あの世とこの世の境目に、私という物語が浮かび上がる(そんなトキ)

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↑の記事に占星術的コメントを追記するなら、『雲の下と雲の上を繋ぐ存在』ってのは、魚座牡羊座の境界線・・・私の存在そのものを指す、Asc。あの世とこの世の境目に、私は存在する

 

 

その私という存在そのものを、星々という記号に託された『物語』として読むのが好きだった。

 

『持って生まれたもの、個性』というと、定まった固定的なものをイメージしてしまうけども、ホロスコープはもっと四次元的というか奥行きのある流動的な『生命力の質感』を記号化したもんなんじゃないかって思う。

 

私はそれを『物語』として読むのが好きなわけで。

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魚座味の強まるトキだからこそ、

雲上雲下を繋ぐ物語として自分を生きよう

ってメッセージ。

 

 

詳細にホロスコープでトキ読みはできてないのだけど、暦の術は生きて(活きて)るよ!私個人は、コトバに囚われない分むしろ体感が強まってるような気もする。

 

コトバで伝えることはできてないけど、言語外の伝染力で何かしら伝わる人には伝わってるんじゃないか、とすら思う。そういうトキだもの。

 

海の怪物の腹に吞み込まれた星が、内側に広がる外側の世界にオドロイタってハナシ - STAR SHIP☆星読み航海図

魚々してる過去記事↑

そこから一部引用して再掲↓

 

そうそう、因果律(原因→結果と直線的に捉えられる、因果関係で理解する世界)の外側にある層。

 

私たちが「わかる」レベルってのは、因果律レベルの層と、その内部に展開しているもっと内側の層だけ!知識としてはその外側の層も「存在を知る」ことはできるだろうけど、たぶん、「現実として把握する」ことは出来ないんだと思う。

 

だから「占い」は、内側しか見えてないワレワレが外側のルールに触れるためのひとつの手段なんじゃないかね、って思うのよ。


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雲の上と雲の下の境界線、そこにあるのは。風ってのはなにかが「ある」わけじゃないよね。風、っていう物質は存在しない。ただ温度なり高低差なりなんなりのギャップがあって、その間に流れる「関係性」が風なの。

 

風の時代ってのは、そういう部分が中心になる時代ってこと。

てことは中心にはなにもない。

中空構造を生きるってこと。

 

占星術も中空構造。

占星術と言う人工言語 - STAR SHIP☆星読み航海図