めるために、信仰対象を操作する」という

歴史上割とよく見られる手法を取ったのだろう、と推測したわけだ。

 

でも、この宮殿と言われる謎の石造物は未完のまま取りやめている。

阿賀の神一行の反乱を鎮圧して、その後完成させればいいだけの話なのに

夜明けが来てしまったことを理由に、工事を中止している。

 

と、いうことはこの石の石造物、

完成を目的にしていないってことになる。

 

その日の夜、その石の建造物で、

何かをする必要があった。

 

「一晩で完成させてビックリさせるつもりだったんじゃないか」という

説も見つけたけど、サプライズ失敗で建造を諦めて引き上げるかな?

 

この工事で生じた屑石の量たるや又莫大であるが、これを人や動物に踏ませじと一里北にあるある霊峰高御位(たかみくら)山(通称、播磨富士)の山頂に猿が先導し牛馬で運び置かれ、その形状から鯛砂利と云はれている

 

そして工事の後に出た石をせっせと遠い山の山頂まで運んだわけだから

急ぎの予定があって辞めたわけでもないだろうし。

この石で作った建造物が、とても大切な何かだったってのは確かだ。

 

そして夜が明けるまでに、それを立てる必要があった。

次の日の晩じゃ出来ないことを、その石造物でなさなければならなかった。

 

そりゃ、しかないっしょ!!!

多分、月食か何か、特別な天体ショーがその日の晩にあった。

神代の昔のことだから、現代の私には想像の及ばない理由や目的の儀式があった。

 

出雲は星信仰に縁があるクニ?

オオアナムチは出雲からやってきた。

オオアナムチ=大国主命出雲大社のご祭神。

 

出雲大社星信仰の関係を推測したのは、神紋が亀甲紋だと知ったから。

jap2016 nov 08 izumo (52)

 

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亀甲紋は、龍の尻尾を持つ亀の霊獣、玄武神のシンボル。

そして玄武神は、を守る神獣。その北ってのが、北極星

星信仰で最もダイジな星。

 

それがご神紋になってるんだから、古代出雲という地に

星信仰はけっこう深く根付いてたんじゃなかろーか、と。

 

文献に登場する石の宝殿

713年ころに成立したとされる『播磨國風土記』にも石の宝殿について書かれている。

聖徳の王の御世、弓削の大連(ゆげのおおむらじ)の造れる石なり。

聖徳の王は聖徳太子かな。

聖徳太子もまた、星信仰にふかーーーーーくかかわるキーパーソン。

 

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↑このラジオ番組で紹介された聖徳太子と星信仰の関係がすごく面白かった

 

弓削の大連」は古代豪族の物部一族のリーダー物部守屋らしいんだけど、

日本書紀によると聖徳太子が王である時期頃には没していたというから、

この記述は時間が合わない。

 

でも日本書紀は権力者にかなりいじられた史書だって説が大きいから

間違っていないのかもしれないけど。

 

物部守屋ってどんな人?

私の星巡りミステリーツアーでは初登場の人物名。

聖徳太子で有名な飛鳥時代にチカラを持っていた豪族のリーダー。

 

そして教科書的な歴史の解釈によると、聖徳太子蘇我氏

大陸から伝来した仏教をひろめようとすることに反発した保守派で

最終的には打ち負けて滅びた、となっている。

 

仏教が興る以前の日本の信仰である神道の神主さん一族みたいなものだったから

聖徳太子蘇我氏藤原氏)は一族の敵になるわけですな。

 

一個人(いっこじん) 2019年 08 月号

一個人(いっこじん) 2019年 08 月号

 

で、今日車屋さんに行ったら本棚にあった本。

古代史!!もちろん物部氏についても出てた。タイムリー!

 

物部守屋について追及するのはひとまず置いといて。

 

石の宝殿を建てたのはオオアナムチ?物部守屋

もし物部守屋が建造したとするなら、時代は神代からさらに進んで飛鳥時代

略記で造営を進めた主役とされるのはオオアナムチ(大国主命)。

オオアナムチ物部守屋、時代はかなり離れているけど、共通点がある。

 

それは歴史の表舞台から退いて、裏にまわったこと。

 

オオアナムチはアマテラス率いる天津神グループにクニを譲った。

そして出雲大社に隠居したようなカタチで表舞台から身を引いた。

「国譲りの神話」ではそうなってるけど、要は時の支配者の交代だね。

 

日本の伝統的神道を守る物部守屋は、伝来仏教を広めようとする蘇我馬子

対立した結果負けて、マツリゴト(政・祭)の舞台から姿を消した。

 

播磨国風土記』に出てくる以上、物部守屋はこの石の宝殿に

何らかの形で関わっていたんだろうと思う。

 

オオアナムチが途中でやめた工事を物部守屋が引き継いだのか

(そうだとしたらこれは完成していることになる)

物部守屋が自分の建てる宮殿のルーツを後付けで神話に結びつけたのか

 

でも神社創建の年代を見ると、またまた「?」が出てくる。

物部守屋が登場する飛鳥時代にはこの場所に、

すでに生石神社が建っていたんだから。

 

神社の御神体を、後から削って作るなんてこと、あるかな??

 

生石神社の創建

人皇十代崇神天皇の御代(西暦97年)日本全土に悪疫が流行して人民死滅の境にある時、ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を斎き祭らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあり依って此処に生石神社が創建せられたのである。

崇神天皇は、アマテラスを祖神とする天皇家系図の中で

実在した最初の人物(=ルーツとなる人)だと考えられている人。

 

ということは生石神社、そして生石神社の謎には

日本というクニのルーツがかなーり関係しているっぽい。

裏歴史、みたいなね。

 

今日たまたま読んだ上の雑誌で挙げられていた仮説だと

天皇家崇神天皇応神天皇継体天皇で3回ルーツが切り替わってる

かもしれないってハナシだった。

 

応神天皇は長崎にも伝説が多いミステリー女傑神功皇后の息子。

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 星信仰ミステリーにはまったきっかけにもなった神功皇后伝説。

 

さて物部守屋を調べていると出るわ出るわ、星信仰ストーリー。

そして眠い眠いなんなのこの睡魔。関係あるのかないのか、

昨夜またおもしろい夢を見た。

 

頭で考えすぎている時、夢は思考(常識や思い込み)を外したビジョンを

見せてくれるからとっても良質なアイディアの宝庫なんだよね。

今回は関係あるかまだわからないから、繋がったらまたブログで書く。

 

石の宝殿と星巡りミステリー、もうちっと続く!!