占い、リーディング、というと神秘的なご神託、神がかり的要素ばかりイメージが先行してしまうけど、そうじゃない部分に私は惹かれて追及してきたんだと思う。
科学的かどうか、数学的根拠があるのかとか、そういうことじゃなくて。科学と神秘が違う立場で物事を見ているんだから、そこは辻褄合わせは必要ないと思ってる。
どっちが正しいのか、という目で見る限り永遠に「こたえ」は出ないだろうし。それって異文化理解、国際理解の前提と一緒じゃないかな。
外国語に限らず同じ母語話者だってそう。使ってる言葉が違う。言葉の使用目的が違う。そうなると何を言っているのか分からない、何が言いたいのかも分からない。
相手が違う前提の上にいる、ってことに気付かないと、異文化コミュニケーションは難しい。「前提」とか「常識」ってやつはやっかいで、ほとんどが「暗黙のルール」見えない論理(無意識)に支えられている。
そや、向こうさんの前提で見ればコチラの表現は「不正解」かもしれない。コチラの前提そのものも「不正解」なのかもしれない。
『占星術は「真」か?科学的見解はこう!』
私はこの、占星術は「偽」なり、という主張も一理あり。だと思ってる。
地球の位置に関して言えば、理屈としてはそれを補うような占術(ヘリオセントリック)もあるにはある。
私は占星術のリーディングは学習プロセスの自覚化、自己分析のツールみたいなもんとして使っている。もちろん、未来予測的な使い方もするけど、「もしこういうパターンが訪れるなら、自分はどんな態度で臨むのか、どんな行動をとろうと思う?」という問いかけだと思ってる。
この問いかけは「今の前提」に沿ってる必要は全くないし、むしろ突飛な結果やシンボルが出てきた時こそ「選択する力」をつける問いになる。
神秘の世界には、「正解」がない。
正解がないという前提を、「真か偽か」という前提のある現実世界、科学のフィールドに持ち出すのは結構タイヘンな作業だと思う。でも私たちの肉体は現実世界に生きてることに変わりはないから、「自分の頭で考えて」「選択して」「行動する」しかない。そのきっかけが神秘的世界からのメッセージや問いかけだったとしても。
訳が分からないものを突き付けられた時、ニンゲンはどう反応するのか。
たいていはひじょーに不快なのだ。自分の前提を脅かすかもしれないとなれば、不快極まって相手を攻撃するか、考えることを放棄するか、拒絶して避けるか。Fight・Freeze・Flyの原則?
でもニンゲンの学習能力ってのは、そのワカラナイことに敏感に反応するようにできているらしい。赤ちゃんとか小さな子ってのは、ワカラナイことに積極的に働きかけて、そのフィードバックから学習する。成長する。先の次元に進化する。
ワカラナイことってのは、正解がない世界。
生きていくうえで必要なのはワカラナイ世界に向き合う力。いくら科学的見解に立っていても、ここんところには同意してくれるだろう。