遊び好きのたぬき

新しいプロジェクトが始動した💫

note.com

 

誰も来なくても一人で離陸するつもりだったけど、メンバーが予定より多く集まって嬉しい💖彼らはみな、タイヘンなヘンタイにちがいない!(笑)

 

明日は乗組員のみんなにタロットをひいて、アバターになるトーテムアニマルを決めるよ。

このプロジェクトでの自分を表す分身であり、相棒にもなってくれるはず。

 

私は、たぬき!

たぬき…のつもりで作ったけど、これアライグマか??

 

プロジェクトのなかではホロスコープを読んだり解説したりといった占星術的な取り組みはしないんだけど、これは【12枚のホロスコープを重ね合わせて読む】実験でもある。

 

重ねるっていっても、1枚ずつ、時系列に並べるんじゃなく。

12枚合わせて1枚の円環を描くなら?

時間的に前後する位置関係じゃなく、過去も未来もすべてを同時に見渡せるポイントまで視座を上げてみたら?

 

そこに何が見えるんだろう。

そんな挑戦。

 

ぽんぽん🍃🦝

新プロジェクト✪リリース!!※募集締め切りました!

note.com

 

気がつきゃその、2024年の春分も目前じゃねぇか!!

と募集記事を先に掲げる。

 

募集開始と同時に、使用ツール(noteの非公開記事、公式ライン、Googleフォーム、参加費手続き先)を整備するっていう・・・

 

普通は先に受け入れ体制整えるもんだけど、そんなことしてたら今年一年が終わっちゃう😂

 

ほんとならプロジェクトのテーマ画像とか、細かいイメージとか、標語とか、もっとちまちまいじりたい考えたいところなんだけど。

手元にあるものでブリコラージュさ。

 

これもいつぞや埋めて忘れていたプロジェクトの種。

starship.hateblo.jp

 

 



 

 

 

新プロジェクトのアイディアをねるねるネールネ

新しいプロジェクト↓について、アイディアをネリネ

starship.hateblo.jp

コンセプトはこんな感じ↑で、それを具体的にどう活動していくかってハナシ。

プロジェクト参加について

✯プロジェクト参加者は参加権(1000円)を購入する

✯参加メンバーは2024年の四季図を元にした1年の全体像、イメージを共有する

✯このイメージは年間予想、運気、各シーズンの開運アドバイスではなく、ひとつの人工宇宙として提供される

✯この人工宇宙を共有するメンバーを「クルー(乗船員)」、主催者とと子を「キャプテン(船長)」とする

✯クルーは1年間(2024年春分〜)固定のメンバーであり、「仲良し」になる必要はないがお互いが気持ちよく参加できるよう配慮すること(スクリーンの向こう側にいるのは、自分と同じ血の通ったニンゲンであることを忘れない)

✯クルーはメンバー限定の公式ラインに招待される

✯この公式ラインを、人工宇宙を出入りするプラットフォーム(母艦STAR SHIP)とする

✯クルーは公式ライン(母艦)を通して、船長より配信されるメッセージを受信、調査報告等を行う(公式ラインに返信されるメッセージは船長のみ閲覧可能)※活動内容については後述

✯クルー同士は直接友だち登録等やりとりする必要なし(希望があればみんなと相談して検討する)

✯クルーは特設宇宙用のハンドルネームとアバター(アイコン、イメージキャラクター)で活動する※アバターオリエンテーション時に決める

 

オリエンテーションについて

✯特設宇宙が開場する(春分)前にオリエンテーションを行い、特設宇宙の全体像等、活動に必要な資料を配布

✯資料は随時追加され、母艦からいつでもアクセスできる

✯クルーはハンドルネーム、自己紹介、アバターを提出

✯特設宇宙における自分の分身、アバターは船長のタロット(トーテムアニマルタロット)でひいて決めてもOK

✯船長がメンバー紹介ポスターを作成し全員に配布

✯最初の任務の発表

 

クルーの任務について

✯人工宇宙の中で自分の日常を意識的に過ごすこと

✯母艦からは節気(太陽の運行、ひと月ごと)に応じて探査して欲しいテーマ、課題が提案される

✯クルーは節気ごとに取り組みたい探査テーマを連絡する(母艦の提案するミッションでもいいし、個人的な活動に関することでもOK)

✯月の終わりに活動報告を提出する

✯活動報告は、艦内広報として全員分まとめて掲載される(クルーだけ閲覧可能な記事として発行)

 

 

公式LINE

友だち追加

 

 

2024年✪ホロスコープの特設宇宙プロジェクト【仮】

 

ダグラス・アダムスのコメディSF『銀河ヒッチハイクガイド』シリーズの第二巻、『宇宙の果てレストラン』の中に「電子的に合成された人工宇宙」というものが出てくる。といっても現実の宇宙とほぼ変わりなく、いつ入っていつ出てきたのかも(目の前が一瞬ちらつくぐらいで)わからないくらい、まったくおんなじ宇宙。

 

 

ただし、この宇宙では自分が無限の森羅万象の全ての中心であり、全宇宙が自分を中心に伸び広がっている。

 

「ここはきみに来てもらうために特別につくった宇宙だ。だから、ここではきみが一番の重要人物なんだよ」

 

実際の宇宙で自分の居場所といえば、無限の宇宙の無限の星、星と星の間の無限の距離に対して、目に見えない点の上の目に見えない一点で、無限に小さい存在なんだけども。

 

そいで、2024年の新しいプロジェクトを思いついた。

この「人工宇宙」を造って遊ぼうじゃないか!と。現実宇宙を模写した人工宇宙。

 

無限の森羅万象の中心点に据えるのは、我が母艦STAR SHIP。この船をポータルにして、2024年というトキの範囲で宇宙創生を試みよう。一緒に銀河ヒッチハイクをする乗組員(クルー)を募集しよう。


そう思い立って書きながらアイディアをネリネリすることにしたよ。

 

ホロスコープを入口に、特設宇宙へ遊びに行こう

『宇宙の果てレストラン』の人工宇宙は、ブリーフケースの中にあるスイッチひとつで現実宇宙と切り替えられる。私が使うスイッチは、ホロスコープ。現実宇宙の姿を写し取った、人工宇宙の入口。

 

この宇宙の範囲は、2024年の春分から、2025年の春分までの太陽が地球を(地球が太陽を)一巡りするまでのトキ。

 

まず中心地点、母艦STAR SHIPを設計する。
骨組みは2024年の四季図。4枚のホロスコープは、順番にめくりとられるカレンダーではなく、4つでひとつの骨格として設計する。

だから、「この時期はこうなって、次はこんな流れで、さらにこういう展開が予想されるでしょう」みたいな時間の捉え方はしない。

 

私たちの時間感覚を一本のピンだとすると、普段は過去⇨未来という一方通行の直線上に一本だけ刺してるわけだけど、このプロジェクトではそれを変えてみる。春夏秋冬1年のトキが全部描いてある一枚の絵の上に、ピンを刺すイメージ。


結局肉体的制限ゆえにピンはひとり一本、一箇所にしかさせないわけで、「なんだ一緒じゃん」って思われるかもしれないけど。ピンから見れば同じ宇宙(過去⇨未来と展開する時間の上に立つ宇宙)でも、ピンを打つ側からすればちょっと違うでしょ。

 

ピンの位置を自由自在に変えられるのは仙人レベルのマスターか、死ぬ間際のスペシャルボーナスだけ。それはこのプロジェクトで求めるところではないのであしからず。

とにかく、トキをバラバラに見るんじゃなくて、ひとつの生命体のように中心に据えてみるってこと。ワレワレは、同じ生命体のなかにうごめく各部位の細胞。各細胞の過去も未来も全部ひっくるめて、トキという生命体はある。

 

生命体で喩えるなら、中心にある母艦は心臓だ。どっくんどっくん、トキを刻む。ここに集合して、各自この宇宙専用のピンを手に取る。そして解散!特設宇宙にちらばるのだ!

 

 

2024年銀河ミッション

期間限定、固定メンバーで活動するオフライン型オンラインコミュニティ。

 

母艦からの無線連絡を聞きながら、クルー達は現実宇宙と寸分たがわぬこの特設宇宙にピンを刺しに行く。

母艦からの司令は、「特設宇宙で何を見たのか報告すること」。

クルー同士リアルタイムに顔を合わせたり相談する場を特に設ける予定はないけど、この広い広い宇宙のどこかに、自分以外にもピンを持って銀河を漂う仲間がいる、と思ってもらえれば嬉しい。同じ母艦からピンを引き受けた仲間。

 

母艦側では無線連絡の他に、集まった情報を掲載した新聞(メンバー同士でだけ見れるやつ、艦内広報みたいな)でも発行しようかと思う。

 

無線連絡手段として、noteのマガジンか、メンバーシップの機能を使おうかな。
1年間の固定メンバーは「仲良く」なる必要はないけど、お互い気持ちよく、安心して参加できるようにいくつかのコミュニティルールを設けようと思う。

 

最初にピンを配るときに、参加クルー自己紹介を交わそう。

リアルタイムでオンライン通信する予定はないから、テキストベースでのやりとりになるかな。ラジオとか雑誌の投稿欄みたいに。

 

そうだ!特設宇宙用の宇宙服(アバター)を配布しよう。顔を出すかわりのアイコンを。
タロットでその人の特設宇宙の仮の姿にふさわしいトーテムアニマルをひいてもいいし、自分で決めてもいい。

 

特設宇宙の活用方法

このプロジェクトは「参加すればこんなメリットがありますよ」「こんな目的をもってたちあげてますよ」みたいな文句は特にない。「なにそれ???」のカタマリみたいなまま、母艦は特設宇宙を展開することになると思う。

 

それでも・・・名越先生の言う「遠くの灯りに心が癒やされる」みたいな。
無限の宇宙のなかの無限に小さいひとつぶの光であるワレワレが、同じ母艦を出発して旅する仲間がいるんだという事実に癒やされるんじゃないか、と期待して。

 


www.youtube.com

遠くにポツン、ポツンと見える灯りが、自分以外の誰かもまた遠いところで一生懸命生きてたんだな、という感覚が、人の心を癒す

 

 

starship.hateblo.jp

↑ああ、3年前に思いついたアイディアだったか

 

それぞれが自分の人生の(2024年の)計画に照らし合わせながら、現在地や位置取りを確認する基地として母艦を活用してもらってもいいし。


いつもと違う視点で世界を見てみるきっかけに、宝探し気分で参加してもらってもイイ。

 

ホロスコープは読めても読めなくても大丈夫。
でも私のクセのある文章を読める人じゃないと辛いかも(笑)

 

私も私で母艦から飛び出して銀河ヒッチハイクを楽しみながら、そのときそのときで出会った本の紹介とか、タロットをひいて遊んでみたりとか、いろいろとお届けしたいな。星と星の無限の距離の間にたびたび起こるシンクロも、共有して楽しみたい。

仮説プラン

(1)クルー募集

少数精鋭の乗組員!
まだかっちりカタチの定まってないプロジェクトだけど、ふらっときてふらっと消えるようなメンバーがいたら困るなぁ。
1年固定のメンツで、ちゃんと調査も参加(ひと月に一度、個人的な振り返り程度のメッセージを送ってくれればOK)してくれる人じゃないと。となると、フリー参加じゃなくて気持ち程度の参加費(コーヒー1杯分くらい?)があったほうが安心かな。

 

(2)オリエンテーション

母艦の紹介。つまり、2024年のトキの全体像について共有。
用いるのはホロスコープだけど、占星術的解釈というより、もっと「トキ(時間、世界)ってこんなふうに見ることもできるよね」って視点を共有するのが目的。もしかしたら複数回に分けて、順次クルーに配信。


同じ船に乗る仲間、クルー同士の自己紹介も出港前に。これもオフラインのテキストベース、それぞれに提出してもらった自己紹介を配信型でお届け予定。

 

(3)母艦STAR SHIP推水式

2024年3月20日、出港!ここから先はそれぞれにテーマを決めて調査を開始してもらう。

(4)各自銀河ミッション実行

調査報告は太陽が移動する節気ごとに回収。

ひとつきを目安に、調査テーマを変えてもいいし、継続してもOK。

 

むずかしく考えなくていいよ!ただ特設宇宙の日常を、いつもより「意識して」生活してみるだけでいいんだから。その結果、何か発見はあったか、なかったか。何も変わらなくてもいいし、刺激的な発見や目覚ましい成長なんてなくてもいい。その日常を、共有できる仲間がいるよって実感してもらえれば。

 

(5)艦内広報発行

提出してもらった報告は、夏至秋分冬至にまとめて掲示!仲間への質問を盛り込んでもいいし、それに対する回答を書き込めるようにしようかな。

 

(6)現実宇宙への凱旋

この特設宇宙は2025年春分の前日まで。最後に振り返りをして、締めようかな。

 


このプロジェクトを実行するために、まずは母艦を完成させなければ・・・!

四季図をひとつの円の中に組み込んで、読んでみる。それから連絡ツール、広報誌掲示場所の整備。ああ、建造段階から誰かがいてくれれば心強いんだけど。

 

オリエンテーションの段階で送りたい宇宙アイテム「12の目」の使い方。これもまとめておきたい。各天体についての覚書も、余裕があれば・・・。

 

↓12の目の下書き

starship.hateblo.jp

 

書き出してみるとやっぱり少しずつとっかかりが見えてくるね!

 

 

このちょっと狂気的な遊びに1年間付き合ってくれる人がいるのかどうかは怪しいもんだけど、とりあえずクルー無しのひとり乗り航海であっても実行したい。

ノック、ノック、ノック!

ホロスコープを、12に区分された視点(目の付け所)の違い、とする。

目は2つで1組だから、6組の目ってことになるかな。

目が担当する役割、能力は「見る」ことにある。

 

ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ (ハヤカワ文庫NF)』によれば、ヒトの見る能力は下記4方向で発達する。

 

色覚は、敵や味方の感情や状態を感知するテレパシー能力。

目が前方にあるのは、障害物の先を見通す透視能力。

錯視は、その先起こりうる未来を見る未来予見能力。

文字が自然界のものに似たカタチなのは、人間の目が自然界のもののカタチを読み取るように進化してきたから。そして文字のおかげで人間は、他人の考えや死者の考えまでもリーディングしてしまう霊読能力を手に入れた。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

これをつのエレメント(火地風水)に当てはめるなら・・・

 

色覚、テレパシー能力=水

立体と遠近、障害物(問題)の把握、透視能力=地

錯視、可能性の肯定、未来予測能力=火

文字、情報共有、霊読能力=風

 

どっちにしろこの4つの能力は単体で発揮されるわけじゃなくて、常に同時に働いて(存在して)「見る」という行為が生まれている。その場その状況に応じて強調される能力にばらつきが出るってだけで。

 

1−7ペア、牡羊座と天秤座という視点は、エレメントの組み合わせで言うなら火と風。透視能力と霊読能力。可能性と情報の共有。

牡羊座「我という存在、現れるもの」に対して7天秤座の「他者の存在、観察者」。

 

このラインが基本の目。

いわゆる「見る」「見られる」の状態を示すライン。

光という存在があって、像を結ぶ網膜がある。ろうそくとスクリーン。スクリーンがなければろうそくの光はない(見えない、存在しない)。

 

私という世界は、私という世界を観察する目があって成立する。

何かが見えて初めて、見えるなにかがあって初めて、自分は見ていることに気付く。

映画を見るには映写機だけじゃなくてスクリーンがいるよね。

 

projector


あ、そういえば映写機ってPROJECTORプロジェクターって言うよね。プロジェクトの実行者。生命というプロジェクトを実行する牡羊座。かっけぇ。

 

なにはともあれ、まずは「見る」ことだ。網膜スクリーンに映すこと。存在を確認すること。ここがスタートライン。われわれ存在の世界に生きるニンゲンにとってのスタートは、だね。

 

始まりだから現れるんじゃなくて、現れるポイントを始まりとする、っていう定義。

 

starship.hateblo.jp

 

そして2-8ライン。にっぱち。にっぱちの法則。

パレートの法則(2:8の法則)は経済活動でよく引き合いに出される※けど、それも2-8ハウスらしいテーマ。富と金融に結び付けられるハウスだよね。

 

パレートの法則・・・あることがらの2割が、全体の8割を生み出している。100人いるお客さんのうち20人の人たちが、売上の80%に貢献してくれている、みたいな。

 

サインは牡牛座と蠍座、地と水。

色覚(テレパシー能力)と、立体遠近視野(透視能力)。

イロとカタチの把握。

 

1−7が存在を確認する(存在を存在たらしめる)ラインなら、2−8は必要とするものを求めるラインかな。それは根源的な欲求かもしれないし、現状を満たすための手段としての欲求かもしれない。どちらにしても、「なにが必要なのか」「何を求めているのか」にフォーカスする。

 

必要なもの、確保したいもの、手放したくないもの。

心地よさや安心、満足感をもたらすもの。

(「もの」に限らず、状況や状態でも)

それをじっと見据える目。

 

 

そして3−9双子座と射手座の目は、キョロキョロする。

風と火、霊読能力と未来予測能力。

最初の1−7牡羊座天秤座ペアも同じ組み合わせだけど、ホロスコープだと三区分の別のカテゴリーに分類される。1−7は活動宮CARDINAL、3−9は柔軟宮MUTABLE。

 

活動宮カーディナルは、その名のとおりカーディナル(主要、枢要、基本)。

目における、「見る」という基本的行為ですからね。

 

対して同じ火と風の組み合わせでも、今度は柔軟ミュータブル(変異)。

身の回りにあふれるメッセージを「見る」(読む)双子座。文字や記号を媒介として、記憶や記録、届かぬはずの存在との接点を見つけ出す、風の霊読能力。

水平線の向こう、遠く遠く海の向こうに伝説の宝島を「見る」射手座。それは未来の可能性。

 

存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の基本形、

「見るという行為そのもの、存在を存在たらしめること」からの・・・

 

存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の変異形、

「存在するもの、しないもの、両方の可能性を見る」視点。

「存在しているんだ」って最初の前提がぐらつかせちゃってるあたり、ミュータブル(笑)

 

 

ハウスの順番よりも、三区分の順序で見たほうがわかりやすいかな。

ぐらつかせる前の段階、固定宮FIXEDで火✕風の組み合わせは5−11獅子座と水瓶座

これが存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の完全版。

 

コミックとか小説の完全版、みたいな。

改めてまとめて、うん、これがこのシリーズのちゃんとしたコレクションなのだ、って出版される(提示する)版。

 

5獅子座は「自我」とか「オリジナリティ」ってキーワードが定番だけど、(自分という)存在をどこにFIXED(固定、定義)させるか、それを見る視点。

 

存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の基本形、

「見るという行為そのもの、存在を存在たらしめること」

存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の完全版、

「存在の確信」


存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の変異形、

「存在するもの、しないもの、両方の可能性を見る」視点。

 

「存在の確信」のためには、「存在を存在たらしめる存在の確信」も同時に必要なわけで。

つまりね

牡羊座の始まり、私が存在していることを確かなものだと肯定するためには、

天秤座による他者の存在、私を存在させるものもまた確かにそこにいるのだ、ということを肯定しないとできないわけ。

 

安定してフィルムを回し続ける映写機と、安定してその光を映像として映すスクリーンの存在、その両方を「しっかりとその場に固定する」。

 

それは映画というストーリーに夢中になっている観客の目。

映写機がある、スクリーンがある、ってその存在を気にするんじゃなくて、見てるのはそれが写した物語の中身。5−11ラインの目が向けられるのは、その中にある世界。

映画の物語に夢中になってその世界の中心に入り込む目5獅子座と、

映画を見ている自分がいる世界、という外側からの目。映画館側の目。

 

映画館に行って見るものを決めて席についた自分がいなければ、映画の中の自分もいない。映画を楽しむ自分がいなければ、映画館なんてそもそも行かない(そんな場所が存在しない)。

 

 

この3区分(基本、前提⇨完全版、確信⇨変異)をセットにしてまとめるなら、先に書いたにっぱちライン、牡牛座と蠍座は完全版。これこそ必要とするもの(重要)なのだ、を見定める視点。

その前後にあたる基本形と変異能力も見てみよう。

 

イロ(水)✕カタチ(地)の基本、4−10蟹座と山羊座

「これまでとこれから」を見る視点。

今どこにいて、それはどういった過去に支えられていて、これから何を目指すのか。

 

火✕風の単体としての視点じゃなく、自分を含む集合体の視点ってのが面白いところ。つまりこの目はオンラインミーティングの共有画面みたいに、特定のメンバーで同じものを見ている(見ようとしている)目。

 

自分の存在から始まって、存在の確信、存在の可否の可能性を受け入れる・・・って流れの火✕地の組み合わせに対して、

地✕水はそんな自分が「得るもの」「持つもの」「取り巻くもの」に注目しているのかも。

 

はじまりは、「我々はどこからきて、どこにゆくのか」。火✕風の存在をとりまくあらゆるものの動きやつながり。

 

イロ(水)✕カタチ(地)の完全版、2−8牡牛座と蠍座

「必要なもの、重要なものを求める」視点

これは自分をとりまく世界に対して、自分の存在の範囲内に何が入るのかってこと。取り分。その完全版が「重要なもの、必要なもの」。

 

そして大前提の、自分を取り巻く世界を揺るがす視点が、

イロ(水)✕カタチ(地)の変異、6−12乙女座と魚座

「分析と受容」の視点

 

自分が世界を受け入れるのか、世界が自分を受け入れるのか。

これまでがあって、これからがある・・・自分のいるべき場所、向かうべき場所があるのかもしれないし、そんなの全部ないのかもしれない。

 

 

ホロスコープの6組の目を通して、生きてみる。

生者(あるいは死者)の棲まう、このもろもろの世界を。

 

 

人によっては、あまり関心の向かない(使ってみる気が起きない)目もあるかもしれない。うまくピントが合わなくて苦労する目、平常運転で使っている利き目、年を経て見えなくなったり、逆に見えるようになったり。

 

いつもと違う目を開けてみれば、いつもと違う世界が見える。

違う視点で世界を見るきっかけに、ホロスコープのドアノブをまわす。

 

ハウルの動く城』の玄関ドアは、ドアノブのダイヤルを回して違う世界の扉に出てたっけ。あんな感じ。

 

ダイヤルがいっぱいついていて難しそうだけど、各部屋を覗くだけならそんなに敷居は高くないよね。

 

ドアはそこいらじゅうにある。別に自分の生年月日とか、特定のトキにこだわって調査しなくてもいいのかもしれない。

「原型」のドアノブだけでも、十分に遊べるし、刺激的だもの。

 

Ornate

 

それに、同時に全部の目を開けなくてもいいわけだし。

全部開けたら開けたで、次のドアノブが待ってるし(笑)

一回り外側のドアノブ、円盤。

 

外側の円盤(より大きな視点、意識)が重要かって言うと、そうでもないと思うな。どっちが重要ってこたない。ただ、内側にこだわってる限り外にはイケないってだけで。中のドア開けてないのに外のドア開けようと必死になるのもバカバカしいじゃない。

開いたとしても見えないし。

 

自由に行ったり来たり、できるのがいいねぇ。

私たちは一人一人が一つの実験なのだが、実験が何を試しているのかさえ私たちは知らない。

未来とはなにか

時間とはなにか

 

 

か〜ら〜の、

いのちとはなにか。

 

存在の理由とか根拠とか起源とかっていうよりも、事実こうして存在している(と思われる)いのちってのはなんなのか。

いのちの枠組みが生命でも精神でも意識でも人生なんでもいいんだけど、とにかくコイツはなにものなんだ?って問に対して…

 

 

それこそ要約的な解答は意味を成さないんじゃないかと思うんだよね。

 

小説というものは、誰々が何々をしてどうなったというふうに要約してみたところで、あんまり意味はないものです。

登場人物たちと一緒になってその世界を生きて、夢中になって読んでいる間だけ存在している。そこが一番小説にとって大事なことです。

 

 

ホロスコープが、ある人の一生分の物語を記しているからといって、「つまりあなたの人生(性格なり意味なり)こういうこと」と要約してもなんの意味も無いのかもしれない。

 

要するに、「要せない」ところに私らしさがあるのだから。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

じゃあ、ホロスコープを通して、読み手は何を読んで、聞き手は何を聞くんだろうって考えた時に…

一緒に登場人物になって、その一幕の中を「生きて」みることもできるんじゃないか、って。

 

starship.hateblo.jp

 

 

ニンゲンってなに?という問の答えを知りたいなら、ニンゲンを生きてみることだ。

姿形、行動パターン、特徴を色々と説明したところでそれは本当にニンゲンをわかることにはならない。

 

ニンゲンとして生きてみて、ニンゲンの中から世界をどう見ているのか経験して、他のニンゲンと触れて、何が起こるのか発見していくこと。

 

人生ってなんだ、いのちってなんだ、宇宙ってなんだ、も同じ。

家族ってなんだろう、愛ってなんだろう、も同じ。

 

こうあるべきだ(=こうあるべきではない)ってモデルがあるわけじゃない。

あるべき姿もそうでない姿も、どっちひとつの可能性として存在しているわけでしょう。

てことは、どっちも答えの一部だ。

 

 

生きることを通して、私は「生きているってどういうこと」を経験しようとしているのか、と思った次第。私にとっては深遠な問いでも哲学的思索でもなく、ほんとうに、ただ、「いのち(トキ)ってなんだ」なんだ。

だから、トキを生きてみる。

 

 

笑ったり、怒ったり、うんこしたり、落ち込んだり、バカやって情けなくなったり、無気力や自暴自棄になったり、うんこしたり。

 

 

それは、

明日、また明日、そしてまた明日と、

記録される人生最後の瞬間を目指して、

時はとぼとぼと毎日歩みを刻んで行く。

シェイクスピアマクベス

繰り返し繰り返し、めぐるなにか。

 

二度とない一瞬の、繰り返し。

なんて美しい矛盾!!この矛盾こそがいのち(トキ)の本質なんじゃないかって思うよ。

 

 

人生は歩く影法師。

束の間の灯火、哀れな役者、白痴の語る物語。

 

starship.hateblo.jp

 

 

この舞台をステージの外側から見ている観客ってのは、誰でしょうかね。

文字通り上の次元の存在(視点の外側にある視点って意味)で、神さまが見てるって表現でもいいのかも。

 

それはたったひとりの観客といいますか、たったひとつの世界そのものといいますか。

 

私という演者からすれば、私を見せる相手は同じく舞台上で出会う他の演者じゃあないんですよ。

 

あくまでも、観客は舞台の外にいるわけで。

 

この舞台(地球)にあがったキッカケは人それぞれのようだけども…

私はね、そのたったひとりの観客を、めちゃくちゃ楽しませてやろうじゃないの、って、思うのね。

 

 

いつか舞台を降りるとき

 

「うわー、見応えあったわぁぁ。おもしろかった!!!」

「いやぁ、あのシーンはね…」

なんてアフタートークで盛り上がりたい。

 

starship.hateblo.jp

 

「どんな競技にも同じことが言える。その競技は、行われているその瞬間にしか存在しない。俳優の仕事だって一緒。人は現実に行われたゲームのことしか知りようがないし、自分が知る世界のことしか知りようがないのよ」

トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー

 

私たちは一人一人が一つの実験なのだが、実験が何を試しているのかさえ私たちは知らない。

惑う星

 

というのもね、この記事の下書きを書いて眠りについたんだけど・・・

んまぁ、・・・見るわ見るわ(笑)

隣のベビーも眠りが浅くて1時間おきにふぎゃふぎゃ。

 

そのなかで面白かったハナシ。

ニンゲンを図示して教えてあげてるんだけど、その図が私たちが普通思い描く絵姿じゃないのね。

 

円筒がまず中心にあって、そこに円錐が重なってるイメージ。

関節部分に円錐のとんがりがあって、お花みたいに重なってる。

目が覚めてから(目が覚めたという夢の中で)解釈していたのは、あれは「動き=時間」も含めて図示しているからなんだって気づいた。

 

私たちの描くニンゲンの図は基本、3次元の二次元化でしょ。

それを、動きも含めて描くと、例えば肩から先の腕は可動域ぐるんと円錐形に描かれるわけ。だから、4次元的な表現なのかな、って。

 

 

うまく再現できないけど・・・

↑かなり単純化した図、円錐のお花が重なってるみたいで。
ニンゲンと植物は、やっぱり似てる!!!っておもったんだよね。

世界各地の伝承、神話、信仰で、植物(樹木)がニンゲンと兄弟、ニンゲン的な存在として扱われてるのも然り、って感じ。

実はすごく似てる。

 

上の図だとひとつずつの円錐で繋いでるけど、実際はこれが全方位に展開してて。関節の位置Aのとる可動域に対して次の関節の位置Bの可動域、みたいな。

だからこんな人形っぽくは見えない。

 

時間を含めた次元の世界の見え方って、想像しているよりもっと・・・「違う」様相なんだなって、夢の中で思った、そんな不思議な夜でございました。

 

 

書いてて思い出した。

先週図書館で借りた絵本。

昔イチくんが小さい時一緒に読んでたなぁ♡って見つけたとき懐かしくなって借りてきたんだけど。

 

子兎バニーが、ある日ふと「逃げたく」なっちゃって、ママに言うのよ。「ぼくにげちゃうよ」って。

 

川魚になって逃げちゃうよ。

あらあら、じゃあママは釣人になってあなたを釣り上げちゃおうね。

ママが釣人なら、山の岩になってにげちゃうよ。

じゃあママは登山家になってそこまで登ろうかしら。

 

ヨットになれば風になって帆を押し、鳥になれば大きな木になり枝を広げて帰りを待つ。何になったとしても、ぼくはぼくで、ママはママ。

なーんだ、じゃあいつもと一緒だ。じゃあぼくはママのこどものバニーのままでいいや。

さぁぼうや、ニンジンをおあがり。。。

 

そんなお話なんだけど・・・

あ、これ宇宙のハナシだったのか。

ってブットビ解釈が飛び込んできた(笑)

 

 

何にでもなれるし、何になったとしても、ママはママでぼくはぼく。日常の中に、非日常が生まれては消え生まれては消え、どっちがどっちでも同じ。

 

 

それにしても、昨夜は久々に「恐怖」した。

子どものとき感じた恐怖。何十年ぶりだ。

 

永遠に共有されることのない「今」…そう考えると、時間の中に生きている限りニンゲンは孤独な存在だなぁ。。

 

starship.hateblo.jp

 

夜に落としたこのライン↑がトリガーになったんだな。

「永遠」に対する恐怖っていうか。

 

コワイってのとちょっと違うかなぁ。

 

底が見えない、海の深いポイントで水に入ったときに感じたあの恐怖に似てる。足がつかないのはもちろん、光が届くギリギリ向こう側まで目を凝らしても何も見えない感じ。

 

死ぬのがこわい、未知がこわい、孤独がこわいってのとも違う。

なにがこわいっていうか、「こわがらないといけない!」ってこわがってる感じ。こわいを手放すのがこわい、みたいな。もしこわがらなかったら、私は向こうに吸い込まれてしまう。

 

 

幻であるもろもろに、「かなしい」って感じた。

「愛(かな)しい」。悲しいというか愛おしいというか。

 

 

仏教の「慈悲」でいう「悲」は、苦しみを取り除くって意味があるらしい。仏教的に言えば苦しみは全部幻(への終着)が由来だって説くわけだから、なるほどだ。

全部まぼろしだ、と思った時の悲しさ、愛おしさ。

救いは、かなしさと共に。

 

 

昨夜は、とにかく、そんな感じ。

ブログは相変わらずクレイジーだけど、私本人も相変わらず俗にまみれて堕落気味の熟したおじさん系おかんですからご心配なく!

 

なんでかな??と不思議だったんだけど、そういえばフィッシー𓆝な新月でした。魚(うぉ)!!

 

 

そして星の読書会、またしたいしたい𓆝とピチピチ魚が跳ねる。

starship.hateblo.jp

2年前だったかぁ・・・!!!

 

非リアルタイムのオンラインでできやしないかと。

そう!!往復書簡↓的な!!!

 

 

starship.hateblo.jp

 

 

船ができあがってないのに、乗組員募集するのってどうよ??って思って全然発信できてないんだけど。

 

 

例えば四季図を母艦に、乗組員はそれぞれ自分の海域をサルベージする。

引き揚げたお宝を見せ合う。

このあたりが【星の読書会】のコンセプトともつながるんだけど。

 

この状態と動きを基本の骨組み(大雑把な全体像)として1年という範囲で縁取ったトキのシルエットの「姿(どんな姿をしてどんなふるまいをするのか)」を読むのが四季図。

そのトキの影の中に蠢く細胞たちがワレワレ。

 

starship.hateblo.jp

 

だけど今度は、解釈したり結びつけたりはしない!

ただ漂ってきた連想の、浜辺に打ち寄せられた漂流物みたいなナニカを共有してみるのも楽しいんじゃないかなって。

 

例えば・・・

私が四季図の大きなシルエット(海図)を出すでしょ。

そいで乗組員が季節ごとにそれぞれ担当海域に乗り出すわけ。

アストロダイスで割り振ってもイイし、ネイタルを元に決めてもイイ。

なにか個人的なテーマやイメージを持って、自分の船(日常)に戻る。

 

そんでどこかに区切りを設けて、母艦に調査報告をする。

それは文章でも絵でも写真でもいいんだけど。

私はそれをまとめて会報として発行する。

 

乗組員はみんなそれぞれの海を航海しているから、しっぽり顔を合わせたり言葉を交わす機会はめったにないかもしれないけども、会報を通して同じ海域を調査する仲間。

 

そうだな、四季図の1年。

1年間固定のメンバーで。

 

これを今年2024年でスタートしようと思うと急ピッチで内容を固めないといけないな。。。募集も間に合うか。

そうだよ、船がまだないのに乗組員を募れるのかって問題。

 

ああ、でもおもしろそう。

このプロジェクトについてはは別記事で改めてケンショーしよう!!

 

「俺たちは本というものを解釈するだろ? それは本に対して俺たちが意味を与える、ということだ。それはそれでいいよ。本というものが俺たちの人生に従属していて、それを実生活に役立てるのが『読書』だと考えるなら、そういう読み方は何も間違っていない。

 

でも逆のパターンも考えられるでしょう。本というものが俺たちの人生の外側、一段高いところにあって、本が俺たちに意味を与えてくれるというパターンだよ。

でもその場合、俺たちにはその本が謎に見えるはずだ。だってもしその謎が解釈できると思ったなら、その時点で俺たちの方がその本に対して意味を与えていることになってしまう。

 

それで俺が考えたのはね、もしいろいろな本が含んでいる謎を解釈せず、謎のままに集めていけばどうなるだろうかということなのよ。

 

謎を謎のままに語らしめる。そうすると、世界の中心にある謎のカタマリ、真っ黒な月みたいなものが浮かんでくる気がしない?」

 

 

 

時間は幻、トキの記号ホロスコープを眺めながら改めて実感。その幻をどう扱うか…ってのはまた別のハナシ

2024年の四季図を並べて興奮。

秋分まで目を通したところでベビが起きちゃって冬至をまだ見れてないんだけど…

 

やっぱり春分秋分は裏表なんだ!!と感動。

便宜上、秋分が裏だけど、それは「存在の現れ」である春分を起点にしているからであって。

 

「始まり」って言ってしまうと絶対的(固定的)なスタート地点のように思っちゃうけど、円環に始まりも終わりもないわけで。

これはあくまでも「ここを始まりとする」っていう視点を前提ルールとした身内ネタ的「始まり」。

 

んで、なんで「始まり」と訳されるかというと、それは「存在の現れ」を示す場だから。

 

始まりだから現れるんじゃなくて、現れるポイントを始まりとする、っていう定義。それか春分

 

 

「存在の現れ」が「存在している」状態になるのは、その存在を認める(キャッチする)ものが必要。

光があっだとして、網膜でそれをキャッチしなければなにも見えないし、見られることはない。

空気が振動していたとしても、その振動によって揺らされる鼓膜がなければ音は聞こえない。揺らすものは、揺らされるものがあって初めて「振動」として存在する。

温度とか、匂いとか、時間だってそう。

 

動かされるものがなければ、動かすものもないし、触れられるものがなければ触れるものもない。

 

右があって初めて左がある、みたいな。

 

 

そいで牡羊座が、光が存在を現すポイントだとするなら、その光を受け取る網膜が天秤座だ。どう見るか?その光に何を見るか?

 

光そのものに色はないけど、光を受け取った網膜がその振動数に応じて色分けして「見て」いるように。

 

牡羊座と天秤座の同時進行のやりとりから生じる「何が見えるか」の横軸が牡羊座と天秤座、春分秋分

 

そこに縦軸、蟹座と山羊座夏至冬至

同じく人体で例えるなら何を感じて、何を求めるのか。状態に対して、動きの部分ですな。

 

この状態と動きを基本の骨組み(大雑把な全体像)として1年という範囲で縁取ったトキのシルエットの「姿(どんな姿をしてどんなふるまいをするのか)」を読むのが四季図。

 

 

そのトキの影の中に蠢く細胞たちがワレワレ。

 

 

で、そんなふうに読んでみると、春から始まって、夏、秋、冬…って展開として見るんじゃなくなってくるんだね。

 

線状の時間の流れじゃなくて、ひとまとまりの存在としての時間っていうのかな。それこそ物理的な※リアルな時間。

 

 

※「実感」してる時間は直線的だけど、時間そのものは(超ざっくり言えば)過去も未来も同時に存在しているから

 

 

 

ある一点から見ればそれは過去で、別の一点から見ればそれは未来。

永遠に共有されることのない「今」…そう考えると、時間の中に生きている限りニンゲンは孤独な存在だなぁ。。

 

 

寝る前のメモ。

そのうち解説くわえてリライトしよう。