梨木香歩さんの『海うそ』、読了!!
プロジェクトが終わってから読み始めたんだけど、鳥肌、鳥肌…!!今回お届けした物語のキーワードが『海うそ』の中盤にふいに現れ、クライマックスで回収されていることに。
まさか海うその正体が、今回の物語にも繋がっていたとは。
「海うそ」ともうひとつ、主人公が気になっていた「獺越(うそごえ)」という地名の謎。これまた、ハッキリ「こたえはこうです」と正解や真実を提示しないのがイイ。すごくイイ。
それでいて、ストンと腑に落ちる感じ。
その締めくくりを読みながら、ちょうど読み終えた『眩』に出てくる「鷽替え(うそがえ)」を思い出した。
(あのシーンもじんとくるなぁ・・・)
太宰府のお祭り、鷽替え。
木彫りの鷽を参詣者同士が交換し合う。昨年の厄災、凶事を「嘘」にして替えてしまおう、と祈りを込めて。
↑鷽(ウソ)。鶯(ウグイス)に似てる
けれどこれもまた、幻。
だが幻は、森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめくのであった。
そんでもってこの一節が、昨夜読んだ石井ゆかりさんのエッセイで「おもしろいなぁ!」と思ってメモしたところにリンク。
闇鍋インタビュー、相手について事前情報も予備知識もなしに、石井ゆかりさんがカフェでインタビューをする企画。
占星術をするものとしての視点も、もちろん挟むけども、星ネタではなく、石井ゆかりさんが「私」から見た「他者」の世界をつれづれなるままに語る、といった感じ。
つまみ食い読みだから全員じっくり読んだわけじゃなくてほとんど読んでないんだけど!
「おお、おもしろいな」と思ってメモしたインタビューのうち、一人は住職でありイラストレイターの中川学さんの章。
中川学さんが仏教のお経の一つ、華厳経の世界観について話てて。
それは蜘蛛の巣にいっぱい朝露がついてるようなイメージ。
その水滴一つ一つの中にそれぞれの世界があって反射し合っている。
同時並行的に、全部の世界の時間の時間が進んでいく。
「私」が生きている現実は、その水滴のひとつに映る世界なんだ、って。
そんなようなハナシ。
幻は森羅万象に宿り、森羅万象は幻に支えられてきらめく。
『海うそ』では主人公が廃仏毀釈の時代の犠牲にあった寺院や民間信仰の跡をたどるんだけど、その中で仏教的な世界観についても触れられてるところがあって。
「時間」の存在感、というか、人が時間をどう捉えるか…
主人公の時間に対する感覚の変化が、おもしろかったなぁ!!!
記憶が「クロニクル」から「パースペクティブ」に、そして「ピクチャー」に変遷していく…
ってこういうことなのかな。
「記憶」というものは
若い間はクロノジー(時系列にまとめられたもの)で、
中年以降はパースペクティブなもの(遠近法)になる。
そして老後はピクチャー、一枚の絵にまとめられ、
死んだら順序も絵もバラバラに分散してしまう
時間(トキ)というものが、 凄まじい遠さでただ直線的に流れまるものではなく、
あたかも過去も現在も
なべて等しい価価で目の前に並べられ、 吟味され得るものであるかのように。喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、 増えていくことなのだった。
さて今日からのお供は…