最近、とみに我が電子相棒の職務放棄がはなはだしい。
LINEの通知はほぼ来なくなった。アプリを開けば思い出したように「未読〇件!!」って悪びれもなく赤いバッヂを表示してくる。
電話がつながらないのは、まぁ、外出しなくなったから別にヨイ。
電話を使う用事って、迷子になったときに主人にかけるときくらいだし。時に幼稚園からの連絡があるか?と心配になるけど、今のところ幼稚園からの連絡はちゃんと繋げてくれている。
公式LINEのほうは、昔はうんともすんとも通知してくれなかったくせに、最近はなぜかやる気を出して教えてくれるようになった。
困ったのは、wifi(時にはインターネットそのもの)に接続しなくなってるってこと。これが最近多いぞ。再起動したら「やれやら」って感じでつないでくれるんだけど。
そいでそろそろ替え時かなぁと思って。
んで今朝、幼稚園の帰りの一服タイム(ココナッツミルク・ホワイトモカ・マキアート!!)にkindleアンリミテッドで本を読みながら、「まてよ、君(電子相棒くん)はなかなかイイ働きをしているな」と思いまして。
今はね、私も年相応の鈍感力を鍛え上げて、見るからに鈍感で悩ましいBODYを享受しているわけですが、昔はテレビとかあの「電波音」がすっごく嫌いで。
ピィーーーーー
って音するでしょ。耳鳴りみたいな。
子供の時は違う部屋で誰かがテレビつけたのも聞こえた。学生の一人暮らしの時は小さいテレビをもらって部屋に置いてたけど、コンセントを指すとピィーーーが気になるから、電源抜いてインテリアとして配置していた(笑)
今暮らしてる家のテレビもただの壁掛け(カレンダーを液晶画面にSカンでぶら下げている・笑)なんだけど、こないだ久々にピィーーーーを聞いたのです。
毎日朝から晩まで見つめてて気にしなくなってたけど、音源はココだ。
このノートパソコン。
でも耳が横についてるおかげで(私は人の話を聞かないタイプの耳の形で、頭にヒタッとくっついてる)横を向いた時しか気にならないんだけど。
それでも毎日この音を浴びてたのかぁ・・・と思うとゲンナリしてさ。聞いちゃいないんだけど、もう気分が「やかましい」(笑)私、やかましいものがキライなのです。
スマホも最近kindle本を読むようになって常におそばに侍らせるようになったわけですよ。電磁波とか電波とか、「害」として気にするタイプではないんだけども。(マイクロウェーブは使いまくってます。料理下手なもんで。)
ここ数日、朝の幼稚園登園後にスタバに寄って昼過ぎまでPCから離れて外の空気を吸おうとしてるのは、無意識にバランスを取ろうとしてるのかも。おうちにいたら目が覚めてる間中PCの前に座っていられるから(笑)
「でもkindle本読んでるんだから、PCから離れても意味ないよなー」と思ったら、そうだこいつ電波受信してないじゃん!と。かなりの割合で勝手にオフラインになってるから。
オフラインでもkindleは読める。
そう思うと、「我が電子相棒よ、お前結構イイやつだな」と思えてきて。
しばらく買い替え案件はおあずけ、ということになった。
これでやかましい気持ちにわずらわされることなくkindleアンリミテッドを楽しめるぞ~~!(^^)!
今日の小説はエマノン!
こないだのブログであげたクイズにリンクしてきて面白かった☆
ここに船がある。大昔からずっと使われてきた船。朽ちた部分、壊れた部分はその都度補修されたり交換されて今の姿がある。
そして今、結果的にこの船には一番最初にこの船が完成したときと同じ部品はひとつも残っていない。
この船は「同じ」船だろうか?
ニンゲンのカラダも、ひと月で皮膚はターンオーバー、骨は10年かけて、新陳代謝されていく。さて私は同じ私でしょうか?
ブツが変わってもひとつなぎにするのが、ブツじゃないナニカなんだよね。
記憶とか、意思とか、外側との関係性とか。
じゃあ、これはどうだ。
全く新しいブツを依り代にして、そのナニカを全てそこに注ぎ込んだら?それは私か?
オカルトの巨匠、松村潔せんせの短編小説集読んで思ったんだけど・・・
「こういうことなんだよ」ってハナシをそのまま「書」にして説明しようとすると、どれだけ言葉をつくしても不完全になる。 でも物語にそれを埋め込んでしまえば、あとは読み手(受け取り手)が再構築してくれるじゃないか。
そうだ、その手があったか。mRNA作戦か。設計図を手渡せばいいわけだ。これは、理にかなってる。理屈を超えるために、余白を利用すればよかったんだ。
経験と実態を元にした物理的遺伝子のハナシじゃないよ。
文化的遺伝子(ミーム)って呼ばれてるやつかな。
学術的な説明なんてなくても、壮大な宇宙のしくみも、(概念だけなら)物語を通して楽しむことができる。そして自分の中に種を植える。遺伝子を改変する設計図を。
ニルヤの島はちとややこしかったけど(笑)
現実と物語が反発するのではなく、境界線をなくして一つに溶け合った時こそ、大事な真実がよく見えてくるのです。
ぞくっとしちゃう。mRNA作戦。
と、いうわけで小説を書いてみようと思う。
遺伝子を改変する種を乗せた隕石を、呼んで(詠んで)みようと思う。
パンスペルミアだな。
これは、「書く」ことによる「聴く」練習だ。
聴き手、鑑賞者、受け取り手に「自由な解釈」をゆるす、ってのは、すごいなぁ、って思うの。それが人生を注ぐ大切なものであればなおさら。
ゆるす、ってことは「聴(ゆる)す」ってこと。
「聴く」ということは「聴(ゆる)す」ということであって、「全託の祈り」だということ。
そして「雄弁な沈黙」の練習だ。おしゃべりな私を、黙らせる練習。
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