自分の軌道を大きくしていく

【暦の術プロジェクト】に新しい記事放り込んだよ!

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さてさて今読んでいるのがね、比較宗教学をやさし~く、かつ挑戦的な口調で(笑)教えてくれる本。たまらんね、おもしろい(≧▽≦)

 

 

日本は真剣に宗教を取り上げていないから、いろいろと「ぶっとんだ勘違い」イメージが先走ってることが多いのよね。だからスピリチュアルがカルトすれすれな「思想」になることもあるんだろうね。

 

 

占星術を学ぶとなると、やっぱり思想や宗教はすごく参考になる。

そんで読みながら思ったこと。

 

ホロスコープを読むとき、タロットもそうだけど、「未来をどうとらえるか」は二通りあるなって因果論的なアプローチか、目的論的なアプローチか。

 

 因果論的なアプローチ

ホロスコープを活かす」「星(のエネルギー)を使う」という視点で見るのは因果論的アプローチ。原因と結果が連続して結びついているって前提の世界観。起点の状態、働きかけが最終的な方向を決める。その起点部分にホロスコープを持ってくる。

最近はこっちの考え方が人気。

 

目的論的なアプローチ

西洋占星術のベースの思想が西洋哲学だってことをふまえると、こっちがもともとの考え方だったのかも。結果がまずあって、起点がどこであれ過程が何であれ最終的に行き着くポイントは同じ。運命論って言っちゃうとレールの上を走らされる変更不可能な定めってイメージが強いけど、見方によっちゃ因果論よりも自由度が高い

誘導ミサイルみたいなイメージ。起点も、過程も、最終ポイントに行きつくまでの風景はかなりバラエティに富む。

因果論って、どんな環境下でどんな角度でどれだけの力加減で撃つかで、その軌道と的は決まってしまう

 

「なになに座だから、こういう性格」って見方も因果論的じゃない?

 

運命論に反抗して「私たちが運命を作る側にある」とするアプローチが、全く逆に未来を先に決めちゃう視点になっちゃうんじゃないかって思ったの。

 

最初に据えられた「結果」ってのは私たちの思い浮かべる「具体的未来」とちょっとピントが違ってて、もっと抽象度の高い大きな大きなイメージだとしたら?

 

因果論的に「未来を自分が決める」んじゃなくて、目的論的に「今と未来に至る軌道を自分が決める」って視点も、意外に愉快でおもしろいなって思うんだけど、きっと共感者は少ないね(笑)

 

「自分が創造主」「自分が未来の作り手」って考え方が「善」、ってのが昨今の主流ですもんね。もちろんそうなんだ。行動や結末を他人や外部に委ねて思考停止・行動しないのはもってのほかだと思う。

 

でもちょび~っとだけニュアンスがちがう。

それがどう違うのか、まだ整理できてないけど。

 

 

自分軸をもつ、とか自分らしさをうんたらってのもそう。そこの感覚の違いが関係しているのかな!中心を決めてそこから成長していくってのじゃなくて、層を重ねながら(それこそ太陽系の星々の軌道をなぞるように)自分の範囲を大きくしていって、結果的に内側にできる空間が中心になる、みたいな。

 

ってことは、もともと無いんです。ワレワレの存在を肯定する根拠ってやつは。生まれてきた理由?天命?使命?運命?そういったのは、全部もともと無かったんです。

 

無いものを「ある」と仮定してそれについてコトバの限りを尽くしているんです。あ、仕組みとしては、ですから。占星術って言う言語の仕組みね。

占星術の仕組みに立ち返って言えば、「この瞬間、このホロスコープを選んで生まれてきた」なんてことはなく、逆に生まれてきたことに対する理由付け、神秘、を証明するためにホロスコープを使って語ってるんだよ。

 

なんていうのかなぁ。

その「根拠がある世界」を共有するために作られた人工言語が、占星術ってこと。それが「ある」と仮定している世界観。

 

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中心は空っぽなの。空っぽの部分について語るコトバ(食べるとこ)があるから、空っぽはそこに存在できるってわけ!

絶対的な肯定を一生懸命説明することで、絶対的な肯定を浮かび上がらせようとしてる。それをやってのけたのが、ドーナツ、いや占星術って言いたいの。

 

ドーナツがピンとこないなら、パティオはどう?

壁で囲うことで、その内側は何もないままでも中庭として建物の一部に「ある」ことになるじゃん。占星術愛好家は、占星術っていう壁で仕切った内側のパティオで楽しくお喋りしてるんだよ。

 

占星術を学ぶってのは、この楽しいお喋りができるパティオの参加権を手にするってこと。

 

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ある「言語」を学ぶってことは、その言語でしか表現できない“世界との接点”に触れるチャンスを手に入れるってこと。冒頭の一文に戻ってきた。

 

パティオの参加権、世界との接点に触れるチャンス、そこまで。

その先には自分で見に行こうとしなけりゃ見えないってハナシ。

 

んで、占星術の「その先」ってのが、この人工言語設立の究極の目的で。その目的は存在の絶対的根拠を肯定すること。そんでもって、それは「ない」ことが前提になってるってこと。

 

だからそもそも「ない」ってことに気付くってのが、占星術を学んだ「その先」なんじゃない?って私は思うのね。ドーナツの穴は、穴だった。

 

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パティオが、パティオで語るコトバが、自分の存在の根拠を肯定してくれるゆるぎない真実だと思うのは間違ってるとか、イケナイことだとは思わない。

生でむきだしの世界に線引きをして、壁に守られるころで、安心して語ることができるってのはダイジなことだと思う。

 

でも私は「その先」も提案したい。

わざわざ「絶対的に自分や自分を含む宇宙の存在を肯定してくれる根拠」を必要としなくなること。あなたが生まれてきたことにはこんな意味がある、とか使命がある、なんてわざわざコトバにしなくても、わざわざ肯定しなくても全く気にならない世界

 

肯定するものをわざわざコトバにしなくても、それを否定するものがそもそもなかった、って気付くこと。

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「自分」の大きさをどんどん広げていく。「自分」に含まれる軌道を広げていく。

 

 

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「自己肯定感」「自己効力感」と、自分には現実を思い通りに動かす力があるという「万能感」は全く別物。

 

万能感なんてなくても現実を動かす自分のチカラへの確信は持てるんだよ。

 

 

ああ、そうか。万能感とコンプレックスは表裏一体か。

母と一体の万能感。月の幻。

自己肯定感の源でもある、月の層。

 

月の万能感は幻だけど、現実を動かす自分の力もまた、月にある

 

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そういうわけで今月は月をより強く感じるこの企画!!

豊饒の海でございますよ。

 

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