暦はいかが 新しき古えを
暦はいかが 1生1度の1日を
総て良き日であるように
昨夜はマンションの住人企画でハロウィンパーチ―でした🎃
まわってくる子どもたちのカワイイことカワイイこと♡♡
そして付き添う大人たちのコスチュームもまたおもしろかった(笑)
我が息子も張り切って仮装姿でTrick-or-Treatingしてきましたぞ。お菓子箱がもうチョコやらキャンディやらでモリモリ。しばらくは歯磨き強化週間になりそうです(笑)
最近、姉姉がおもしろいことたっくさん思いつくみたいで、飛び込んでくるLINEのメッセージのヘンタイぶりが凄まじい(笑)その刺激で「ああ、暦の術プロジェクトはこういう方向に進もうとしている(こんな世界を見ようともがいている)のか!!」と発見も多々。
⇩こういうこととかね
来年あたり、本格的に姉姉弟子入りしてフラワーエッセンスから見える世界も学ぼうと思ってる。エッセンスをどう使うか、とか、どういう効果があるか、ってのじゃなく。その象徴やら記号から、世界をどう描けるのか?真実をどう表現しているのか?ってオカルトなハナシを中心に(笑)
私はやっぱり、モノサシの凄さとかそのテクニカルな使い方よりも、それを通してワレワレは何をどう測ろうとしてるのか、って部分に興味があるの。
暦の術プロジェクトは、「祝福」としての暦☆彡
「1生1度の1日を、総てよき日であるように」。
ゴキゲンに過ごせる快調ラッキーハッピーな日に限らず、そうじゃない日も「一生一度の一日」「よき日」として祝福できるように。
だって、これは「情報」じゃない。「予定」でもない。
星を散りばめて語りかけられた祝福のコトバだよ。
そうだ、内田樹せんせが「祝福」についていってたこと。
目にうつるそのままの姿を、そのままに描写すること。写生的に表現すること。それがスバラシイとかイダイだとか価値判断抜きにね。記述すればするほど、記述しきれない「ナニか」が浮かび上がる。そのコトバにできない尊い「ナニか」を伝えようと、コトバを尽くす。それが祝福なんだ、と。
ああ、もうこれってそのままホロスコープじゃない?
記述できない(情報じゃないから)尊くて愛おしいナニかを、記述する。
それは「ナニか」を限定するもんじゃないの。
逆だよ、限定しきれない無限の広がりを持つナニか(私という存在)を表現してるの。祝福してるんだよ。
そんな祝福のコトバを読み上げさせていただく、今日もよき日♡
こんなことを書いてもなお、面白がってくれる人に出会えることにオドロキと感謝の日々。ヘンタイでヘンクツなブログを読む尊きヘンタイたちに、カンパイ!!(笑)
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