「ディス イズ アッ ペーーーン!!!」
ならぬ
「ディス イズ ノット ア ペーーーン!!!」
パイプの下に書いてあるコメントは「これはパイプではない」
かの有名なパイプ。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか! でも、私のこのパイプに、タバコを詰めることができるかね? できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね? だから、もし私がこの絵に「これはパイプだ」と書き込んでいたら、私は嘘をついたことになったはずだ!
―ルネ・マグリット『イメージの裏切り』
これは「禅」的だなぁ!と思ったのは、こないだ読んだ鈴木大拙のコトバ。
「月」を伝えようと思って月を指さす。
その指は月を指し示してはいるけど、、指は月じゃない。
それなのに人はそのさされた指を見て「月」だと思う。
そんなような内容だったかな。
んなアホな、って思った?
いやいや、これ結構みんな無意識にしちゃってるんだよ。極端な例だと、「神」の存在だとか宗教の「教え」もそうだし、「神聖幾何学」だとか「数(秘)」だとか、スピリチュアルなあれやこれもそうだし。
「月」じゃなくて「指」やで、それ!!
って思うもん。
占星術もしかり。それが何を指しているのか(示そうとしているのか)を見ずに、カタチだけを一生懸命見て、それを有難がるでしょ。
ちなみに大拙は、「指」は「コトバ」だって言うてるよ。
言葉は便宜上、それを指すために使ってるだけなんです!って。言葉に有難がったり言葉をあげつらったりするよりも、生身の身体(経験)を通して世界を感じようぜ、ってのが禅という生き方。
しかしなぁ。。
月を指す指どころか、その指をさしてる「人」にむらがるのがニンゲンあるあるなんだろうな!それとこれとは別、月とは全く別の要素として(月は単にきっかけで)この人が好きになったor興味湧いた、てのなら全然OKなのだけども。
「裏切られた!」とか「がっかりしました」って人は何かをその人自身に期待しているから出るコトバであって。「ちょっと違うな、と思った」って(やけに上から目線な・笑)表現もできるけどさ。
キョソ様って大変やなぁ、って思う。
でもねでもね、あちこちにい~~~っぱい大好きなキョソ様を持ってると、人生楽しいよ♡(笑)パーフェクトなニンゲン像(or神の存在)を抱くのも気持ちいいけど、絶対的なものって、案外脆いからね。
私のキョソ様リストアップすると、最近はおじさまメドレーになりつつある(笑)自分のカタヨリ(好みのタイプってやつ?)が見えてきて照れる( ´艸`*)
おそらく彼らは私の中の「空想上の理想のおじさま像」をつくりあげているのでしょう・・・そして現実世界の出会うふっつーのおっさん(夫含む)に、その空想上のパーフェクトなおじさま像をぶつけて「勝手に幻滅」する危険性を秘めている(笑)なんて迷惑なおばさん( ´艸`)
自分のキョソ様(あるべき人物像、夫像、子ども像、学生像、教師像、政治家像、友人像、えとせとら)を他人に押し付けないように気をつけようネ☆(笑)
これはPPAP☆(笑)
進行中ぷろじぇくと
BOOKCAFEそらふね
ZOOMで英会話タロット