あとからあとから溢れ出るMOJO(星の読書会が楽しかった!!ってハナシ)

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ぱんぱかぱーん!

星の読書会、やっぱり私喋りすぎ(途中で体温上がって鼻水たれてきた)だったんじゃなかろーか、と思いつつ・・・とっても楽しかった!!!

 

今回はおのおのの星座トークも織り交ぜつつ、トキ読みにも絡めて、その場そのトキそのメンバーだからこそ見えてくる「キーワード」がピカッピカッと垣間見える場となったんでないかな、と思います。

 

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昨日の夜中に急遽作り直した資料も、フリーズすることなくちゃんと画面共有できた!新月図の全ての項目を解説するわけじゃなく、一部をピックアップするようなカタチだったけども・・・

今このタイミングだからこそ、このメッセージだったんだな。たぶん。もし昨日とか明日が開催日だったり、別のメンバーだったら、ホロスコープも別の観点で読んでたかも。

 

「なんとでも読める」と言っちゃえば身もふたもないんだけど、だからこそ「なにが読まれるのか」「どこに光が当てられるのか」にオモシロサ・ユニークさが生まれる。私は占星術のそういうところも好き。

 

聴きあう場

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コトバの実験、聴き手と語り手の錬金術を試行錯誤中。

なにが起きるか、どうなるか、は未知。

 

期待しているのは、【癒しの呼吸、星の型】の発動!!すべてには深い意味がある(たとえ理解も納得もできなくても)と受け止める、全託の祈り。自分と、自分を取り巻く世界を丸ごと信頼するチカラ。

自分を癒し、世界を癒す、むちゃんこパワフルな究極のMOJO(マジカルパワー)

 

「自分には問題や欠損があって、そこをどうにか外部から補修せねばならぬ」

とか

「相手には問題や欠損があって、そこをどうにか私が補修してあげねばならぬ」

ってエネルギーで人(や世界)と接すると、それを証明する現実しか見えなくなる。

 

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そこまで練り上げられているかどうかはわからない。わからないけども会が終わる時の参加者さんたちの表情から、すごく穏やかでかつ生命力の濃いエネルギーが伝わってくるわけだから、この方向で善きと思う。

 

今回はとくに、トキ読みからも連続して「自分のコトバを聴く」ってメッセージがよく出てきたかなぁ。

 

それは自分の翼じゃなかった。

見た目は立派でもハリボテの翼だった。

 

風の時代だからって、焦って人の落した羽を拾い集めると・・・太陽に近付けば近付くほど、その翼は溶けて崩れて、最終的には地上に真っ逆さま。

 

「羽」は風の象徴ですな。風は占星術的に言えば「コトバの力」でもある。情報や、コミュニケーション。それは、自分のコトバか?ってこと。他人のコトバを繋ぎ合わせただけのハリボテの翼じゃないか?

 

自分の翼で飛ぶ。そのためには、「軽くなれ」という世論と矛盾してるようだけど、コトバに重みが必要なんだ。「耳を傾けるに足る」コトバが。それは、「誰にでも言える正しい」コトバとは違う。

 

この「コトバ」ってやつぁ、私の最重要ケンキュー・テーマなのだ。

 

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他人の言葉と自分のコトバの違いってのは、字面とか表現方法とかのことを言ってるんじゃないんだな!自分で書いといてなんだけど、私はちょっとコトバそのものにこだわりすぎてることころがあったな、って今気付いた。

 

一字一句同じ文章でも、それが「私自身の声」を表現している(しようとしている)のかどうか、ってことか!そこに意識を向けようぜ、ってのがキーワードで出てましたな。

 

字面そのもの、表現方法そのものはハリボテで結構。フィクションで結構。自分の物語ってやつも、実は壮大なフィクションに過ぎない

ホロスコープの円盤は物語を見る丸いレンズ。天体望遠鏡。自分の肉体を通して見る世界と、レンズを通して見た物語と、また別のレンズを通して見ている人の目を通して見た同じ世界、別の世界、そういうのを何度も何度も通過して、ハリボテだった翼はホンモノの自分の翼になるんじゃなかろーか。

 

宇宙の星を見、宇宙を知るということは、

自分たちの居場所である地球を

外側から見る心の目を養います。

地球を外側から見られるようになると、

その中で生きる自分の居場所も見えてきます。

宇宙を知るということは、突き詰めていくと

自分を知ることだと私は感じています。

 

彗星ハンターの臨死体験記!占星術のハナシじゃないけど、宇宙スケールの「謎」に触れられるおもしろい本。

 

だからね、ホロスコープは「装置」だって思うんだ。

自分の物語を自分に編み込むための。

 

それ以上でも、以下でもなし。

それ自体に価値があるわけじゃない。

 

ハリボテをホンモノに生み直す作業が、錬金術

占星術は、星とコトバの錬金術

 

最初っから「自分のコトバ」とか「本当の自分」があるわけじゃない、って私は思ってる。それは自分で創るもので、生きている間は常にそのプロセスの中にあって、ここで完成ってこたぁない。

 

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更新し続ける自分らしさの節目節目に、「どんなもんです?もうかりまっか」「ぼちぼちでんなぁ」とちょこちょこコトバを交わる場があったらオモシロイよね!ってことで企画している《星の読書会》

 

「伝えるカタチ」から「伝わる(感じ取る)中身」へ

どう伝える(話す、書く、表現する)か、から、何が伝わるのか。「表現」「コミュニケーション」にまつわるそれぞれのハナシもとっても面白かった!

 

そうそう、あの時思い出しかけてたのがこの本だった。

『善く、生きるための文章術』ってサブタイトルが、もうなんとも射手座の水星に、射手座ルーラー木星(善)がMC(目指す場所)にあるこの新月。3行で撃つ、撃つのは弾丸じゃなくて弓矢だな!

 

よしあしは後の岸の人にとへ われは 颶風 にのりて遊べり

与謝野晶子

 

書き手(話し手)はね、どうにもこうにも自分の全てを完コピして相手に受け渡すのはムリなんだ。ニンゲンとコトバの構造的に。

出した瞬間に、誰かの耳や目に届いた瞬間に、それは自分のものじゃなくて相手の物になる。だからこそ生まれる何か、見えてなかったものが見える可能性(隙)が出来る。

 

自分以外に託すこと。

他人の手に渡ると、思ったような方向には行かないことがほとんど。誤解されたり、反論されたり、間違いを指摘して訂正されることもある。予想外の「ねじれ」が起こる。

 

でも・・・

その予想外の「ねじれ」も肯定する姿勢が学術や研究には必要なんじゃないか。

この「ねじれ」を受け入れて託すことが、現状を前に向かわせる「希望」になる

 

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三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』で近藤氏は、「誤読の種をはらむような、隙間のある文章こそが良い文章」だと言ってる。

余白があるというか、解釈の余地があるというか、考察しがいがある文章。映画でもゲームでも、「考察サイト」とか盛り上がってるのは、やっぱりその余白が面白いから。

各々の「考察」を持ち寄るのがまた楽しくって、作品の味わい深さになって、もっともっと好きになる。

 

人は人、自分は自分、対等な話し(聴き)相手として

そんでも、受け取り手が主役で語り手が下手に出ないといけないのかと言うと、それも違う。相手ありきの迎合するコトバじゃなくて、ちゃんと「意志」がある、自分のコトバなのかどうかってのが第一。

 

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。

ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。

絵描きの絵とかも一緒じゃない?

テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。

かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。

隕石としか言いようがないけど。

わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。

聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

 

SOSの猿 (中公文庫)

 

つねに隕石が降り注いだらメテオシャワーでえらいこっちゃだけど、隕石をぶつけられて心臓に刺激があるからこそ、ドックンドックン生命力は活発化するんでないかね。

 

灰色の煙のようなコトバに包まれていると知らず知らずのうちに生命力が奪われてしまう。モモの時間泥棒、思い出すね!

 

刺激的で血の巡りが良くなるような会話って、隕石のラリーなんだね!!

 

真実を伝えるために嘘をでっち上げ、

それを心をこめて鮮やかに表現しようとするのが作家

 

ひとつずつ、ひとつずつ

ひとつずつ、ひとつずつ

Amazon

 

字面の奥にある「真実」を表現するのが作家、書き手や語り手。職業的な語り手じゃなくても、みんな何かを伝える時、表現するときはそうなんだと思う。

 

伝えるために必要なのは、言葉を尽くすことじゃなくて「感動」だ。

 

 

 

 

他人からの評価

よしあしは後の岸の人にとへ われは 颶風 にのりて遊べり

与謝野晶子

この歌、射手座っぽいなぁ。

 

あと、もうひとつ大らかな気持ちで、自分のコトバを楽しめるんだってことを思い出させてくれる本。

 

世間の人びとには勝手にあなたのことを格付けさせておきましょう。

彼らが何でもカテゴライズしたがるのは、それが心地いいからです。格付けをせずにはいられないのは、混沌としているものがあると、これを何とか一定の秩序に組み込んで安心したくなるから

 

 

自分のコトバや作品が、相手に渡った時点で相手の物になるように、「他人の(自分や自分の作品)に対する評価は、自分自身とは全く関係がない」と言い切っちゃってるのが痛快。

 

あなたの作品は自分が生み出した「子ども」なんじゃなくて、あなたがその作品に生んで育ててもらった子どもなんだ、って。この発想もおもしろかった。その作品を通して新しい自分が生まれ、産み出す過程で自分は育ててもらったの。

 

「作品」をコトバとか行為とか結果とかに置き換えても言えるんじゃないかな。

 

そんでもらって、ラベルを貼ってるのは他人だけじゃなくて自分もそうだからね!今回の新月は、ラベルも衣装も全部ひん剥かれてつんつるてんになった「あ、そういうことだった」が見えちゃうのかもしれない。

 

大きなひとつらなりの意味。

コンステレーション

 

光の点ひとつぶひとつぶに集中していると見えないけど、その場から離れて見る。視座を上げる。水瓶座の動きだね。

決まった「正しい答え」の無い大きな意味、これは射手座の求めるところ。こたびの新月は射手座、チャートルーラ―水星も射手座。ほら、水瓶座のMCに、射手座のチャートルーラー木星コンジャンクション

 

MOJOが私の中に遊びに来る

「占い」って本来、クリエイティブな活動なんだよね。協同創造

 

インスピレーションとかマジカルなチカラってのは、人の性質(才能とか素質)じゃなくて、ソレとニンゲンとの協同作業・・・ってBIG MAGICに書いてあった。

 

ローマ人はこの頼りになる妖精の一種をとくに、「インスピレーションを授けてくれる守護神」である「ゲニウス」〔「天才」を意味する、英語のgeniusやフランス語のgénieの語源となった言葉で、天賦の才を授けてくれると考えられていた〕と呼んでいました。

つまり、 古代ローマでは、非常に才能豊かな人は その人自身がゲニウス なのではなく、 ゲニウスがとりついている と信じられていたのです。

 

 

海王星は単体だとただのもやもや。

それを水星で拾い上げたとき文章や言葉に、金星で触れると感性に、太陽で照らすせば夢や希望になるように、自分との接点があって初めて生まれるもの。

 

イデアは 生きていて、協力者として最適な人間を探し求めている。

意志を持ち、人の魂から魂へと 移動し、もっともすばやく効率的に自分を地面に降り立たせてくれるルートを絶えず見つけようとしている(雷と避雷針の関係と同じように)

 

『三行で撃つ』の近藤氏はそれをmojo(まじない、魔法、マジカルなチカラ)って言ってたかな。

MOJO見つけてもらえるように、行動するのだ、書き続けるのだ。MOJOに向けて、おれはここにいるぞ!と声を上げ続ける。

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新月のチャートだと、行動の火星と木星はゴリッと90度。出力コントロールは難しそうだけど、ゴリッと繋がってるんだからゴリッと行動力に活かしたいところ。

 

 

あと、協同作業といえばキリンさん。

 

道中、あなたはたくさんの人たちに出会うわ。その人たちはきっと喜んであなたの助けになってくれる。差し出されたものをちゃんと受け取って、活用しないとね!

あなたが望む場所には、自分一人じゃ辿り着きっこないのよ。目標達成は、協同作業それさえ覚えておけば大丈夫、そりゃもう、十二分にふさわしい成果を受け取れるわ。

 

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満月の日はタロット♡♡♡ - STAR SHIP☆星読み航海図

目下、私のトーテムアニマル。

 

木星ってのは幸運の星と言われるけども、個人的なちっちゃいシアワセとは違う。社会天体だもの。社会スケールで、集団の中で得られる「善き哉!」なんだろうね。

 

そして木星は火星の外側にあるってことも忘れちゃいけない。

自分(太陽)を社会の中に押し出して(火星)、そうした行動の先に実る幸福が木星

 

 

私はこれまで気楽で自由なおひとり様金星のヨロコビを享受してきたけど、木星のヨロコビにも少しずつ気付けるようになってきた。今、そっちにむかってどきどきしながら歩きだしてるところ。

 

これから道中で会う人たち、出会ってきた人たちと、このオモシロサを共有できると嬉しいな。

 

今年最後のプロジェクト

聴きあう場はないけども、トキ読みとふりかえりワークを一緒にしましょー☆

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