「本当の自分を知る」だとか「自分らしさを輝かせる」ってキャッチコピーで悩める子羊たちを惹きつける占星術。その占星術をメインテーマに取り扱うブログではございますが、私は(これまで何度も書いているように)
本当の自分・・・?
そんなものは、ねぇ!
って視点で占星術を取り扱っております。
「分かった気になってスッキリする」ってのを、
私は求めてないし、提供したいとも思わない。
占星術のニンゲン観で言えば・・・
自我=私らしさの発見、自意識の確率がテーマになる太陽の年齢域は25~25歳。その手前(15~25歳)に金星の年齢域があるわけで、金星のテーマのその先に「私らしさ」を見つけるってことになる。
金星ってのは、感受性の星。自分の中に受けとめた、関係性の中に喜びを見出すチカラ。金星⇒太陽への切り替え時に、向き合わねばならんのは「私の中にあるたくさんの受け取ってきたもの」たちなんだ。
ストレートに喜ばしいもんかどうかは関係なく、私は思ってたほど私の「意志」で生きてきたわけじゃない。たぶん自分で思ってるよりはずっとずっとずーーーっと、他者や経験からつむがれてきたいろんな「関係性」の網の影響の上に、私ってやつはいる。
それは確固たる私らしさ、ってやつとちょっと違う。
ある程度パターンがあったり、ただ社会の価値観を映し出してるだけって部分も多い。実は、家族仲だとか「完全にプライベート」だと思ってる部分にも、社会の仕組みでパターンが決まってるって発見もある。
そういうパターンについては「構造主義」って分野がオモシロイんだよ( *´艸`)
⇧コトバだって、コトバそのものに意味(個性)があるんじゃなくて、パターンと外側の仕組み・枠組みで決められてるんだよ、ってのが構造主義で有名な主張。
私は占星術を構造主義的な視点で遊べたら、もっともっと「発見」がたくさんあって、視野が広がって面白いとおもうんだけど、それはまた別のハナシ。。。
さてさて
実は枠組みやパターンで決められている「自分らしさ」に気付くこと、たくさんのものを受け取って自分がいるってことに気付くのが、金星年齢域の卒業課題。コドモからオトナに一歩踏み出す、境目。
その上で、自分は何を選択する?どう生きる?その関係性に、どう応える?
その先に「私らしさ」が結果的に見えてくる。
結果的に。
「自分らしさってもんがあって⇒その影響でいろんなことがあって⇒今の私がある」んじゃなくて、逆なの逆。
今の私の選択、過去の私の選択、これからの私に何を見ようとするのか?その点々を、自分が繋ぐ。星座(コンステレーション)を、自分でつくるんだよ。そのプロセスを含めて結果的に立ち現れるのが、「私らしさ」なんじゃないかな。
私は、そういう視点。
Life isn't about finding yourself. Life is about creating yourself.
人生というのは「自分を見つける」ことじゃない。人生とは「自分を創造する」ことなんだ。
自分らしさの象徴とされる太陽が担うキーワードは「創造力」。自分の手で創らんば、自分が自分を演出せねば。最初から「私らしさ」が準備されてるわけじゃないんだよ。
じゃあ占星術の「出生ホロスコープ」は何を指し示しているのか。
あれも、「自分の持って生まれたパラメーター、各項目の特徴」として学んできたけど、今はそう思っていない。
単純に、物語。
星のコトバで語られた、物語なんだと思う。
それは、あなたはこういう特徴を持っていて、こういう才能があって、こういう人生の青写真を持っています…っていう「情報」じゃない。これは情報じゃない。
星から語りかけられた、物語の読み聞かせ。
それを自分が、自分のいのちを通して改めて語ることで、物語にもいのちが吹き込まれる。そしてそれが、真実になる。
物語は、語り手が喋ればそれが真実になる
今コレ読んでるんだけど「神からかけられるコトバ」と「人が答えるコトバ」、この双方向のやりとりがあって、コトバのチカラは発揮される(⇒言霊、信仰心の元型)そんなようなことが書いてあったんだよね。
神からの語り掛け、生まれた瞬間のコトバ、それが出生ホロスコープ。でもそれだけじゃ、そこからは何も生まれない。
だって、これは「情報」じゃない。「予定」でもない。星を散りばめて語りかけられた祝福のコトバだよ。
そうだ、内田樹せんせが「祝福」についていってたこと。
目にうつるそのままの姿を、そのままに描写すること。写生的に表現すること。それがスバラシイとかイダイだとか価値判断抜きにね。記述すればするほど、記述しきれない「ナニか」が浮かび上がる。そのコトバにできない尊い「ナニか」を伝えようと、コトバを尽くす。それが祝福なんだ、と。
ああ、もうこれってそのままホロスコープじゃない?
記述できない(情報じゃないから)尊くて愛おしいナニかを、記述する。
それは「ナニか」を限定するもんじゃないの。
逆だよ、限定しきれない無限の広がりを持つナニか(私という存在)を表現してるの。祝福してるんだよ。
「個」というものは、実は無限な広がりを持っているのに、人間は自分の知っている範囲内で個に執着するからね。私はこういう人間やからこうだとか、あれが欲しいとか。
「個」というのは、本当はそんな単純なものじゃないのに、そんなところを基にして、限定された中で合理的に考えるからろくなことがないです。前提が間違っているんですから。(笑)
私たちはみんな、生まれてきた瞬間に等しく祝福のコトバを受け取っている♡
私が色んな人の出生ホロスコープを眺めることが好きなのは、それが「当たってる!」とか「タメになる!」とかそういってほしいからじゃないんだわ。
私がね、それぞれに送り届けられた祝福のコトバにジーーーンとしちゃう、あの感覚をまた味わいたいから、なのかも。尊さと、愛おしさと、感動。
そのうち再開するよー、っていいつつ、のらりくらりと避けてきたこのプロジェクト・・・(;^ω^)だってさ、「情報」を求められたくないんだよ。ロマンに胸いっぱいになるあの楽しさが、興覚めしちゃう(笑)
これ、私の遊びだからね。シュミ。
ビジネスとかショーバイにする気はさらさら、ない。誰かの役に立ちたい!救いたい!なんて大層な志も、全くもって持ち合わせてない。
それでも「神の祝福」を読み上げるんだから、タマシイを懸けて向き合いますよ。私の生命力を注ぐわけだから、ほんと、私の意図はまずハッキリさせたい。
その上で、私に祝福の物語を読み上げてもらいたい、という人がいれば、喜んでそれに応えたい。だから、LINEで募集OPENしてますとか告知はしないことにした。
(LINEでお知らせ待ってますって言ってくれた人、ごめんね!)
私も占星術に対する視点が変わって来ちゃったから (;^ω^)
私の読むホロスコープは、占いでも、情報でも、本当のアナタを指し示すパラメーターでもないよ。
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