「名」を与えよ

Name it to Tame itネイム イット トゥ テイム イット)って言葉がある。「名付けることで、それを飼いならすことができる」って意味だね。従えたくば名を与えよ。

 

名前(真の名だったり、正体)を見破られた悪魔が姿を消す物語は世界共通にある。日本だったら、『大工と鬼六』の昔話が聞き覚えあるかな。

 

 

物語の中で「名を与える」ことは、魔術や呪術、神秘的なチカラとして描かれる。魔法の呪文のことを英語ではモロにSPELL(つづり、コトバの並び)って言うもんね。

日本語だと「言霊」って言葉がある。言葉の呪力。漢字の「呪」も「」と「兄⇐頭部が強調された人の絵」からできてるし。

 

「音の並び」、「意味を指定する記号以」上のナニかを、感じ取っているんだろうね。ニンゲンは。そのナニかの力というか、エネルギーというか、影響力みたいなものを、言葉にならないものを言語化して表現したのがこういったお話の類だと思うの。

 

 

 コトバ☿というトランスミッター

ゲド戦記』でおなじみのアーシュラ・K・ル=グウィンの物語はコトバのチカラと、畏れを思い出させてくれる。そんでもって、それが「月を指す指」でしかないことも。

 

 

 

「月」を伝えようと思って月を指さす。

その指は月を指し示してはいるけど、、指は月じゃない。

それなのに人はそのさされた指を見て「月」だと思う。

 

ちなみに大拙は、「指」は「コトバ」だって言うてるよ。

言葉は便宜上、それを指すために使ってるだけなんです!って。言葉に有難がったり言葉をあげつらったりするよりも、生身の身体(経験)を通して世界を感じようぜ、ってのが禅という生き方。

 

しかしなぁ。。

月を指す指どころか、その指をさしてる「人」にむらがるのがニンゲンあるあるなんだろうな!

 

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じゃあ、その言葉そのものじゃなく、言葉の持つナニか大きなチカラ、働き、エネルギーそのものを借りに「光」としよう。その光には光源がある。

光源を宇宙とよんでもいいし、神とよんでもいい。

 

光は力だ。偉大な力だ。

われわれはそのおかげでこうしてあるんだもの。

だけど、光はわれわれが必要とするからあるんじゃない。

光はそれ自体で存在するんだ。

太陽の光も星の光も時間だ。時間は光なんだ。

そして太陽の光の中に、その日々の運行の中に、

四季の運行の中に、人間の営みはあるんだよ。

 

たしかに人は暗闇で光を求めて、それを呼ぶかもしれない。

だけど、ふだん魔法使いが何かを呼んでそれがあらわれるのと、

光の場合とは違うんだ。人は自分の力以上のものは呼び出せない。

だから、いろいろ出てきたとしても、

それはみんな目くらましにすぎないんだ。

実際にはありもしないものを呼び出すこと、

真の名を語ってそれを呼び出すことは、

ちっとやそっとではできないことで、

だからその術は決して軽々しく使ってはいけないんだよ。

 

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫)

 

どんな力も、すべてその発するところ、

行きつくところはひとつなんだと思う。

めぐってくる年も、距離も、星も、ろうそくのあかりも水も、

風も、魔法も、人の手の技も、木の根の知恵も、

みんな、もとは同じなんだ。

わたしの名も、あんたの名も、太陽や、泉や、

まだ生まれていない子どもの真の名も、

みんな星の輝きがわずかずつゆっくりと語る偉大なことばの音節なんだ。

ほかには力はない。なまえもない。

 

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫)

 

すべてが「光源」の現れ(表現のひとつ)で、光源と目の前にある表現とを仲介するのがコトバね。仲介者、伝達者、トランスミッター、マーキュリーやらヘルメスやら水星やら、そういうふうに捉えるアレ。

 

そういう「アレ」を取り扱う、アーシュラ・K・ル=グウィンのストイックなまでの「コトバへの愛」を感じるのは、『ゲド戦記』よりもこの三部作!!

kotokotoba.hateblo.jp

 

そんでもって、恐ろしいくらい濃ゆいスピリチュアル漫画『アマテラス』ではコトバは『透波』と書かれている。透き通った光の波長、ヴァイヴレーション。

 

 

 コトバの働き(光源のエネルギーを繋ぐ)を応用する

他にもたくさん光源との接点はあるんだけどね、そのうちの一つとしてコトバを見るなら・・・そりゃあ、その影響力はすごいでしょうよってことになる。

 

そういう精神面での影響を記述する学問が心理学なんだけど、そのへんもちゃんとケンキューは進んでて。その言葉の影響力を応用した実践メソッドだってたくさんある。

認知行動療法とか、NLP神経言語プログラミング)とかね。

 

昔の勉強ブログで「強い感情の取り扱いに応用できる言語学のトリック」ってケンキューをシェアしたことがある。

 

ムッとしたとき、イヤ〜な気持ちになったとき、自分のことに関わらず主語をIではなくYOUと言うことがある。こうすることでその出来事を一般化して(こんなことよくあることさ!)、一歩引いた視点で自分を眺める、冷静になれるから。

 

そういえば怒りのコントロール方法に、自分の気持ちを実況中継するってのがある。これも同じトリックを利用してるんだね!

 

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英語圏の研究だからね、主語を普段用いない日本語でモノを見ているワレワレ日本人はどーなの(笑)って思ったのを覚えてる。

 

 

んまぁ、主語がなんにしても、「感情に名前を付ける(言語化する)」ってのは、感情に飲みこまれないとても有効なスキルに違いない。

 

それがName it to tame it、名付けよ、そして従えよってやつ。

コトバってのは繋げる力であると同時に離れる力でもあるから。行ったり来たりするからね。感情と一体化していた自分を、感情とは別の自分、に切り離してくれる。

 

繋げるほうの力の応用については、また別のハナシ・・・

※信仰の変化にも関わってくるし(隠されたり名前が変えられた神とか)

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※特定の世界観を自分の中に落とし込んだり

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※人間関係を変化させたり

sonogono.jugem.jp

 

 感情に名前を付ける=感情を見つめる

Instaでおもしろい投稿を見つけたんだ。一部ピックアップするとこんな感じ。

 

感情にもロジックがある

私たちのふいに&わけもなく押し寄せるもの・・・ではなく、実はちゃんと「ワケ」あって生じるもの。それぞれの感情が決まった役割をもち、私たちがその場で正しい行動を選択できるよう現れる

 

不安や恐れ

・身体的・心理的な危険を感じた(逃げる準備)

・瞬間的にエネルギーや集中力が必要な時(締め切り直前とか)

・将来の出来事に対する準備が必要な時

 

怒り

・自分への不当な扱いを正すべき時

・自己主張をする手助けが必要な時

 

悲しみ

・失った人・モノと別れるサポートが必要な時

・執着していることを手放す必要がある時

・溜まったエネルギーを放出すべき時

・リラックスしたいとき(新陳代謝

 

羞恥心・罪悪感

・規律や道徳観を守るリマインダーとして

・一定のルールを超えそうになったとき、超えてしまった時

 

妬み・憧れ

・自分が手に入れたいリソースに気付いたとき

・自分が持っているリソースを守りたいとき

・自己肯定感が下がっているとき(セルフケアしよう)

 

 
 
 
 
 
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EIコーチ & NLPマスター Lana | 感情を学びに✨(@lifewlana.japan)がシェアした投稿

 

こういう視点で見ると、感情がまた違って見えてくるからオモシロいよねぇ!それぞれの感情には、それぞれに「理由」、起こってしかるべき「意義」がある。

だから感情そのものは否定する必要はない。ネガティブなものでもね。

 

例えば「悲しみ」を感じたとき、「ああ、ああ、ああああ」と悲しんでいると気づかないままただひたすら打ちひしがれる状態から、まずは「私は悲しい、悲しんでいる、悲しい気持ちを持っている」と気付くこと。

 

そこまで出来たとして、その後「執着はいけないことだ。悲しむ必要はないのだ」と自分に言い聞かせちゃいないかい?

それとも「嫉妬」だったら「いやいや、嫉妬するなんてみっともない。私は満足よ、幸せなのよ、羨ましいなんて思っちゃよくないわよね!」って無理くりポジティブ変換しちゃいないかい?

 

「あ、私は今手放そうとしている。別れに向き合うサポートを必要としている」って気付けたら・・・悲しみも悲しみのお役目を全うできるってもんさ。

 

 

私は 事実/感情/ニーズ を分けて捉える方法をNVCという手法で学んだんだけど、ここで言う「感情にはワケがある」もNVCの学びのひとつだった。

 

NVCの考え方をベースに「生命力」を高める方法について書いた過去記事。

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自分の感情を見つめることは、自分との「つながり」をつくること。ここでも生命力を高めあうつながり方かどうかってすごくダイジ。

 

 Set Apart, Not Set Aside

感情の真ん中にいる自分から、一歩スポットライトの外に出て、ライトの中にいる自分を外から離れて見てみる。Set apart、剥がすんだよ。

触れないようにaside(脇に置く)のでも、心のお耳をミュートにするでもなく。ミュート慣れしてしまうと、音量の上げ方が分からなくなる。どうやって聴くのか、自分にしか触れないスイッチの場所が、本当にわからなくなる。

 

寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。願いと定めとを、内面的につなぐものは、祈りだよ

出家とその弟子 (岩波文庫 緑 67-1)

 

ちょっとふと思ったんだけどさ・・・

「祈り」ってさ、一般的に思い浮かべるのは「呪」のイメージだけど、実は「聴く」ことなんじゃないかって思うのさ。

ナニかを動かすコトバのチカラのほうじゃなくて・・・

 

 そもそも「祈り」と「呪い」は同義語だった

同じエネルギーの動かし方、働きを指して二つのコトバに分かれたのが「祈り」と「呪い」。これはポジティブ(平和的)かネガティブ(破壊的)かって違いで分けられたんだと思ってたけど、そうじゃない。

 

呪いはむしろポジティブ(発する側)で、祈りはネガティブ(受け止める側)なんじゃない?「祈」「祷」は「求める」って意味がある。話しかける口側じゃなくて、待っている耳側じゃない?

 

「祈」は、祭壇に近づく斧のイメージから成り立つ字らしい。(旗を掲げるって説もある)ギリギリまで近づく様子から、「近」って漢字の元にもなっている。

「祷」の方は、祭壇と長い長い道のりをゆく老人の図。

 

ことばは、聴くひとの「祈り」そのものであるような耳を俟(ま)ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。

「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)

 

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となると・・・『出家とその弟子』の中で親鸞聖人が言っていたこのコトバは

寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。願いと定めとを、内面的につなぐものは、祈りだよ

出家とその弟子 (岩波文庫 緑 67-1)

 

願い(意図)と定め(運命)を結び付けてくれるのは、祈り(聴く力)なんだよって言ってるんじゃないか。

 

意図と運命が結び付くと、運が展開する=思わぬ偶然、運の巡り合わせが起こる。才能開花だったり、使命への目覚めだったり、なんかそういう表現もできる。

 

ここで思い出すのが、『全託の祈り』

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これって全肯定、それすなわち運命愛(Amor Fati)。

AMOR FATI

To be in love with one's Fate, to accept that our journey is our own and we should cherish our past, present, and the unknown future.

 

「運命」を愛すること、いのちの旅路を自らのうちに受け入れること、そして過去を、現在を、まだ見ぬ未来を慈しむこと。

 

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ほら、受け入れる側(ネガティブ)だ!

ここで言う「ネガティブ」って、陰湿とかマイナス思考って意味じゃなく、エネルギーの向きのハナシね。陰陽でいう、陰の作用。

 

君自身に還れ。君の外にあるものすべてから目を向け変えて、自分の中へ還れ。(哲学者フィヒテのコトバ)

 

万物のエネルギー源(光源)のなかに還っていくわけです。田坂せんせはそれを物理学の「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」を使って説明してくれてたけど。

 

光源に向かって還っていくコトバが、祈り。

外に発するんじゃなくて、耳を澄ませるようなエネルギーの動かし方

 

 

 「聴く力」を取り戻すココロミ

今手掛けているプロジェクトが、どっちもここに繋がってくるんだよなぁ。

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ミヒャエル・エンデの『モモ』を読む

本を読んで好きなシーンとか場面をわいわいお話する読書会。この物語の主人公モモは天性の「聴く力」を持つ女の子。あと、「時間」もキーワードになってくる。

 

太陽の光も星の光も時間だ。時間は光なんだ

そして太陽の光の中に、その日々の運行の中に、

四季の運行の中に、人間の営みはあるんだよ。

影との戦い: ゲド戦記 1 (岩波少年文庫)

ゲド戦記では「時間」も光(万物の光源)だって書かれてたけど、モモは「花」で「時間」のなんたるやを見事に表現しているのが、スゴイ。

さて次回は時間泥棒が登場する《第二部》がテーマですぞ・・・!!

 

※第一部の開催レポート

starship.hateblo.jp

 

第二部、第三部、参加者募集中!

 

トキ読み×聴きあう会

コトバにならぬコトバに耳を傾ける。待つ。

待つことで初めて出会うコトバがあって、ふれあえる他者がいて、立ち上がる関係性がある。それを体験してみようっていう、実験的なプロジェクト。

 

※プロジェクトの詳細

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生命力を高めあう「つながり」をつくりだすこと。

そんでもって善き未来をつくるニンゲンでいること。それを目指して。

note.com

 

※トキ読み×聴きあう会(の開催レポート

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※読書会の原点

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実はね、この記事を書くきっかけが私の「悲しみ」だったんだ。「時間」も関係あるなぁ!同時に、ふしぎなことに「愛おしい」気持ちも一緒に。

 

私は、こんなに両親のことを愛していたのか!!!!

と、涙がほろほろと落ちるのです。

 

そうか、だから「愛しい」って「かなしい」と読むのか。

仏教のスローガン「慈悲」の中にある「悲」ってのは「苦しみを抜く」救いの感情なんだそうな。ああ、それもそうだなぁ。

 

悲しいけども、悲しいという気持ちが今私を支えてくれてる、私が悲しみを必要としているんだなぁ、と。

何もできない自分を責めたり、彼らの肉体的・精神的苦しみを想像して震え上がるのでもなく。

 

いつか来る「時間」の終わりを悲しむのは、自然なことなんですから。

 

寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。願いと定めとを、内面的につなぐものは、祈りだよ

出家とその弟子 (岩波文庫 緑 67-1)

 


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浄化ソング。