久々に、続きを読んだブルーピリオド!
図書館、バンザイ!!
「通過点もゴールも"生きる場所"じゃないからさー」
「どういう意味?」
「何も失わないし 何も得られないってこと
大学でしかできないこと できない経験は必ずあるんだよ
音楽科しかわからないことも 寿司屋しかできないことも ロシア人しか知れないこともね
大事なのはそこで何を感じて 何をやるのかってことじゃないのかな〜
全ては自分のために」
受験編が終わって、美大生編がスタート。
大学生のうきうきキャンパスライフがテーマか〜と思ってそれから先読んでなかったけど、ここでグッときたよ。
そこはゴールか、通過点か?
終点に到達したつもりでいた。
しかし、人生は到達の積み重ねだ。
どこまで行こうと、その先にまた新たなゲートがあるのだ。
(もちろん、ゲートが尽きるときはいつか来る。)
努力は才能か?
努力型の主人公は努力も才能といわれてムッとする。
才能というコトバで片付けられることに。
じゃあ、努力は努力?
いやいや、努力は環境!?
アートの裏側、アートを巡る歴史と、過去も昔も変わらぬ人間心理。
芸術家や画家に関わらず、『表現』について色んな角度(いろんな立場の人の目線)を楽しめる漫画!
君が選んだものが
君の作品になる
吟味して、検証して、繰り返し。
伝えたいもの、表現したいもの、自分の内側にあるものに、ピッタリくるものを探す。
アートはそれを、モチーフや素材、大きさや色、配置で「ソレにピッタリ」を探すわけだけど、
「コトバ」だってそうさ。
ダンスとか、音も。
大きく捉えれば、「生き方」そのものだってそうさ!!
私が選んだ全てが、選んだもの、選んだ行動が、私の作品、私の物語になる。
「もし私たちが『熱帯』の中にいるのだとしたら」白石さんは呟いた。「このあと何が起こるの?」
「それは私にも分かりませんな。人生とはそういうものですよ」
「でも『熱帯』は物語でしょう」
「違いますよ、お嬢さん」
中津川氏は優しい声で言った。
「まだ終わっていない物語を人生と呼んでいるだけなのだ」
そして『熱帯』をまた読み返して味わってるんだけど、最高に楽しい。
↓先週借りてきた齋藤孝さんの本で、あれも読みたいコレも読みたいと気分がアガッテきた今日このごろ。図書館に蔵書があるのはほんの一部だけど・・・
読書とは、今ある自分とはまったく異なる性質の人間を心のなかに住まわせることであり、その分だけ、自分の器を大きくしてくれるものなのです。
もちろん読書には、知識を増やしたり、情報を得ることが目的になることもあります。けれども、読書でもっとも重要なのは、自分の心を耕すことであり、心を練り上げていくことにあると思うのです。
何度か読みたい本リストに蔵書があるのはあがりつつも手に入らなかったこの本とか↓
こういうのは、ペーパーで手にとってじっくり読みたいから、日本のアマゾンで注文しようかな。。。送料が、もったいなくて手が出ないのよね。。。
齋藤孝せんせが『神話の力』を紹介するにあたって、『神聖な場所』について引用しててね。それは「時間という壁が消えて奇跡が現れる場所」で、変容の中心。
そこにアクセスすることで人は「本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出す」ことができる。
創造的な孵化場。
はじめは何も起こりそうになくてもいつかなにかが起こる、聖なる場所。
かつて、古の人々にとっては世界全体が聖なる場所だったわけだけど、現代人はその接点を失い、自分自身を失った。生きた汝(THOU、そなた、おぬし)の感覚を失った。
その接点を取り戻す鍵が、「至福、無常の喜び(BLISS)」なわけ。
それはささいなことでも、他人から見てつまらんことやバカバカしいことであっても。
大好きなことだからこそ、自分ごとだからこそ、「コワイ」と思うかもしれない。
あ~こわい…
作品をつくるって…
何かを選ぶって
すっごい孤独だ
じぶんの好きな歌を好きなようにうたうというただそれだけのことでさえ、それを「芸術」や「商品」としてではなく、みずからの「生き方」としてじぶんに荷おうとするやいなや、それはたちまちにして一つの「たたかい」とならざるをえないのだ
そうそう、人工宇宙プロジェクトは、私の『創造的な孵化場』なんだぜ🤭
ただ生きているということを、生きているままに、ソレを共有するんだ。
創造的な孵化場。
はじめは何も起こりそうになくてもいつかなにかが起こる、聖なる場所。
そこにアクセスすることで人は「本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出す」ことができる・・・とまでは至らなくてもね、
「時間という壁」の向こう側をのぞきこむココロミだからね。
変容の中心、「奇跡が現れる場所」ってのは、いつも時間の向こう側。