春分にしても水星逆行にしても、「ある特定の位置からの」視点やら区切りであったり、見え方なんですもの。
暦って時点でニンゲン様が区分設定したリズムだからね。
それが何を基準にしているかってことじゃなくて、誰が基準にしているかってこと。
自然物を基準にしているから自然なリズムだってことじゃなくて、「自然物を基準にすることで自然に沿おうとしているリズム」。
占星術ってモロ「暦」なわけで、私も暦大好きってことになるけどねッ★
〇〇座はチョメチョメ、▼▼座だからウンヌン、そういう「カテゴリー」で考えるのは簡単で楽だから、気持ちいい。わかった気になるから、気分がいい。スッキリしたり、納得したり。それが「生きやすさ」って言われて喜ばれていることに気がついた。
「カテゴリー思考」とでも言おうか。
わかりやすくまとめることで、次の段階のことが考えられる。
3.14をパイにしたり、複雑なごたごたをX一文字に預けたりするから、もっと複雑な史紀の一部に組み込める。
でも「カテゴリー思考」が他人に向くとちょっと危なそうだなぁ・・ってこと。
普段善意の活動を熱心にしている人が、これまた善意の視点で特定の国のことを「苦笑」している姿を見て、ふくざーつな気持ちになったのを思い出したなぁ。
ここも、善意の人を思い出した。
何かを施すことができる資源を持つ人は、善意のもとにそれをしたい。それは、自分が優位にある権力関係を揺るがすことなく「いい人」になれる方法だからだ。
「私は直感派だから!」という人がとんでもない失敗を犯すのは、それが「浅い直感」だから。直感と言うか、「本能の層で起こっている反応」だから。
原始的な反応である「浅い直感」と、本質を見通す「深い直観」は全く別物。時に正反対のリアクションを生むわけだから、本当に気を付けたほうがいい。
だからって、そういう人の考えを「変えてあげたい」とか「それはヨクナイ!」とは思わなくていいんだけど。そういう危うさが自分の中にもある、ってことを胸にとめておきたいねぇ。
そんでもって、今朝はこれ!
ニンゲンの考えることって1万年以上変わってないんだなーってのを、のっけから下ネタまんさいのフランクでカジュアルでロックな古典を読んで楽しんでおりまする。