夢で見た「卦」を、目が覚めてから調べて読んでみたらとんでもないやつだった。
占星術は暦の術。
トキの扱いがやっぱりその根底にある。
だから土星がメイン(〆)なんだ。
まずは土星までに至る太陽系、それ以遠の大きな要素(トランスサタニアン)は、あくまでもそれ以外の要素。
春分やらなんやらって区切りは、太陽の位置取り。
だとしたらソーラーサインハウスでいいんじゃないか?
太陽の位置取り ✕ 月の揺れ動き
で陰影を出してる。
でもそのままだと個人にまでおりてこない。
間接的には「影響」あれど、それはストレートに「運」とは結びつかない。
それこそ天気予報、季節のめぐりに近い。
二十四節気を擬人化してるだけ、みたいなもの。
でも季節のめぐりを「個別」の運として見ると、季節(全体像)と自分が切り離されてひとりあるきしてしまうこともある。
そうなると逆に大きな流れ、トキの運び(運)とも切り離されてしまう。
西洋にせよ東洋にせよあえて暦をとっかかりにしてるのは、まずトキの運びに乗る必要があったから。
その先に「個別」の具体例が分岐する。
西洋は結論ありきで動詞を先に持ってきちゃってるから、最初から「個」をどう「個たらしめるか」、を見る。
だから過程(これこそが目的なのに)を省いた本末転倒な空っぽメソッドだけ流行っちゃったりする。
東洋は外堀から攻める。調和だ自然だ言ってるうちに、最終的に何を言いたかったのかわからなくなってゴリゴリに具体的なのに近視眼的に到達地点が曖昧模糊として見えなくなったりする。
それぞれの落とし穴。
巨大な網の目状につながっている、結び目のひとつが自分だってこと。その自分も、物理的な自分だけじゃなくいろんな層のいろんな守備範囲を持つ自分がいるってこと。
その位置取りと働き、それから自分を含む全体の動き(運び)をまず把握する。
その上で、動きたければ動く。目的があるなら目的に応じて。現段階でなかったとしても、網の目の中に自分は結びついているのならそれで然るべきときに然るべき役割が向こうからやってくる。
魚が網にかかる。
目線を固定してしまうと落とし穴が見えない。そういう意味で暦は何通りか知っておくといいと思う。
それで「鑑定」や「診断」なんてできなくていいから。
ぼんやりとでいいから、トキの運びに対していくつかの捉え方をできるようにしておく。
この暦(自分が指針としている時間のモノサシ)は何を基準にしているのか、ってだけわかっておけば十分かも。
それから「命(めい、ミン)」を知る。
結論付ける必要はない、特に若いうちは。
生年月日で示される、自分とこの世の接点、これが「命」。占星術、紫微斗数、四柱推命、数秘、そういうの。
それぞれ違ってたり重なってたりするけど、それはベースとなる暦の違い。同じ海でも、どの波にボードを乗っけるかって違い。同じ海でサーフィンすれば同じ陸地に向かう。大きなスケールで見れば。
だからそれぞれの暦の基準をなんとなく知っておけば、使い分けもしやすい。
一命 二運 三風水 四積陰徳 五讀書
命が完全に読み解けないにしても、そういうものがあるってことを知っておくのは心強い。
トキの運びの現場担当は、「命」(個人という器)だから。運はトキに張り巡らされた地場と自分の位置取りみたいなものかも。
その磁場は刻一刻と変化する。運ばれていく。自分の命を強く惹きつける磁場に出会うトキ、それが運の巡り合せ。
風水、これもまた位置取り。でも磁場と違って目に見える方、カタチが放つ別の層の磁場。
カタチには人工物も自然物も含む。
位置取り、組み合わせなわけだから、これまた「絶対的にヨイ」カタチとはなかなか言えないもんが多く、人や状況にあわせて変わるもの。
トキが四次元で変化するものであるなら、風水は三次元で変化するもの。
人間がいじくれるのは基本的に三次元のレベルまで。だから働きかけることができるのはこの層以降になる。
カタチはいじくれるものが多いからね。配置だとか、色だとか、空間的な位置(方角)だとか。
陰徳、陰ながら徳を積むこと。
誰かに見てもらえなくても、褒めてもらえなくても、結果に結びつかなくても、善行を積むこと。
SNSでアピールしない(笑)
人知れずえぇことしましょう。
これは三次元いじくるよりもさらに容易い。
…はずなんだけど、みんな風水に運に命にばっかり目を向ける。
陰徳を積む、誰にでも、どんな小さなことでも、できるんだからやろう。
そして読書。
べんきょーしようぜ!!(笑)見聞を広めるってこと。本に限らず。学びの姿勢。むしろこっちの層にくればくるほど、「自分が」どうにかしないと、命や運にどうこうしてもらえるもんじゃないってこと。
一に命、ではじまるから順序で言えば1から5、左から右(上から下)に読みますがね。これは右から左(下から上)に伸びるベクトルと交差するんです。
一方通行じゃないよ。反対車線も含む環状の道。
両方に動きがあって、循環して、動き続けて、そこに生命力が生じる☯