その火を絵に描こう、いつか

ニンゲンのみなさん、「感情」エンジョイしてますか?
エモエモきゅんきゅんハラハラいらいらしくしく満喫してますか?

 

「感情」って、ほんまオモシロイなー、と思う今日このごろ。
あせくっさい青春だった私、あまずっパイ感情はあんまり縁がなかったんだけど、最近新しい世界の扉を開いてしまい「ぎゃっっっ!!!」と鼻血ぶぅしました。

 

それも、感情。

 

ほんで最近、家族がちょっとした事件に巻き込まれて、どうしようどうしよう、とオロオロしました。

 

これも、感情。

 

あー、感情あじわってるなー、
たまらんなーーー、
と、最近とみに思ったのでありました。

 


 

しかし+であれ−であれ
摂取するのは「絶対値(+3も−3も絶対値は3)」なわけで。
煽りやすいのはマイナスなわけで。
そういうわけでSNSやメディアや人と人のやりとりも、
マイナスを刺激してより多くの感情摂取しようとしちゃうのよね。

 

どっちにしても、過剰摂取はヨロシクナイ
肉体的な負荷が大きいし、
帰ってこれなくなるリスクも大きい。

 

過剰摂取しなければ別に、感情の外側の世界、
フラットで静かな「悟り」の世界に憧れる必要ないのにねぇ。

そんなことを、田口ランディ先生が書いてたのを思い出した。

 

たくさんの感情を経験することは、
この世界での旅をよりよくするための一番の方法。

ひとつの感情に留まりすぎず、すぐに手放すこと。さわって手放す。
その次の感情を迎え入れること。

感情のエネルギーを過剰に肉体に帯電すると、肉体に負荷がかかる。
適度な親愛の感情は肉体にとって、とても効果的。
内臓が歓喜で震えると、細胞は癒され活性化する。
でも、それすらも多すぎるとやっぱり負担なのだ。
多けりゃいいというものではないのだ。
高くても低くても同じバイブレーションで肉体には負担がかかる。

意識とは、世界を秩序あるものへととりまとめようとする意志のこと。
この意志は、カミの意志。
世界はただそこにあるだけだけど、
意志をもって秩序あるものとして捉えることもできる。
その時、世界は美そのもの。

その美が感情のコードと共鳴し、
人間そのものが世界の音楽を奏でるカミの楽器となる。
楽器は音楽を奏でることで初めて奏者であるカミの存在に気づく。

人間は宇宙の秩序について、感情のコードで知る。
その他の方法ももちろんあるけれど時間がかかりすぎて効率が悪い。
肉体は四十五億年の歴史があり、
その情報を共有することが出来る。
たかだか一万年の意識に人間は頼りすぎだ。
肉体を使って感情から言語化していない情報を得ればいい。
微細な感情を経験することで世界はより深く広く近くなる。
イネスの声の波動が読み取れる。

この感受性を呼び覚ましてくれた小さなものへの感謝を歌っている。
その存在は小さいけれど、小さなものの力が世界を変えていくことがわかる。すべてではなくて、そんなことはすでにあるのだから。
わかることが大切なのではなくて、感情のなかに飛び込む勇気をもつこと。

人間は世界に開かれた感受体であり、
感情は世界を読み解くためのコードであり、
肉体はコード解読のためのOSをもったPCである。

感受体である人間は、
感情という肉体と親和性のあるコードを使って世界と共鳴する。
人間は宇宙の楽器。人間はカミの楽器。

私は感受性をもつ「個」としての私と同一のものであるけれど、
その背後にあるもの。

世界は二つアル。虚であるものと、個であるもの。
それは同時に存在している。

虚の世界では、人間は宇宙空間のなかに漂う貝殻のようなただの感受体。
宇宙にはコードがある。無限のコード。
人間は感情で宇宙のコードを読み取る。
感情とはひとつのスケール、尺度。
オクターブのようなもの。

人間の感情はオクターブのように振れ幅があって、
その上とその下がある。
感情の上、感情の下、そして感情の外の世界。
どれも同じ。

でも人間は肉体があるのだから感情を使えばいい。
使い方は子どもに聞きなさい。

世界はすべてを数値に置き換えることが可能だけれど、
それをやるにはあまりにも効率が悪い。
だから多少のリスクはあるけれど、
感情を使うほうをおすすめします。

内臓を嫌わないでね。四十五億年生きている。
意識の歴史より長いんだよ。

何度でも言うけれど、世界は見たようなものだ。
人はどの波動にも自由にシンクロできるし、自分がどんな感情に捕らわれたいかを選んで、
そこに飛んで行くこともできる。
あるいは眺めているだけのこともできる。

感情の外の世界はきれいだけれど人間にはおもしろくない。
機械的だと思うんだろうね。それが人間ってものだ。

とにかく世界がわかったと思うな。
世界はこんなものだ、すべては同じだ……と、
ただそれだけで終わるな。

感情の外の世界にだいぶする遊びだけにハマルのもやめろ。
いくら深くダイブしてもしょせんそこは肉体のある人間の世界ではない。

シャーマンが歌うのは、
もう一度感情のある人間の世界にもどっておいてということ。
その世界で感情のなかに怖れず飛び込んでいいんだよ。

それから宇宙のコードを読むのが人間のやり方で一番効率がいいんだ。
コンピューターなんかいらない。

キノコを使って感情の世界の外を見たのは、
感情につかまらないためなんだ。
飛び込んで。それを泳ぎ切るために感情の外を観ることも必要だ。

でも、それを観たからと言って世界をわかった気になってはいけない。
そのためにシャーマンが小さき者への感謝の歌を歌う。

世界なんて最初からある。
わかろうがわかるまいがオマエの知ったことじゃない。
たいしたものでも、つまらないものでもなくそこにある。
そういうものなんだ。

それがわかるというのは人間の慢心だし、
わかったという気持ちがすでにとらわれなんだよ。

あんたは、ただ見て、そしてありがとうと言うんだ。
自分を助けてくれた小さな生物の命に。
今日、何個のキノコを食べた?
キノコはカミサマの子どもたちだよ。

 

🍄食べてぶっ飛んだときに書いたメモ、だそうです


秘密を教えてあげよう。
私はね・・・常に「怒って」いるんだ。

映画『アベンジャーズ』で活躍するヒーローのひとり、ハルク。
敵味方見境なく暴れ狂うすさまじい化け物ハルクのその正体は、穏やかで温厚なバナー博士。

ハルク

博士はストレスや怒りが高まりすぎてぷっつんすると、怪物ハルクになっちゃうの。

 

でね、自分の意志でハルクに変身できるようになった博士に、仲間たちが聞いたの。
「どうやって怪物ハルクをコントロールできるようになったんだ?」って。

 

秘密を教えてあげよう。
私はね・・・常に「怒って」いるんだ

怒りを抑えて、コントロールして、もうひとりの自分ハルクを制御してるんじゃない。彼は、自分の身の内に常に「怒り」が存在していることを認めた。自分の一部として引き受けた。

 

そいで私は、衝撃を受けた。
そうか私も「常に怒って」いるのかもしれない、って。

 

starship.hateblo.jp

 

特定の誰かや何かに対する怒りとか不満とか、攻撃欲求とかそういうのと違うんだけど。何かを否定したり妬んだりする「怒り」じゃなくて・・・
もっと、うごうごしているエネルギーのかたまり

 

うーん、「怒り」としか言いようのないんだけど、日常的な「怒り」とはちょっと(いやだいぶ)違う。感情未満の、「重力がすさまじい火」って言ったほうが近いのか?

 

おもしろいのは、文章の世界では私の「怒り」は全く違うカタチをとるってこと🌱

 

文章の世界で私が繰り返し繰り返し、語る素材を変えながら、語り方を変えながら、語りかける相手を変えながら、表現してきたのは、まぎれもなく

人間讃歌。

それは祝福。ヨロコビ。愛。

 

怒りを隠したキレイゴトってわけじゃなくて、むしろぴゅあぴゅあエナジー

 

怒りと愛は同じ存在だったのか!

不動明王が表現する「憤怒」は、「コラー!!」とか「ムカッッ」て意味の怒りじゃなくて、もっと深い層の怒りだったのか!!

「不動明王」 薬師寺 - 奈良

 

「それはダメよ!!!」って否定の怒りじゃなくて、
むしろ全てを肯定しているがゆえの、熱くて濃厚な、火

 

じれったくて愛おしくて苦しくて悲しい、火。

 


その火を絵に描こう、いつか・・・。


 

ああ、そうだ。
感情はこの火がちらちら反射してる影なんだな、って。
だから尊いのか・・・!!

ぴかぴかオープン!!

エネルギーワークがおもしろい。

占星術→タロット→フラワーエッセンス・・・と怪しさレベルがレベルアップしている気がするが(笑)

 

私の「遊び」のおもちゃとして、この上なくおもしろい。

このブログは「占星術」から始まったブログで

そこから派生してタロットやらなんやら色々一緒に書いてきたが・・・

 

今度はエネルギーワークを中心に据えたブログで

ちまちま書いていこうと思う。

 

picapica.hateblo.jp

 

これまで「占星術」に対して

「教科書はこう言ってるけど・・・」とか

「そもそもイカサマ」なんて視点で勝手なこと書いてきたように

 

この新ブログも、レイキ/エネルギーに対して定説とは違う

意見を物申していくのかもしれない。

イチ実践者目線で。

 

エネルギーのハナシ、興味ある人はこっちに遊びに来てね💫

 

そんでもって、新プロジェクトも絶賛参加者募集中

これまた、裏テーマはエネルギーワーク。というか、実験。ニヤリ

 

starship.hateblo.jp

 

質問&問い合わせ、大歓迎🙌

公式LINE

友だち追加

 

どんな縁がつながるのか・・・!!

動き出すぜプロジェクト/新しい世界の胎動

 

starship.hateblo.jp

 

またまた思いつきの、へんてこなプロジェクト。

「参加者募集するぜ!!」って先に言ってから、中身をトンカン建造してる私⚒️

 

FAQでまとめつつ、自分の頭を整理。

note.com

なにをダイジにしてるのか。

どんなふうに遊びたいのか。

書きながら発見してる。

 

 

参加者が・・・いるのか?!!

って不安は、もちろんあるけど(笑)

そこはね、善きにはからえ。

 

流れに乗ってる限り、信頼するしかない。

のっちまったんだから。笑

 

 

【募集スタート!!】新プロジェクト『旅籠屋✼漂白』参加型物語へようこそ!!

「遊び」は子どものためのものではない。
大人が最も必要としているものだ。

ジョージ・バーナード・ショー

オトナのみなさーん、遊んでおりますかーー?
慢性的遊び不足になってませんかーー!!
生命力、イキイキと発電💫できてますかーー!?

『幸福論』で知られる哲学者アランが言うように、遊びは生命いのちの「目的」ではなく、生命いのちそのもの。遊ぶことを忘れるというのは、生命いのちのあり方を忘れちゃうってこと。

「遊び」ってさ、ワクワクすることだけじゃなくて、「はて?」と立ち止まることもそう。
「ほおぉ」と心動かされることや、スーッと自分の中(あるいは外)に感じる流れに身を委ねること。

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その先に目的だとか目標、崇高な価値やオトクなメリット、何が手に入るか何を失うか、そんなこと「アウト・オブ・眼中」なまなざしで、出会う世界を見つめること。

成長だとか学びだとか探求ってやつは、遊びの「副産物」であって、それ以上でも以下でもなし。

嬉しい気持ち、楽しい気持ち、愉快で気持ちいいことだけじゃない。悔しかったり、悲しかったり、ゾッとしたり、がっかりすることも、「遊び」の中にある。
色とりどりの感情は、キレイに整理された絵の具チューブから飛び出して、好き勝手に紙の上を「遊ぶ」。

そうして描かれるキャンバスは、世間が評価する「作品」とは程遠いかもしれない。眉をひそめたり馬鹿にする人もいるかもしれない。
でも、「うわッ!すごいね、おもしろいね!!」って見つけてくれる人だっている。そうやっておもしろがってくれる人たちと、また色遊びを楽しむ。
自分ひとりじゃ描き得なかった新しい作品が生まれる

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世界は無数の風穴、宇宙の覗き穴

宇宙はあなたという風穴を通して世界を見て
自分自身のことを調べているのである

アラン・ワッツ

アランは「調べている」と言ったそうだけど、わたしはここを「遊んでいる」と言い換えたい。

宇宙は、「私」で遊んでる。個々の「私」を通して、たくさんのたくさんの「世界」を!そんでもって、「私」のほうも、そんな宇宙を遊んでいる。

「世界」とは、たんに「地球」とか「宇宙」のように地理的・空間的な場所を指すわけではない。
それぞれ固有の規範・価値・意味づけによって成り立つ社会的・文化的な空間を意味する。

マリア・ルゴラス

そう、そのたくさんの「世界」ってやつは、単にJapanとか北海道とかそういう空間の別を指してるわけじゃないんだね。
なんなら同じ場所、地域、文化圏に属していても、時代や世代によって「世界」は違う。

もっと細かく見れば、一人ひとりが異なる「世界」なわけで。私の「世界」とあなたの「世界」が違うように。宇宙は無数の「世界」という風穴を通して、自分自身を覗き込んでいる。遊んでいる。

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人は皆、生者の世界を漂う旅人

人生は「攻略」すべきダンジョンか、遂行すべき「ミッション」か。はたまた語り継ぎたい「伝説」か。

人生の「目的」なんてたいそれたもの、あればヤリガイ得られるけども、なければなくてもいいじゃない。
もしそこに「虚しさ」を感じるのであれば、それは「遊び」足りてないのさ

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とはいえ、あてもなく彷徨いつづけるのも疲れちゃうよね。
たまには荷をおろして、漂白の旅を振り返ってみるのもいいよね。他の旅人と語らうもよし。

他の「世界」を旅する同士。
旅の手土産を交換しながら、「へぇ、こんな「世界」があるのか」「こんな旅のしかたがあるのか」とおもしろがれる仲間たちと、1年間、旅の道草を食ってみないかい?

そう、前置きがながくなりましたご、この記事はそんな旅人たちに、新プロジェクトのお誘いなのでッす!!!🙌✨

通りすがりの旅人も、顔見知りの旅人も、まぁちょっとあがっていっておくんなせぇ🍵

参加型物語『旅籠屋*漂白』プロジェクト

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舞台は情報の大海に浮かぶ一軒の旅籠屋

プロジェクト参加者、そして私は、「それぞれの人生」という異なる「世界」を旅する旅人たち。

ここ『旅籠屋✼漂白』は、情報の大海にぽつんと浮かぶ孤島にある。
多くの旅人はここの存在に気付くことなく大海の旅を続け、幾人かはちらりと目を向けまた漕ぎ去り、また幾人かは「ん?」と船を漕ぐ手を止める。

『旅籠屋✼漂白』は、1年という限られた期間のみ門戸を開く。
ただし万人にではなく、限られた旅人のみを『門客』として

つまりね、1年間の期間限定オンラインコミュニティ(noteメンバーシップ)で遊んでみようか!ってプロジェクト✌✨️

※ちなみにこの「1年間限定の固定メンバーシップ制のオンラインコミュニティ」って形式は、去年の遊び/プロジェクトから継承。テーマやモチーフはぜんぜん違うけど、去年の参加者さんたちの声も載せてるからご参考までに🙌↓

プロジェクトで遊ぶこと① 交流/共響きょうかん

『旅籠屋✼漂白』は1年間の旅の拠点。
門客たちはそれぞれの「世界」を旅し、そして月に一度開かれる「縁会よりあいで旅の手土産を持ち寄り交わし合う。

旅の手土産ってのは、日常の経験
あなたの世界で捉えた景色、感情、考えたことや気付いたこと。

縁会よりあいnoteメンバーシップ限定公開の掲示で開催するよ🙌
〆切ってほど厳密なもんではないけど、「投稿期間」を設けるから、空き時間に投稿してもらえればOK👌
気軽に近況シェア、あるいは振り返りを書いてもらってもいいし、もちろん長文も大歓迎。まとまってなくてもいいし、箇条書きでもいい。

他の門客はコメントを送りたければ送ればいいし、リアクションするかしないかは自由。無理にコトバや記号を交わすことだけが「交流」じゃないからね。

自分の日常を、「旅人目線」で見返してみると?
他者の日常を、「別世界の旅」物語として触れてみると?

日常(現実)と、非日常空間(虚構)を行き来する。
世界は重なり、響きあい、流れ行く。

そんな一期一会の旅の宿。

プロジェクトで遊ぶこと② 企画/ゲーム

縁会よりあい」参加は、門客登録の必須条件なのだけど🖐️
noteメンバーシップの掲示板で、他にも任意参加企画を遊びたいなぁッて考えてるよ♪

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例えば、「図書室」や「レコード室」で本や音楽の紹介をしてみたり…
足湯コーナー」で遠隔ヒーリングをお届け(これはメンバー限定)したり🤗

イラストが好きな人がいれば「アトリエ」を、タロットやオラクルカードを持ってる門客がいたら「鏡の間」なんてスペースで遊びを持ち寄れたらいいなぁ!!!
※ちなみに去年はカードリーディングやレイキヒーリングが飛び交ってて🌿🕊️面白かったな😆💖

それから気まぐれに「旅のお題」(任意参加)も出しちゃおうかな🤭
アストロダイス(占星術記号をあしらった占いサイコロ)でお題をふって、今月のテーマ!みたいに。

プロジェクトで遊ぶこと③ 物語

去年は「ホロスコープ占星術で用いる星図🧭)」を足がかりにに毎月1本(+不定期に数本)、時間にまつわる「読み物」を配布して📝→それを中心に、交流、企画を組み立ててたんだよね🙌

んで、今回『旅籠屋漂白』プロジェクトの軸に据えるのは……「物語」そのもの!!

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物語の舞台は、情報の大海に浮かぶ孤島のお宿『旅籠屋✼漂白』。
登場人物(主人公)は、この宿で「門客」として迎えられた旅人たち。そう、ここで語られるのはプロジェクト参加者であるアナタの物語

物語には、縁会よりあいに持ち寄った手土産や、旅籠屋での出来事、交流が織り込まれる。それは日常と地続きの異世界。現実と虚構の淡い境界線で浮かび上がる物語。

アナタと出会って始まる物語。アナタがいるから生まれる物語。

アナタは物語のプレイヤー

プロジェクト参加者は、演じ手であり、遊び手。
「遊び」にはあらかじめ決められた結末がないように、この物語もどう展開するかは「偶然」が左右する。「縁」って言ってもいいかな。

どんな世界の旅人が門客として旅籠屋に迎えられるのか。
門客として旅籠屋に籍を置く期間、それぞれの門客はどんな旅の局面に出くわすのか。
持ち寄る手土産が、旅籠屋での滞在が、物語が、それぞれの旅にどんな変化を与えるのか。与え合うのか。

この物語は、生きている物語。
プロジェクト参加者は、この物語を脈動させるプレイヤー。

そうそう、プロジェクト参加者には「アバター」で登場してもらうよ🙌✨
これは旅籠屋*漂白に上陸するための館内着、肉体の存在しない情報空間でアナタの分身として活動する「魂の依代」のようなもの。

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参加者はアバターを通して自分自身を表現(プレイ)する。
それは嘘偽りの自分を演じるってことじゃない。
私たちは現実世界でたくさんのたくさんの名前や肩書き(どこそこの店員、○○県民、誰々ちゃんのママ)を着込んでいる。
意識的にせよ、無意識にせよ、それはあくまでもアウトフィット👚でしかないわけで。

『旅籠屋*漂白』に上陸するとき、旅人は旅先のアウターを脱いで、アバターを纏うことが求められる。
だから、アバターはあなたの魂の依代

アバターは「動物(人間以外の生き物)」で統一しようかな🙌
去年は私が「アニマル・トーテム・タロット」にお伺いを立てて、参加者ひとりひとりにアバター(それからアイコン画像)を配布したけど、もちろん持参もOK👌✨

アバターを通して交流し、遊び、そして物語を楽しもう!物語の中で描かれる自分に、アバターの目を通して出会おう!

そこから見た世界は、いつも見ている世界とちょっと違っているかもしれない。他の門客が旅する世界に、不思議なシンクロを感じるかもしれない。

物語の想定外の展開や、思いがけない自分や他人の姿にドキッとしちゃうかもしれない。
そんなときは素直に驚いて、素直に受け止めて、素直におもしろがってほしい。

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ダイジにしたいのは、自分や他人、自分の世界や誰かの世界を「こうだよね」「こうだから」と固定してしまわないこと。こだわりすぎないこと。

私も、アナタも、世界も、変化してもいい。
変化する勇気と、いいかげんさを
我々みんな小舟に揺られる人生の旅人。お互いに思いやり、おもしろがり、ゆるく楽しもうではないか🙌✨

汝ら戯れを恐るることなかれ

さてさて、書けば書くほど読者を混乱させていやしまいか!🫣
いったいぜんたい、このプロジェクトとやらはなんなんだ?それは私にもわかりやせん…

ただ、わかるのは!!
…ちょっと、おもしろそうじゃない??笑
もしアナタの魂が、小さな小さな声でそう囁いていることに気付いたのなら、『旅籠屋✼漂白』はあなたを門客としてお迎えするつもりだということです。

汝ら戯れを恐るることなかれ!!
「遊び」は確かに、無駄で、非効率的で、ばかばかしい。でも・・・

無駄の中にこそ、本当の自由がある

鈴木大拙

あるいは

遊ぶことのできる人間だけが、自由なのだ

フリードリヒ・シラー

というわけで、去年に引き続き今年も「つくりかけの構造」のまま、この指とまれ!で、つくりながら一緒に遊んでくれる人を募集するよ😜
(この告知記事を出したら、舞台設計の作業開始せねばな!!💨💨)

⚠完成したシステムでお客様/消費者として「遊ばせてもらう」「楽しませてもらう」つもりの人の期待には添えないから、そのつもりで🙏

「一緒に楽しもう!おもしろがろう!」「これからなにして遊ぼう!」ってスタンスで挙手できるアナタ!
この不思議な異空間にそそり立つ旅籠屋に気付いて、ここまで読み進めてくれた特殊能力をお持ちのそこのアナタ!

『旅籠屋✼漂白』プロジェクトは、そんなアナタをお待ちしております🙏💖

未来の門客へ(募集要項)

▶プロジェクト活動期間

2025年9月23日(秋分)〜2025年9月22日(1年間)

▶活動場所

noteメンバーシップ機能/掲示板/メンバー限定プロジェクト専用公式LINE(お知らせ配信用)
※ZOOM等でのリアルタイム交流は予定なし

▶参加費

5000円
1年間のメンバーシップ/企画参加/アバター配布もろもろ全部込

※固定メンバー&固定期間にしたいから、note月額のサブスクではなく一括先払いで手続きをお願いします🙏(ゆうちょ銀行宛の振込/PayPay送金/Amazonギフト券メール)

▶募集定員

上限設けるほど、人が集まるかは謎だが……🙄
申し込み2名以上で催行決定〜最大7名までの少人数プロジェクトになるかと🙌

▶募集受け付け期間

9月19日(金)〆切

▶申込から参加までの流れ

(1)LINEで参加表明
参加希望の方は、下の公式LINEから「門客希望!!」とメッセージを送ってくださいませ🌿🕊️ 迷ってる人も、お気軽にメッセージしてね😁

(2)参加費のお手続き
 LINEで参加費のご案内をしますので、お手続きをお願いします。

(3)自己紹介フォームの提出
Googleフォームのリンクを送るので、フォームに入力してご提出ください。
・旅人(アバター)の名前(このプロジェクトを通して呼んでほしい名前)
・ 参加のきっかけ
・ 自己紹介(好きなこと、最近気になることなど)
最初の縁会よりあいの参加メンバー顔合わせで紹介させていただきますので🙏♡

(4)アバター配布
『旅籠屋*漂白』の館内着、1年間の「魂の依り代」となるアバターを決めます。

(5)メンバーシップ登録
招待メールをお送りしますので、noteメンバーシップに登録をお願いします。

漂白の門客ここに迎えん

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未来の門客の気配を感じて、『旅籠屋✼漂白』の風車がゆっくりとまわりだす。まわる風車が発電するは生命力💫✨️

遊びは生命いのちの目的ではない。
生命いのちそのものである

アラン・ワッツ

生命エネルギーに満ちた、非生命(情報)空間へ。
汝ら戯れを恐るることなかれ。
漂白の門客、ここに迎えん。

この指とまれ👆️の発案者、わたくし とと子 は門客たちのお世話役、『旅籠屋✼漂白』番頭狐🦊アバター纏い、門客の訪れを待っております👋✨️

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募集受け付け期間は9月19日(金)まで!!

※とと子、ムチムチの2歳児がうろちょろしている環境ゆえ、お返事が遅くなることも多々…ご勘弁を🙏

プロジェクト構想してたときのnote過去記事

 

「遊び」を、遊ぶ

長男が都市伝説展を見に行っている間、

会場ロビーで次男を遊ばせつつ、ジャック・アンリオの『遊び』を読んだよ。

 

 

遊び論といえばカイヨワ、ホイジンガが超有名。

 

ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」という人間観を提唱した人✨️

文化の源は遊びである。ヒトはホモ・サピエンス(賢いヒト)である前に「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」である!

ヒトの文化の源には、「遊び」がある、とホイジンガはいう。

 

ホイジンガのいう「遊び」の本質は、

▶ 手段ではなく目的

遊びは何かメリットを求めた手段ではなく、それ自体が目的で、遊ぶために遊ぶから遊びなんだってこと。

▶ 始めるのも終わるのも本人の意志(自発性)

誰かに強制されるものじゃなく、やりたいと思うからやって、やめたいと思うときにやめる自由がある。

▶ 時間と空間から切り離されている(非現実性)

遊びの世界ってのは、ある意味パラレルワールド

▶ 結果が決まっていない(不確実性)

予定調和的な結果に向かうだけだったら、遊びじゃない。

▶ ルールがある(構造がある、制限の中での自由)

遊びは自由を楽しむのと同時に、ルール(制限)を楽しむこと。

 

そして遊び論の大御所もうひとり、カイヨワ。

彼は遊びを4つのカテゴリーに分類した。

▶競争(勝負、ゲーム要素)

スポーツ、チェス

▶偶然

サイコロ遊び、ルーレット、じゃんけん

▶模擬(真似っこ、なりきり)

おままごと、演劇、コスプレ

▶目眩(非日常感覚)

ジェットコースター、ぐるぐるバット、バンジージャンプ

 

さてアンリオの本では
・遊びとはいったいなんなのか(ホイジンガの言う本質)

・遊びとはどんなことを指すのか(カイヨワの挙げるカテゴリー)
を踏まえた上で、

 

ヒトが「それは遊びです/遊びではありません」と決めるとき、判断するとき…
ある行為を遊びとみなすその態度そのものにスポットライトを当てる🔦

 

遊びを遊びたらしめる、その態度いかに?ズバリ

 

遊びは何よりもまず、遊び手とその遊びとのあいだに存在する遊び(余白、隙間という意味でのあそび)によって成立する

キーワードは3つ🤟

①不確実性

結果がどうなるかわからない
②二重性

現実と虚構が重なり合う

(将棋の王将は、木片という現実✖️王👑というフィクション両方の存在で成り立つ)
③イリュージョン

これは遊び(虚構)である前提を信じる

(これはまごうことなき現実だと信じ込む❌/こんなのただの嘘っぱちだと突き放す❌)

 

面白いね!!
今ちょっと『遊び』を構想中なんだけど🤔
こんなふうに「遊びを、遊ぶ」メタな視線を組み込んだゲーム?参加型物語?にできやしないかと!

 

note.com

note.com

旅籠屋𓇬漂白「汝ら戯れを恐るることなかれ /漂白の門客ここに迎えん」

次なるプロジェクトのアイディアを、ねるねるねーる🌀

 

starship.hateblo.jp

 

去年、2024年のプロジェクトは【人工宇宙の探査】。

テーマは「時間」。

舞台のモチーフは宇宙船。

母艦そして、探査船に乗り込むクルー。

 

今思い浮かんでいるのは、旅籠屋(はたごや)という舞台。

旅人の拠点。異なる世界を旅する旅人たちが足を止め、他の旅人とテーブルを共にし、それぞれの旅の話に花咲かせる。

 

情報の大海をはるばる渡り、旅人たちはぽつんと浮かぶ孤島を見つける。島にたつ旅籠屋は彼らを門客として迎え入れる。

 

 

旅籠屋の屋根には巨大な風車

門客たちの交わすコトバ、エネルギーに反応して風車はまわる。そしてより大きなエネルギーが旅籠屋に満ちる。発電(発火)された生命力によって、この小さな孤島は明るく照らされる。

 

1年間。

去年のプロジェクト同様、旅籠屋で迎え入れられる門客に部屋があてがわれるのは、1年間の期間限定。

そしてその期間は、固定メンバー。

 

門客たちはおのおの小舟で情報の海に漕ぎ出し、定期的にこの旅籠屋に立ち戻る。そして「寄り合い」に参加する。それぞれの旅の振り返りを共有する。

旅先の世界で身にまとったエネルギーをここで荷下ろしする

持ち寄りパーティ、穏やかなお月見会みたいなもの。

 

門客たちはこの島に上陸するための鍵(部屋鍵)を配布される。

その鍵は、それぞれの門客のアバターとなる。

 

そのアバターを通して、門客は「ワタシ」を演じる。

それは本心を隠した「仮面」や「偽り」の姿とういう意味じゃなく、より純化された「ワタシ」。

アバターは、「ワタシ」の魂の依り代

 

「ワタシ」はこの現実世界でいろんなものを背負っている。本当は着脱可能なアウターであったはずの価値観が、いつのまにやら肌に食い込んで自分の一部だと思い込むようになっている。

 

情報の大海を超えて旅籠屋の孤島に上陸する門客たちは、アウターを脱いでアバターを羽織る。アバターを通して、アナタは「ワタシ」をPLAYする。心ゆくまで、楽しむ。

 

楽しませてもらう、んじゃなくて!楽しむ

ココダイジ。

 

この旅籠屋では門客はお客様というより、風車をまわすエネルギー共創者の大切な一員。旅の途中の1年間滞在する仮の宿であるけれど、それを最大限楽しむこと。

それが門客と旅籠屋の主人との契約。

 

そうそう、旅籠屋の主人は姿を見せない。

彼は風車のヌシ。

旅籠屋そのもの。

 

その代わり、主人の代理に門客をお世話する役割を仰せつかっているのが、わたくし。

 

 

此度のプロジェクトでわたくしがアバターとする、門客の世話人番頭狐

うはは♡

 

番頭狐は、本気で戯れ、遊び、共創してくれる仲間に呼びかける。

修行やスキルアップを目指すわけでも、ゴールが決まっているわけでもない、オンラインコミュニティ。

 

ミニゲーム、交流ネタ、差し入れ企画も不定期で!

アナタはゲームのプレイヤーであり、物語の登場人物。

 

そうそう、この旅籠屋の屋号は『漂白(ひょうはく)

さらして白くする、魂の浄化としての「漂白」。

波間に漂い、あてもなく流れる「漂白」。

 

旅籠屋𓇬漂白。

 

汝ら戯れを恐るることなかれ

漂白の門客ここに迎えん

 

やべっっ歯医者に行かなきゃ!!

おーい小舟に揺られる仲間たち!!

 

「占い好き」な人は、みんながみんなそうじゃないけど、やっぱりそういうステレオタイプが好きな人が多い。わかりやすいラベルは、安心させてくれる。私はわかっている、っていうある種の万能感・優越感をくれる。

 

安心と、興奮。依存性がある刺激。

特に不安感や不満足感の強い人は、占いやスピリチュアルの落とし穴にハマりやすい。

 

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それが救いになる、大変な状況を支える指針になる、

というのもわかるし、私も子育てグロッキーな母の身、

できるなら、助けになりたい気持ちもある。

 

でも、でもどうしても、

それじゃあダメなんだ、反対方向なんだ。

その時は一時的に「ラクになる」かもしれない。

でも本質的な「救い」にはならない。

むしろ反対に視野をせばめてしまう

 

いちばんダイジな

「世界(他者/自分)との向き合い方」が

ゆがんでしまうリスクのほうが、大きい。

 

「わからない」を「わかりたい」

自己理解や他者理解という耳心地のいいコトバで

世界の「トリセツ」を安易に作ってしまうのは

作れるという錯覚で人をカモにすることに、私は反対だ。

 

そのニュアンスが、いちばんモテる

(必要とされる/売れる/人気を集める)のは

重々承知なんだが…。

 

「わかった!!」の快感、刺激、魅力のチカラはすごい。

わかりたい欲求は、人類にとって抗えないすさまじい欲求だと思う。

 

「腑に落ちた!」「モヤモヤを言語化してもらえた!」

は快感であっても、断じて「癒やし」ではない、と私は思う。

 

でも否定するだけじゃダメで、そこに別の道筋を提示しないといけない。

それこそが「倫理」(世界といかに向き合い、いかに善く生きるか考える)ことだと思う。

 

だから、私はこの葛藤と向き合う。

 

現実への最も有効な批判は、

可能な別の未来(=選択肢)を提示することだ

 

 

だからといって、苦しい状況、悩んで、迷って、道筋を求める人に

「そのまま悩み続けなさい、それこそが善き生き方です」なんて

突き放すのは乱暴すぎる。

私だって、悩める子羊の一人として、なにかしら指針がほしいいつも思う。

 

フロイトはかつて、

自分の人生や境遇をある種運命的なものとして捉える、運命神経症(Schicksalszwang)の存在を指摘した。

これにかかると人は、自分の運命が、自分では変えられない固定された性格と不可避的に結びついていると考えてしまう。

本当は変えられるかもしれない自分の境遇を自分の本質だとみなし、そこから脱出できなくなる。

 

MBTIにせよ、占星術にせよ、ビッグファイブにせよ、

キャラクター化されパッケージングされた「個性」を依り代にして

自分を演じたり再構成しているってこと。

それがイケナイんじゃなくて、そこに自覚的でありたい。

 

MBTIが生み出す「16タイプのキャラクター像」は、しばしば私たちの自己理解をある種の連続した物語へと閉じ込めてしまう。

「私はENFPだから常に陽気で衝動的」といった固定的なキャラクターをパフォーマンスし始めると、その性格の一貫性を維持しようとするあまり、日々の異なる状況や感情の変化に敏感に反応し、向き合うチャンスを、ふいにしてしまうかもしれない。

 

これはまるごと、占星術の文脈でも言えることだと思う。

逆に「獅子座なのに」「射手座なのに」といった、それにそぐわない自己イメージにこだわるパターンもあるあるじゃないかな。

 

この本『物語化批判の哲学』で提案されているように、

「キャラクターを試着してみる」ってスタンスならいいのかもしれない。

 

自分自身ならまだしも、

他者に対してこのまなざしが向けられることに

私はすごく「むむむ・・・」と危うさを感じている。

 

 

だから、今回のオファーにすごく葛藤を感じたんだな。

 

 

相手のことが「わかりたい」と思うのは、

対人ストレスに対する適切な反応。

攻略法をあらかじめわかっておけば、

お互いスムーズに関係性を結べるのではないか。

 

確かに、お互いが共通の世界観の「特定のキャラクターを演じている」ってんなら、それは安心材料になるし、「つながり」になっていいのかもしれない。

占星術を共通言語に持つワレワレが、あえてサインや天体で自己紹介をするように。

 

 

でも、できるだけスムーズでつるつるとした関係性をむすぶことで

お互いの生命力を発火させることはできるんだろうか?

 

相手を「点」で固定して、点と点でつながることへの「違和感」を

彼女たちは、それこそ生命をかけて、語り合っていたじゃないか。

 

 

点と点で、握手するようにその場で固定される関係性じゃなく

近づいたり離れたり、ためらったり失敗したりしながら、

そのプロセスをたどる「線」こそが、

いのちある関係性なんじゃないだろうか。

 

対人関係だけじゃなく

世界に対しても。

 

というか、世界への向き合い方が

そのまま他者との向き合い方に反映されるんだけどね。

 

稲垣先生は、『くぐり抜けの哲学』のなかで、こういう。

 

人がゲームに夢中になったり、攻略法をあらかじめ知っておきたいと思うのは

日常があまりにも「曖昧」だから。

その曖昧さのストレスを避けたいからなんじゃないか、って。

 

ゲームや攻略トリセツは、ルールがはっきりしている。

何が正解で、何が不正解か。

 

運命論(決定論、物事や出来事にはあらかじめ意味がある)に惹かれる根拠も、ここにある。

 

偶然の余白は、アンコントローラブルな展開を生む。

それって、とっても怖い。怖いことは、不安だし、不愉快になる。

 

私たちは偶然の余白に身を委ねるストレスを避けて

ゲーム的な生き方を求める。

ルールやトリセツがあって、

「より効率的」な「より自分に合った(正解に近い)」ルートがある

あらかじめ設定された性格、運命、使命…

という設定に惹かれる。

 

アンコントローラブルな、プレイ(遊び)を楽しむことを忘れて。

私は、プレイ(遊ぶこと)にこだわりたい。

それは、予定調和をひっくり返す展開を、楽しむということ。

そう、「わたしは天王星が効いているから」(笑)

 

ゴール/理想の未来像を決めて邁進するのもいいけども

流れに身を任せて、その瞬間瞬間の展開を楽しんでみたい。

占星術が、その楽しみの足かせになっている気がして、

ホロスコープやら月相を見ることをやめた。

 

自由になった。

 

自分の生き方を規定しているほんとうに強い規範力は、実在しないもの。

指向性、方向を決める力。

その方向に行くならどの道を通っても最後に行き着く先は同じ。

 

逆説的に、偶然の余白、アンコントローラブルな展開を遊んでいるうちに

より大きな「運命的」な出会いに気付いたりする。

 

因果の糸がもつれて、自由意志で動いているようで実は、

結局運命に導かれて、いるべきところに帰着していく。

自由に生きたほうが、そういう大きな力に取り込まれていく。

自分を方向づけている縁がくっきり見えてくる。

 

人は自由であるときに、宿命を見出す
自由に生きれば生きるほど、運命は紡がれる

 

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重ね重ね言うけど、

占星術を楽しむことを否定しているわけじゃないんだよ。

でも「みんな星にとらわれすぎじゃないか???」とも思う。

 

そしてこの展開でこういうのは、ものすごく矛盾しているように聞こえるだろうけど

また、占星術関連のプロジェクトが始動しそうな予感・・・・・!!!

 

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たぶん、ベースには、去年のこのプロジェクトがある。

おそらく前にもまして占星術」の基本構造を素材にしつつ

一般的に期待される「占星術」からは遠いものになるだろうと思う。

 

 

だって、隕石が落ちてきたんだもの。

そのタイミングでリアル隕石のニュース見て、確信した。

 

まだプロジェクト構想はまとまっていないし、芽生えの気配でしかない。

だから発表できることもないんだけど、この廃墟化しつつあるブログに戻って

隕石の気配を確認しにきた。

 

 

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。

ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。

 

絵描きの絵とかも一緒じゃない?

テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。

 

かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。

隕石としか言いようがないけど。

わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。

聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

 

「隕石ってのは、『遠くから降ってくる大事な感覚』のたとえだよ」 

 

 

そして私はこれも、「目に見えぬ約束」だと確信している。

 

「目に見えぬ約束」は、言語化(説明)することができない。

してもらうことができない。

人によっちゃそれをタマシイの抱く使命だとか天命だとかカッコイイ表現をする。でもそれは、生きているうちに分からなくて(言語化できなくて)もいいんだと思う。

 

なるようになる、といいますか。

 

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あれあれ、「隕石」のくだりを書いた過去記事を探してるときに

飛び出してきたこの記事・・・↓

 

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ここで引用していた長田先生の詩の一節。

 

いまから百年後に
君の家(うち)で、歌って聞かせる新しい詩人は誰か?
今日の春の歓喜(よろこび)の挨拶を、わたしは その人に送る。
わたしの春の歌が、しばし君の春の日に こだましますように。

 

君の心臓(こころ)の鼓動のなかに、若い蜂たちのうなりのなかに、
そして、木の葉のざわめきのなかにも、こだましますように。
いまから百年後に。

 

最近、考えていたことの応えだな。

過去からの、あるいは未来からのメッセージ。

 

われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

宮沢賢治

 

BIG MAGIC✨️

ゲニウスに誘われて、来たる隕石。

 

そして同じ波紋に揺らされた、小舟の仲間たちに出会う気配。

もう出会っている誰かかもしれないし、

初めて声を交わす誰かかもしれない。

 

『音楽は最初の一滴。それが波紋をつくる。

波紋が波紋を生んでいく。やがて、おおきな波となる。

波は大気を揺らし、星を覆い』

 

『そして、目に見えぬ、約束に届く』

 

ああ、そうだ。

小舟の仲間たちを新しいメロディを創るんだ。

 

われわれがメロディを発明するとき、

われわれがメロディを歌うというよりも、

メロディがわれわれのなかで歌うのだ

 

ーメルロ・ポンティ

 

メロディの「依り代」か。