ツールじゃない

便宜上、私も「ツール」(道具)と表現する。

でも、仕組み的にはツールじゃない。

 

ツールだと思うから「覚えないといけない(覚えられない)」って悩む。「情報」として「収集」しようとする。使用方法、活用方法、ハウツー、そして自分がそのツールでなにをやってやったのか、自分はなにができたのか、そこばっかりが気になる。

 

自分を(人を)知るためのツール

幸せになるためのヒント

目標達成のための問題解決フレーム

 

全部そうなんだけど、そうじゃない

結果的にそうなるってだけで、そうじゃない。

 

そうじゃなくて、プロセスそのものにその真価があるとしたら?学ぶ過程、向き合う過程こそに重要な意味があるとしたら?それが「術」のネライだとしたら?

 

テクニックとか情報量は、ささいな問題。

 

文明と共に進化・更新してきたZIPファイル。

ファイルの内容に実はそんな意味はなくて(それでもすごく役に立つんだけど)それを解凍することそのものが、その人にとって意味があるとしたら?

 

例えば遊園地の迷路って、ゴールに何かあるのかって、何もない。何もないけど、迷路を歩き回ること、ゴールを探し回るその過程に意味(価値)があるわけじゃん。そこを楽しむためにスタートのゲートをくぐるわけで。

 

そこを飛ばしたら、意味ないじゃん・・・!!!って類のものだと思うんだ。料理教室で、教室に着いたらもう先生が全部作り終わって持ち帰り用のバッグにチマッと詰めてくれてたら・・・いや、それテイクアウトやん、ってガッカリするでしょ。

レシピもらえるかもしれないけどさ。

そんなのググればわかるレシピだよ。

 

 

「すぐに」「役立つ」「わかりやすい」「正解」を求めちゃうクセが沁みついてるよね、ワレワレは。ピクミンとして生きるならそれでもいいけどピクミンを手元に必要としている人もいるかもしれないけど。

 


www.youtube.com

ピクミンかわいい。。。

自分の身を守るために、相棒を放り投げて喰わせようとは思わんけどな(笑)ここで取り上げられる「個性」ってのは、どこで使ってやれば自分の役に立つかって視点なんだ。なんて皮肉な世界(笑)

 

ツールだとしたら、さっさと「使える道具」にして手に入れないと意味ないわけじゃん。できるだけ早く、効率的に。そんでもって使わなきゃ意味がない。

コレクターでもない限り。

 

もしプロセスに「術」が秘められているとしたら・・・

そこをショートカットするのは得策じゃない。

 

チョウが最初からチョウの姿じゃなくて幼虫でスタートしてサナギを経てチョウになるのは、幼虫の時間とサナギの時間それぞれに「意味」があるから。

幼虫の期間を縮められたチョウは機能不全になるから、それを狙って「早く成長する」毒素を敵である幼虫に食べさせる植物だっている

 

 

たしかにこの「文明のZIPファイル」は情報のカタマリだ。叡智だ。

玉ねぎの皮を1枚ずつ剥ぐ。その1枚1枚から知らず知らずに吸い込む「お涙ちょうだい成分」が、いつのまにか自分に作用している。そしてその「お涙ちょうだい成分」こそが、実は自分の必要としているエネルギーだった、って、そんなふうにこの「術」を見ている今日この頃。

 

来週の資料を見直しながら、ね。

starship.hateblo.jp

 

タロットでいえば・・・

タロットに出た「絵」や「意味」がなんなのか、って情報よりも、タロットをひくために心を整えて、意味を読むために言葉を紡ぐそのプロセスが、自分自身の栄養になってるんだよ、って、そのあたりに近い。

 

ツールじゃない占星術

学ぶことそのものに「意味」を見出す占星術

そのプロセスを、時間を、共有しようってココロミ。

 

kosodate-share.asmama.jp

※参加申し込みは日曜日に締め切り!

 

ツールだとしたら・・・

あまりに非力。あまりに不毛。ほんまに助けてほしいときに、助けてあげたいときに、何の力にもなりゃしない。生老病死ニンゲンの苦しみを「ごまかす」以上のことはなんもできやせんじゃないか。

 

そんでもって、私だって、苦しみをごまかすお役立ち「ツール」に期待してた一人じゃないか。そーゆーことに気付いて、なかなかに衝撃的な心持ちでございました。

 

このブログは占星術好きな人、学んでいる人、実際に占い師さんしてる人が多いから、ムッとされちゃうかもしれない。

 

でも私、占星術好きよ。

占星術を否定してるワケじゃないのでね。

 

ほんまに非力で、不毛で、ナンセンス

その前提があるからこそ、そこから学べることは計り知れないって思うの

 

どーにもならんこと、チカラの及ばんことを認めること。

それも学ぼうぜ。1枚ずつ皮をむきながら。

 

うーん、でも「自分にはどうすることもできないことを認める」ってのは語弊があるかな?ある意味「無力」で「無意味」、ある意味「創造主」で「意味そのもの」、そういう矛盾を矛盾のまま引き受ける。それが境界線をひくってこと。

 

「自己肯定感」「自己効力感」と、自分には現実を思い通りに動かす力があるという「万能感」は全く別物。引き寄せやら占術やらスピリチュアル好きな人が陥る思考の罠。

 

変えることができないものを静かに受け止めるチカラを

変えるべきものを変える勇気を

そして変えられるものと変えられないものを見分ける賢さを

《ニーバーの祈り》

 

つまり、こーゆーことですな。