クズの美学


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平和な気持ちになれる歌。「大地」のにおいがする声。

神秘を訴えないのに、その向こう側に「見えないチカラ」を感じてしまう声。かっこつけてないのが、いいよねぇ。力んでないし、すましてない。

 

 

ジャケ買い」ってことば、まだ生きてるのかな?

 昔ジャケ買いして、知ったハンバートハンバート

 

この「おなじ話」はちょっとふしぎな歌詞で。

聴くひとによって登場人物が変わる。

 

こういう聴き手に「余白」を与えるって、名作の条件なんだね。

 

starship.hateblo.jp

 

聴き手、鑑賞者、受け取り手に「自由な解釈」をゆるす、ってのは、すごいなぁ、って思うの。それが人生を注ぐ大切なものであればなおさら。

 

ゆるす、ってことは「聴(ゆる)す」ってこと。

語り手でありながら、聴き手でもある。

 

私はホロスコープを通してコトバを贈ることにヨロコビを見出しているんだが、「聴き手」としてコトバをつづれているだろうか、と自問する。

 

ブログも。

 

なんとか「できるだけ正確に」伝えようと思うと、言葉足らずになるしかない。だって、言葉で全部表現するなんて不可能。そんでもって同じ景色を同じフレームでコピーするのも、無理。

 

もちろんできる限りの努力はするけど、カンペキにわかってもらうことはデキナイ、と諦めないと。あきらめるって言うと、放り出すみたいだけど、それともちょっと違う。

 

それも含めて「余白」に組み込む度量さ。

 

私も、贈り手であると同時に、聴き手でありたい。

すべてを「聴(ゆる)す」コトバの使い手になりたい。

 

「全託の祈り」手でありたい。

 

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。

ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。

絵描きの絵とかも一緒じゃない?

テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。

かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。

隕石としか言いようがないけど。

わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。

聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

 

SOSの猿 (中公文庫)

 

「全託の祈り」を生きたいなぁ。

祈りを生きる、なんて言うと聖職者のようなイメージがあるかもしれないけど、まるで逆だで。 最近言ってる、「非生産的な活動に全力を注ぐ人生にする」ってのはまさにそれだと思うんだ。

 

starship.hateblo.jp

 

まぁ昔から「私って、結構クズですよ」って言ってたけども。それをもっと美意識をもってクズを生きよう、と(笑)クズの美学。

 

 

まだまだ、中途半端なクズ。

クズ・オン・ザ・ウェイ。

 

 

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