「遊び」を、遊ぶ
長男が都市伝説展を見に行っている間、
会場ロビーで次男を遊ばせつつ、ジャック・アンリオの『遊び』を読んだよ。
遊び論といえばカイヨワ、ホイジンガが超有名。
ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」という人間観を提唱した人✨️
文化の源は遊びである。ヒトはホモ・サピエンス(賢いヒト)である前に「ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)」である!
ヒトの文化の源には、「遊び」がある、とホイジンガはいう。
ホイジンガのいう「遊び」の本質は、
▶ 手段ではなく目的
遊びは何かメリットを求めた手段ではなく、それ自体が目的で、遊ぶために遊ぶから遊びなんだってこと。
▶ 始めるのも終わるのも本人の意志(自発性)
誰かに強制されるものじゃなく、やりたいと思うからやって、やめたいと思うときにやめる自由がある。
▶ 時間と空間から切り離されている(非現実性)
遊びの世界ってのは、ある意味パラレルワールド。
▶ 結果が決まっていない(不確実性)
予定調和的な結果に向かうだけだったら、遊びじゃない。
▶ ルールがある(構造がある、制限の中での自由)
遊びは自由を楽しむのと同時に、ルール(制限)を楽しむこと。
そして遊び論の大御所もうひとり、カイヨワ。
彼は遊びを4つのカテゴリーに分類した。
▶競争(勝負、ゲーム要素)
スポーツ、チェス
▶偶然
サイコロ遊び、ルーレット、じゃんけん
▶模擬(真似っこ、なりきり)
おままごと、演劇、コスプレ
▶目眩(非日常感覚)
ジェットコースター、ぐるぐるバット、バンジージャンプ
さてアンリオの本では
・遊びとはいったいなんなのか(ホイジンガの言う本質)
・遊びとはどんなことを指すのか(カイヨワの挙げるカテゴリー)
を踏まえた上で、
ヒトが「それは遊びです/遊びではありません」と決めるとき、判断するとき…
ある行為を遊びとみなすその態度そのものにスポットライトを当てる🔦
遊びを遊びたらしめる、その態度いかに?ズバリ
遊びは何よりもまず、遊び手とその遊びとのあいだに存在する遊び(余白、隙間という意味でのあそび)によって成立する
キーワードは3つ🤟
①不確実性
結果がどうなるかわからない
②二重性現実と虚構が重なり合う
(将棋の王将は、木片という現実✖️王👑というフィクション両方の存在で成り立つ)
③イリュージョンこれは遊び(虚構)である前提を信じる
(これはまごうことなき現実だと信じ込む❌/こんなのただの嘘っぱちだと突き放す❌)
面白いね!!
今ちょっと『遊び』を構想中なんだけど🤔
こんなふうに「遊びを、遊ぶ」メタな視線を組み込んだゲーム?参加型物語?にできやしないかと!
