ちょっと先取りして、20日の満月のホロスコープを眺めておったらね・・・
これが、ワンドの10に見えてきた。
よいしょ、よいしょって集めてきたエネルギー(ワンド)。
よう頑張った!満月はもういっぱいいっぱいフル・ムーンですから。これ以上はかかえきれまっせん。それでいーのです。
ワンド(火)は、エネルギーを燃やす薪。さて、また新鮮な薪を集めにいかねば。これからすべきは、まずは薪をしかるべき場所(かまど)にくべること。抱え込んでいた手をひろげて、降ろすこと。
かまどに薪をくべたら、火のはぜる音を聞きながら、ひとつ物語ろうじゃないか。薪集めの旅路を振り返って、語り聞かそうじゃないか。ロッキングチェアーに座ってさ。
Asc獅子座「年取った船長が、自分の小屋のポーチのロッキングチェアで体を揺らしている」
とはいえムーディな心揺さぶるロマンチックストーリーではないわけだな。船長は旅を共にしてきた信頼できる愛犬のクマ吉相手にとつとつと、自分の物語を反芻するように語りきかせる。
クマ吉は両前足の上にあごをのせて寝そべったまま、時々しっぽやら耳やらで「聞いておりますとも」と合図を返してくれる。それで十分、いや、最高の聴き手じゃあないか。
薪集めもさ、もちろん自分の努力があったからここまでこれたわけだけど、「どうしようもない出来事」だってあったじゃない?世の中、一本の直線状で全てが完結するわけじゃあない。
自分と、自分以外の誰か。その時その瞬間の時、場所、いろんなものや出来事の配置。その何本もの絡み合った糸が、糸くずになって、毛玉になって、現実になってる。
これが自分だ!と思っていたことだって、見方によっちゃ糸くずの集まりでしかないわけ。でも、誇り高き毛玉さ。この糸は好きだけど、これはイヤ、って仕分けすることもできるけど・・・
選り分けて捨てた糸くずこそが、自分らしさをつくってくれていたりする。切って捨てた自分が、自分の影が、自分の陰影(立体感)を形作る。絵を描くと分かりやすいけど、影を入れると絵にグンと奥行きが出るでしょ。
ワレワレは胎児の時、指と指の間に水かきみたいに皮膚があった。それが切り捨てられて、「指のカタチ」ができた。それが「ある」ままだったら、いまの指のカタチは「なかった」。
もひとつ他の例もあげるなら、きっとこれは若い子知らんだろうけど、むかーし夏祭りとか縁日の屋台であった出し物のさ、「型抜き」!お菓子の板(だったっけ?)にさ、針とか爪楊枝でぷつぷつ穴をあけて、絵をくりぬくんだ。(ムズカシイんだなーこれが!)
型抜きの板にはあらかじめ図があるわけだけど、私たちの人生はこんなにハッキリ「型」を指定されていないだろうね。結構自由にぷつぷつ針を刺していけると思うんだ。
そんで、抜き取った「穴」が、なにかしらの「カタチ」になるわけ。最初からカタチを意識して針を刺してないのがおもしろいところ。結果的に繋がって、穴になる。それが、「私らしさ」っていう形になる。
「私らしさ」のドーナツ理論ですな。
新月で狙い定めて、いやもしくは定めずに、ぷすっと指した針。針を奥まで押し込んで、押しきったら、後は引き抜く。満月から、次の一刺しの新月に向けて針を引き抜かねばならんっちゅうわけ。
みなさん、新月で振り降ろした針の手ごたえはいかがどす?そーっと、レコード針のように降ろしたっ人もいれば、エイヤッと思い切り突っ込んだ人もいるかもしれない。
前回の新月の雰囲気は、「もうどこに差し込めばいいのかわからん!」という状況で、目をつむって「神のみぞ知る!」と無意識界のチカラを信じて降ろすことを示唆してましたな。
ひとまず板から目を離して沈思黙考(お昼寝)してからでもいいんじゃない?って感じでもあった。まだ針を降ろしてない人も、そろそろ降ろしてみていいんじゃないかな?
今は打たぬ、というのもまた選択肢。
でも何もしないってのは、何もしないという「行動を選択した」っていう針を振り降ろしてるわけだからね。そのカタチはちゃんとのちのちに繋がるわけです。
別に新月だからって毎回毎回「何か新しいことを!」って言いたいわけじゃないよ。ただ、針が差し込まれて、また持ち上がって、ってリズムの中にいるんだなってことを意識しておくことはオススメする。
というか、それだけで十分じゃないかな。
私は新月だとか逆行だとかいちいち気にしてないニンゲンだけど(ネタとして取り扱うだけ)針のアップダウンの中に自分の身をおくことで、たいていのことは勝手にリズム調整されているような気がする。
後から検証したり、未来予測につかったりってのは、私はそこまで興味が持ててない。過去の出来事と星の運行の一致を確認していくこと、未来の展開を計算することが好きな人は、めちゃんこオモシロイと思うよ!
ただ、まぁ、私はそっちには興味がないので、トキ読みが好きな人にはものたりないブログかもしれない。。。すまんの。
針のアップダウンで思いついたんだけど、ミシンだね!あれは上糸と下糸を重ねてたっけ??お裁縫できないママんだからうろ覚えで恥ずかしいんだけど・・・(;^ω^)
やや、あんな感じだな!!糸の付け替え自由!
針のアップダウンは生きとし生けるもの全てみんなに共通するリズムなんだけど、そこに何色の、どんな素材の糸をいれるか、どんな布地を選んでもってくるか、で出来てくる「作品」は違ってくるもんね。
糸も布地も、好きな時に好きなものに替えられる。
どうもずっと同じものを繰り返し使わんばいかん、と思ってる人が多いようだけど、そんなこたぁない。私はとっかえひっかえしているせいでなんのまとまりもない糸くずとハギレのオンパレードなのだよ。。。
これが私のコンプレックスでもあるんだけど、キルトっていう手芸だって世の中にはある。コラージュでもいい。結局仕上がりはコラージュだし、自分像なんてモンタージュなんだから。
そうそう、こないだのワークショップのお駄賃は【鹿の王】となって私の人生を彩ってくれております!!!主催者のまりさん、参加者のみなさま、ありがとうごじゃりまする!!!
昨日と今日むさぼり読んで、今続編の5巻読んでます。
いのちと、身体と、病気のこと。。。
【鹿の王】をホロスコープにしてみると!!
ホロスコープでレビューするなら、これは体内であったり精神であったり「見えないけどそこにある」世界に向けたまなざしってことで蠍座の太陽。
それぞれの登場人物は「病に苦しむ人を助けたい」であったり「一族の救いたい」であったり、「自分の役割」が根底にあるのが、乙女座の月。
治療の在り方、科学と宗教の対立なんかはやっぱり乙女座と魚座の葛藤でしょう!それに魚座の目に見えない世界、つかみどころのない「わからない世界」へ立ち向かう困難さ、それが土星。
敵がなかなか分からないってのは、魚座(12ハウス)の火星ぽい。裏の裏をかいてその裏を・・・みたいなハラハラ。病原菌って意味でも、ここに土星と火星で大変な感じ。
牡牛座に水星なのは、肉体とか身体とか、やっぱり目の前にある確かなものに「頭」を向けねばならんわけで。国家同士の領地の駆け引きとかも、牡牛座の水星っぽいなと。
ストーリーのなかでグッと胸が熱くなるのは、大切な人たちとのつながり。人だけじゃなく、だけどね。だから蟹座の金星。家族の幸不幸は、やっぱり大切に想うからこそ、なんだよなぁ。。。
病原菌とニンゲンの暮らしと信仰と、なんだか色んなことが「今の時代に起こっていること」に重なってくる小説でした。まだ読んでない人は、ぜひ!!!
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