神秘の△

フィールドワークのクライマックスまで書けてないんだけど、その前に最近入手したデータをまとめておきたい!

 

先日息子と立ち寄った施設にちいさな子ども図書館があって、そこで見つけた『長崎の風土と歴史』。対馬壱岐の信仰形態と、日本の神道、古代中国の思想の関わりが書いてあった。のちのち星信仰ミステリーツアーに関係してきそう。

 

魏志倭人伝に登場する長崎の壱岐対馬

倭人伝では、対馬壱岐のお代官さまは「卑狗(ヒコ)」、副官が「卑奴母離(ヒナモリ)」と書かれている。このヒコの感じは魏の国の当て字だとして、日本語は「日子=彦」と「夷守または火ノ守」なんじゃないか。

 

日子(彦)日ノ神の子、呪術師的性質を持つ、原始的な王を指す言葉。日本の天皇ルーツも、日ノ神の子の末裔とされてきたように、日ノ神を祀る最高司祭者の系列とされる。火ノ守は日子の補佐という意味だし、夷守邪馬台国の王に任命される辺境守備の官職でもある。

 

このメインとサブっていうふたつの関係性が、信仰のルーツを探るときにすごく重要になってくるんじゃないかって気がしてる。例えば昼(太陽)の神と夜(月)の神、星信仰の中でも北極星と北斗七星、みたいに。

 

対馬には対馬神道といわれる独特な信仰形態があるらしく、それが大陸の北方系神話(降臨タイプ)と南方系神話(海宮タイプ)のMIXになっているんだって。今の日本神道のもととなっているのは、大陸から対馬を経由してやってきた信仰なんじゃないか。

 

とすると、対馬壱岐の信仰を調べれば日本の信仰が形式化(歴史・政治に組み込まれる宗教)する前のもっと生々しいピュアな信仰、エッセンス的なものがわかるんじゃないか!絶対面白い。行くしかない・・・!!

www.nagasaki-tabinet.com

 

ちなみに、対馬は日の神、壱岐は月の神を祀る神聖な場所として信仰対象の担当が分けられているんだとか。昼と夜、表と裏、前輪と後輪・・・

 

「メインとサブ」という信仰のバランス感覚

信仰のバランス感覚ってフレーズについて考える前に、日本にやってきた古代中国の思想・信仰についてちょっとおさらい。

古代中国、殷・周の時代の王はこの最高司祭者(=日子・彦)の性質を持っていた。信仰対象は天帝(=日ノ神)だった、とある。天帝は、宇宙の根源、中心、GODの概念そのもののこと。

 

この天帝のシンボルとして祈りの対象となったのが、北極星。そして北極星を神格化したのが、妙見信仰(=星信仰)の神様。「神格化する」ってのは「名づける」ってこと。見えない世界・カタチのないモノを、人間の生きている世界・カタチのあるモノに引き寄せるってこと。

kotokotoba.hateblo.jp

それについては別ブログで書いたんだけど。

 

そうそう、そして古代中国の王たちが祀ったのは天帝と、河伯。これがメインとサブの信仰のバランスの現れ、じゃないかな~?河伯黄河を神格化した神様。水の神さま、雷の神様で、白い龍や亀に結び付けられる。

やっぱりに関係する神様は蛇・龍・亀のシンボルに縁があるね。弁財天は白蛇だし。

 

で、昨日まりさんと「もう7月ですね」って話しててカレンダーをめくると出てきたのが・・・

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瀬織津姫

またかー!!!ここ数日やたら登場するので、きっとこれも星信仰ミステリーツアーのひとつの見どころなんでしょね。

 

神話の表舞台には出てこない女神さま

古代姫君風の衣装と、とぐろを巻く白龍。白蛇と弁財天が一瞬思い浮かんだよ。日本神話からある時期を境に消されて(?)しまった、ってことで古代史ミステリー好きや陰謀論ファン、オカルトファンが多い姫様。

 

ちなみにこのカレンダー超超ステキでしょ。まりさんのブログで時々開催されるプレゼント企画抽選で大当たりしていただきました。有田焼に独特の手法で描かれる芸術絵画、陶彩画。

kusaba-kazuhisa.com

まだ生で見たことないんだけど・・・一目見てファンになってしまった!!!!!佐賀にあるギャラリーは完全予約制なんだって。この夏、絶対に生で見る。ロゴマークが火炎宝珠(=お稲荷さんの神紋)っぽいのがめっちゃ気になる。

 

瀬織津姫については諸説あるんだけど、共通項は「」。「陰」の性質。暗いとかネガティブだとかそういう意味でなく、表と裏で言う「裏」。男性性と女性性でいう「女性性」のイメージ像。昼と夜でいえば「夜」。月とか、とかがイメージの守備範囲になってくる。

 

3項関係

さっき読み終えた松村潔氏(占星術界の大御所)のこの本に「3つの関係性」について書かれていたことが、神様のメインとサブという立ち位置を考えるのに役立ちそうだなって思うのね。 なんでそうなるのかってこと。

 

日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)

日本人はなぜ狐を信仰するのか (講談社現代新書)

 

 

二つに分かれた神様(=信仰対象)が善と悪で表現されることもあるけど、それは人間のモラルで言う善悪とはちょっと違うと思う。善の立場にとって悪の立場は必要不可欠で、悪側にとっても善側の存在が不可欠だから。

 

瀬織津姫の「裏」にいる事情が何であれ、表に出されないことを「悪いこと」「悪い事実から隠そうとしている」という視点でみるのは、単純すぎるし、見える範囲が狭くなる。もしかしたらそういう信仰のバランスがあるんじゃないか・・・って思ったってハナシ。

 

(1)なんにもないし、なんでもありな0ポイントから2つの対立する方向性(陰陽)が登場する。そこでやっと、なにもない0から2つ目3つ目の要素を結んで、カタチ△が現れる。=△

(2)二つの対立する要素が結びついて、3つ目の新しい視点が生まれる。=▽

 

この三つの関係、カタチが生まれるプロセスに生命力・根源を見出したことが信仰の根っこにあるんでないか。

 

0天帝

=宇宙規模の視点で見たありとあらゆるものすべて

=根源、宇宙の中心

 

 

これをより自分たち(実感できる世界)に近づけるために、信仰を分割して△というカタチをつくる。分かりやすいのは、光(昼間の日)と、影(夜の月)かな。

 

んで、こうなった!

1光

=INRI(イナリ)

=目に見えるカタチ、物質的な豊かさ 

=火、風

 

2影

=夜、月、星

=目に見えない、カタチの無い世界のシンボル

=地、水

 

 0,1,2の△

 

どうだ、どうだ!この△で今までの流れがまとまってくるんじゃないだろうか!!!稲荷も星信仰も水の女神たちも出てきたし。どこかに偏っちゃうと、またどこかがひっぱってくるんだよ、きっと。それが人間の本能的な信仰のバランス

 

 

こないだのフィールドワークで、星信仰が神道に組み込まれた形跡が三柱の神様で見つけられたでしょ。あれもひとつの信仰を「言葉」で理解しようとすると△に分解しないといけなかったからってことじゃないかな。

 

starship.hateblo.jp

 

△▽の視点を持つ

視野を広く持とうとして、「コレの裏は・・?」とか表の裏にある真実、っていう2極の考え方をしがちだけど、逆に1対1の2極で見てしまうと世界がそこで完結して、閉じてしまう。そういうようなことが松村潔氏の本の中に書いてあった。

 

▽or△の視点を持ち込むともう一段階広がるんじゃないだろーか。

私もこれからの星ミステリーツアーは、△の目で楽しもうと思う。

 

はい。今回のキーワードは△でした。

まとまったのかまとまってないのかワカラン。