『持って生まれたもの、個性』というと、定まった固定的なものをイメージしてしまうけども、ホロスコープはもっと四次元的というか奥行きのある流動的な『生命力の質感』を記号化したもんなんじゃないかって思う。
私はそれを『物語』として読むのが好きなわけで。
生まれた瞬間に割り振られた『物語』を、その人がどう現実に反映させてどんなふうに味わうのか。
それは固定的なものにはなりえないし、トキと立ち位置、本人の選択する空間と時間座標の点によって変化し続ける。
空間と時間の点P、それが宇宙なわけで。
セカイと宇宙と断面図|珠楽(tamarack)とと子|note
そして彼女の詩のパフォーマンスを思い出した。
Sarah Kay: If I should have a daughter ... | TED Talk
「ガラス底ボートからのぞく人の心のなかにあるほんの小さな銀河」を、私は『物語』にする。
彼女がこのスピーチで「詩」と「表現」についてはなしているけど、それってつまり「コトバにされるためのコトバ」。
コトバで何かをしようっていう、目的を持った道具的なコトバじゃなく、ただ表されることそのものを目的とした純粋なコトバ。
君自身に還れ。自分の声を聴け。 - ことばのおもしろさ研究所
自分の声(内側の世界)に耳を傾ける。
それは自分自身に還るということ。
それは自分を癒やすということ。
「汝、自身を癒せ」とバッチ博士が言ったように。
プラスの指標もマイナスの指標も含めて、流動的な自分の世界をそのまま真っすぐ受け入れること。
受け入れる、認める、ってのは、「肯定する」「賛成する」ってのとちょっと違う。
それがイイとかワルイとかでなく、ただ「見たママを描写する」ように落とし込んでいくってこと。
そうだ、内田樹せんせが「祝福」についていってたこと。
目にうつるそのままの姿を、そのままに描写すること。写生的に表現すること。それがスバラシイとかイダイだとか価値判断抜きにね。記述すればするほど、記述しきれない「ナニか」が浮かび上がる。そのコトバにできない尊い「ナニか」を伝えようと、コトバを尽くす。それが祝福なんだ、と。
ああ、もうこれってそのままホロスコープじゃない?
記述できない(情報じゃないから)尊くて愛おしいナニかを、記述する。
それは「ナニか」を限定するもんじゃないの。
逆だよ、限定しきれない無限の広がりを持つナニか(私という存在)を表現してるの。祝福してるんだよ。
祝福は、祈りでもある。
祈りは「こうありますように」とか「こうだったらいいな」っていうお願い事と違うよ。
これは「全託の祈り」。
運命愛、Amor feti。
自分を信じて、世界を信じて、時と空間(=宇宙)の座標Pにいる自分を、宇宙そのものに委ねる姿勢。それが祈り。
宇宙を含めた自分の存在を肯定する姿勢。自分の物語を祝福する。
これぞ生命賛歌!!
そして祝福(祈り)はタマシイの浄化する、鎮魂の儀でもある。
「物語」を語ってもらうことで自分を取り戻し、鎮魂される小さきモノたちの物語↓
ちょっとメタな世界観、展開に『マギ』を思い出す…
「世界の始まり」にまで拡がるストーリーに、最後は目が回りそうだったな(笑)
2023年、もう占星術は「過去の趣味」になるやろうと言っておったけども、「物語」ってキーワードは相変わらず私の中でBinBin音を立てて回転しているようで。
あぁ、読みたいなぁ、と思いながら…
やっぱり
『この世界の全てが伏線』なんだな、と思う今日このごろです。
星をなぞる癒し※最後にプロジェクトのお知らせあるよ - STAR SHIP☆星読み航海図
どこに繋がっていくんだろうね。