ホロスコープを、12に区分された視点(目の付け所)の違い、とする。
目は2つで1組だから、6組の目ってことになるかな。
目が担当する役割、能力は「見る」ことにある。
『ヒトの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだ (ハヤカワ文庫NF)』によれば、ヒトの見る能力は下記4方向で発達する。
色覚は、敵や味方の感情や状態を感知するテレパシー能力。
目が前方にあるのは、障害物の先を見通す透視能力。
錯視は、その先起こりうる未来を見る未来予見能力。
文字が自然界のものに似たカタチなのは、人間の目が自然界のもののカタチを読み取るように進化してきたから。そして文字のおかげで人間は、他人の考えや死者の考えまでもリーディングしてしまう霊読能力を手に入れた。
これをつのエレメント(火地風水)に当てはめるなら・・・
色覚、テレパシー能力=水
立体と遠近、障害物(問題)の把握、透視能力=地
錯視、可能性の肯定、未来予測能力=火
文字、情報共有、霊読能力=風
どっちにしろこの4つの能力は単体で発揮されるわけじゃなくて、常に同時に働いて(存在して)「見る」という行為が生まれている。その場その状況に応じて強調される能力にばらつきが出るってだけで。
1−7ペア、牡羊座と天秤座という視点は、エレメントの組み合わせで言うなら火と風。透視能力と霊読能力。可能性と情報の共有。
1牡羊座「我という存在、現れるもの」に対して7天秤座の「他者の存在、観察者」。
このラインが基本の目。
いわゆる「見る」「見られる」の状態を示すライン。
光という存在があって、像を結ぶ網膜がある。ろうそくとスクリーン。スクリーンがなければろうそくの光はない(見えない、存在しない)。
私という世界は、私という世界を観察する目があって成立する。
何かが見えて初めて、見えるなにかがあって初めて、自分は見ていることに気付く。
映画を見るには映写機だけじゃなくてスクリーンがいるよね。
あ、そういえば映写機ってPROJECTORプロジェクターって言うよね。プロジェクトの実行者。生命というプロジェクトを実行する牡羊座。かっけぇ。
なにはともあれ、まずは「見る」ことだ。網膜スクリーンに映すこと。存在を確認すること。ここがスタートライン。われわれ存在の世界に生きるニンゲンにとってのスタートは、だね。
始まりだから現れるんじゃなくて、現れるポイントを始まりとする、っていう定義。
そして2-8ライン。にっぱち。にっぱちの法則。
パレートの法則(2:8の法則)は経済活動でよく引き合いに出される※けど、それも2-8ハウスらしいテーマ。富と金融に結び付けられるハウスだよね。
※パレートの法則・・・あることがらの2割が、全体の8割を生み出している。100人いるお客さんのうち20人の人たちが、売上の80%に貢献してくれている、みたいな。
サインは牡牛座と蠍座、地と水。
色覚(テレパシー能力)と、立体遠近視野(透視能力)。
イロとカタチの把握。
1−7が存在を確認する(存在を存在たらしめる)ラインなら、2−8は必要とするものを求めるラインかな。それは根源的な欲求かもしれないし、現状を満たすための手段としての欲求かもしれない。どちらにしても、「なにが必要なのか」「何を求めているのか」にフォーカスする。
必要なもの、確保したいもの、手放したくないもの。
心地よさや安心、満足感をもたらすもの。
(「もの」に限らず、状況や状態でも)
それをじっと見据える目。
そして3−9双子座と射手座の目は、キョロキョロする。
風と火、霊読能力と未来予測能力。
最初の1−7牡羊座天秤座ペアも同じ組み合わせだけど、ホロスコープだと三区分の別のカテゴリーに分類される。1−7は活動宮CARDINAL、3−9は柔軟宮MUTABLE。
活動宮カーディナルは、その名のとおりカーディナル(主要、枢要、基本)。
目における、「見る」という基本的行為ですからね。
対して同じ火と風の組み合わせでも、今度は柔軟ミュータブル(変異)。
身の回りにあふれるメッセージを「見る」(読む)双子座。文字や記号を媒介として、記憶や記録、届かぬはずの存在との接点を見つけ出す、風の霊読能力。
水平線の向こう、遠く遠く海の向こうに伝説の宝島を「見る」射手座。それは未来の可能性。
存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の基本形、
「見るという行為そのもの、存在を存在たらしめること」からの・・・
存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の変異形、
「存在するもの、しないもの、両方の可能性を見る」視点。
「存在しているんだ」って最初の前提がぐらつかせちゃってるあたり、ミュータブル(笑)
ハウスの順番よりも、三区分の順序で見たほうがわかりやすいかな。
ぐらつかせる前の段階、固定宮FIXEDで火✕風の組み合わせは5−11獅子座と水瓶座。
これが存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の完全版。
コミックとか小説の完全版、みたいな。
改めてまとめて、うん、これがこのシリーズのちゃんとしたコレクションなのだ、って出版される(提示する)版。
5獅子座は「自我」とか「オリジナリティ」ってキーワードが定番だけど、(自分という)存在をどこにFIXED(固定、定義)させるか、それを見る視点。
存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の基本形、
「見るという行為そのもの、存在を存在たらしめること」
↓
存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の完全版、
「存在の確信」
↓
存在の可能性を肯定(火)✕情報の共有(風)の変異形、
「存在するもの、しないもの、両方の可能性を見る」視点。
「存在の確信」のためには、「存在を存在たらしめる存在の確信」も同時に必要なわけで。
つまりね
牡羊座の始まり、私が存在していることを確かなものだと肯定するためには、
天秤座による他者の存在、私を存在させるものもまた確かにそこにいるのだ、ということを肯定しないとできないわけ。
安定してフィルムを回し続ける映写機と、安定してその光を映像として映すスクリーンの存在、その両方を「しっかりとその場に固定する」。
それは映画というストーリーに夢中になっている観客の目。
映写機がある、スクリーンがある、ってその存在を気にするんじゃなくて、見てるのはそれが写した物語の中身。5−11ラインの目が向けられるのは、その中にある世界。
映画の物語に夢中になってその世界の中心に入り込む目5獅子座と、
映画を見ている自分がいる世界、という外側からの目。映画館側の目。
映画館に行って見るものを決めて席についた自分がいなければ、映画の中の自分もいない。映画を楽しむ自分がいなければ、映画館なんてそもそも行かない(そんな場所が存在しない)。
この3区分(基本、前提⇨完全版、確信⇨変異)をセットにしてまとめるなら、先に書いたにっぱちライン、牡牛座と蠍座は完全版。これこそ必要とするもの(重要)なのだ、を見定める視点。
その前後にあたる基本形と変異能力も見てみよう。
イロ(水)✕カタチ(地)の基本、4−10蟹座と山羊座
「これまでとこれから」を見る視点。
今どこにいて、それはどういった過去に支えられていて、これから何を目指すのか。
火✕風の単体としての視点じゃなく、自分を含む集合体の視点ってのが面白いところ。つまりこの目はオンラインミーティングの共有画面みたいに、特定のメンバーで同じものを見ている(見ようとしている)目。
自分の存在から始まって、存在の確信、存在の可否の可能性を受け入れる・・・って流れの火✕地の組み合わせに対して、
地✕水はそんな自分が「得るもの」「持つもの」「取り巻くもの」に注目しているのかも。
はじまりは、「我々はどこからきて、どこにゆくのか」。火✕風の存在をとりまくあらゆるものの動きやつながり。
イロ(水)✕カタチ(地)の完全版、2−8牡牛座と蠍座
「必要なもの、重要なものを求める」視点
これは自分をとりまく世界に対して、自分の存在の範囲内に何が入るのかってこと。取り分。その完全版が「重要なもの、必要なもの」。
そして大前提の、自分を取り巻く世界を揺るがす視点が、
イロ(水)✕カタチ(地)の変異、6−12乙女座と魚座
「分析と受容」の視点
自分が世界を受け入れるのか、世界が自分を受け入れるのか。
これまでがあって、これからがある・・・自分のいるべき場所、向かうべき場所があるのかもしれないし、そんなの全部ないのかもしれない。
ホロスコープの6組の目を通して、生きてみる。
生者(あるいは死者)の棲まう、このもろもろの世界を。
人によっては、あまり関心の向かない(使ってみる気が起きない)目もあるかもしれない。うまくピントが合わなくて苦労する目、平常運転で使っている利き目、年を経て見えなくなったり、逆に見えるようになったり。
いつもと違う目を開けてみれば、いつもと違う世界が見える。
違う視点で世界を見るきっかけに、ホロスコープのドアノブをまわす。
『ハウルの動く城』の玄関ドアは、ドアノブのダイヤルを回して違う世界の扉に出てたっけ。あんな感じ。
ダイヤルがいっぱいついていて難しそうだけど、各部屋を覗くだけならそんなに敷居は高くないよね。
ドアはそこいらじゅうにある。別に自分の生年月日とか、特定のトキにこだわって調査しなくてもいいのかもしれない。
「原型」のドアノブだけでも、十分に遊べるし、刺激的だもの。
それに、同時に全部の目を開けなくてもいいわけだし。
全部開けたら開けたで、次のドアノブが待ってるし(笑)
一回り外側のドアノブ、円盤。
外側の円盤(より大きな視点、意識)が重要かって言うと、そうでもないと思うな。どっちが重要ってこたない。ただ、内側にこだわってる限り外にはイケないってだけで。中のドア開けてないのに外のドア開けようと必死になるのもバカバカしいじゃない。
開いたとしても見えないし。
自由に行ったり来たり、できるのがいいねぇ。