お互いの存在感(私はこの世界の中にいる、あなたはこの世界の中にいる)を「リアル」に感じる条件が、
物質的存在→情報的存在
に変わったってことか!
なんの情報も持たない(情報的な動きがない)ものはいないことになる。たとえ物的な証拠があっても。
不存在。非リアル。
とすると、生死の概念も変わるなぁ。
情報を動かすことに必死になる人(発信者だけじゃなく、無意識な焦燥感、依存も含めて)がうんとうんと増えたのは
「死にたくない」って生物の本能ゆえなのかもしれない。
死ぬことに対する恐怖、忌避プログラムは生きている存在共通のシステム。
情報を動かさねば存在が死んでしまう、この変化を嗅ぎ取ったワレワレは、情報の扱いに対して「死の恐怖」レベルのきょーれつなプレッシャーを感じるようになってしまった。
死の条件が変わり、生き残りの条件が変わった。
生きやすくなるかって?
規定の生死の条件に右往左往してる時点で、そんなわけないでしょ(笑)
システムに馴染もうと頑張ってるうちに次の更新が始まっちゃってるんだから。
いや、先取りしたプログラムを持った人が「生きやすくなった」と感じるパターンもあるかもしれない。
けどそういう人はトキ任せ(外部さえ変わればこの苦しい状況が改善するはずって期待ベースの姿勢)で生きてる人じゃないでしょ。
「風」ってコトバのイメージが優しいからだろうか…
私は海上で「風」のこわさをトラウマになるくらい思い知った身だからなぁ。
涼しいとか気持ちいいとかフワッと軽やかに感じるってソレは、ビルやら木立に守られた風防の内部にはみ出した風の、ほーーーーんの一部分じゃないか。
海上の風もおそろしいけど、遮るもののない砂漠の風も恐ろしいねぇ。
しかもエネルギーを高められるだけ高めようって固定サインですからね。水瓶座の風は。
確かに大地は侵食さられて岩肌は削られるけど、壁の中ならふきっさらしにされる前にそれなりの仕度ができる。
台湾の野柳地質公園、クイーンズヘッドも現在進行系で削られていく…
奇岩の景色も面白いけど、私は足元にポツポツ空いたまぁるいポットホールが好きだったな!
まぁるい穴にそれぞれの中に、まあるく削り出された石が転がって入ってるの。
さて、今日は幼稚園おやすみ!
息子は初体験のアートクラスを終えた頃かな。迎えに行かねばな。
リーディングも面白い歌詠み合戦になってるから、そのうち裏話も書きたいなぁ。
ぶっとびオカルトネタをまた楽しみたい気分❤タロットさんに遊んでもらおうかな!