願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ

 

「記憶」に戦慄せよ

のサブタイトルのカッコよさにシビレルぅう〜〜と思って読んでみた『遠野物語』。原典からいくつか物語は引用されてるけど、その背景や考察がメインかな。

 

ブログ記事タイトルは、柳田国男遠野物語を世に送り出す際に添えた言葉だそうだ。

サブタイトルはそれをもじったわけね。

 

今じゃ民俗学のルーツとしてこの分野でこの名を知らぬ者はない存在なんだけど、最初からその価値が認められてたわけじゃない。

 

ただの田舎の昔話じゃないか、と。

 

昔話にしても民間信仰や神話のたぐいであっても、ワレワレは「物語」のチカラを過小評価しすぎだと思う。

 

いや、その圧倒的なチカラに飲み込まれて把握できていないだけかもしれない。

水の中の魚が「水」を意識することなく、人間も「空気」を意識することなく呼吸しているように。

 

なんといってもホモ・サピエンスは「物語」のチカラで他種を圧倒して唯一の人類種にまでのぼりつめたんだから。

 

認知革命。精神構造が劇的アップデートされた。

 

物語(ストーリー)がいかに影響力を持つか、ってのは今はマーケティングとか営業戦略、心理療法さまざまに応用されるようになってきた。

 

でももっと身近なところに物語は、ある。

 

 

そのひとつに【宇宙からのギフトを読み解くプロジェクト】

実はちょっと前まで、占星術も所詮「カテゴライズして満足したいだけの占い」と変わらないんじゃないかって疑念もあり、そろそろこの趣味も終わろうかな〜って考えてたんだけど。

 

読み出すと、止まらないんだなぁ(笑)

 

 

ヒトが「充実した自由」を感じるためには、「制限」がないとあかんのですって

ルールとか縛りがあって、その中で自分の意志で選択や行動ができるってのがイチバン「自由」を感じられるんだそうな。

 

だから、遊びにはルールがある。スポーツも。

演劇も、「私は仮にお姫様の役を演じます」というお約束を共有できているから、楽しめる。

 

遊び、打ち込める楽しみ、やりがい。

5ハウス、そして獅子座の世界。自分らしさを輝かせる太陽のサイン。

 

その裏側に必要なのは、真正面に位置する水瓶座土星のサイン。

水瓶座天王星じゃないの?と言われそうだけど、本来は土星がルーラー。まずは土星なの。ガンコなサインだからね(笑)

 

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遊びの楽しさが縛りに裏付けられてるってのが、円盤の中にもうまく描かれてるな〜って感心しちゃう。

 

で、何が言いたいかってと、占星術星を読むことにワタシがすごく自由を感じて、楽しくて、遊び心を遺憾なく発揮できるのって、「縛り」があるからこそなんだな、って。

 

文法とか、単語(天体やサイン)の意味とか、ルールがちゃーんとある。

ルールの内側で、いかに工夫して自由に物語を展開させるか、ってのがほんとにムズカシクテ楽しい。

 

昨日はひとつ「物語」をお届けして、こんなに嬉しい感想をいただきました。

とと子さま 完全に痺れております

私の占い史上、最高の星読み師、ここに現る!って感じです。 

 

いやいや、痺れたのは私のほうなのです。

円盤と記号から物語が始まる。しかもその物語の持ち主は「実際に生きてる」。現実と物語の接点が、この中にある。そう思うとそれってなんだかそれってすごくスリリング!

 

その上こうやって、物語の生き証人とコトバを交わせるって・・・こんなに嬉しいことは無い。

 

 

そうそう、 

占星術も所詮「カテゴライズして満足したいだけの占い」と変わらないんじゃないか、の疑念に関しては、私なりの返答を見つけた。

 

ヒントになったのは私の敬愛する心理学者、河合隼雄せんせと、尊敬する哲学者の鷲田清一せんせ。彼らは自分たちのことを「臨床」心理士/哲学者と言う。

 

 

心理学も哲学も、いろいろ学派や流派はあれどきちんと体系立った学問。心理学なら心理学の、哲学なら哲学の「フレーム」で人の心や思考方法を捉える。

 

精錬されたカテゴリー、と言いますか。

統計的な分類、客観視して抽出した構造がちゃーんと出揃ってるわけです。

 

だからほら、心理学をかじった人とかカウンセラーしてる人でよくあるんだけど・・・その特定のフレームに合わせて「診断」してこようとするじゃないの。 (個人的にはこれがほんまキライ・笑)

どうしても、私たちってそういった全体像や結果(カテゴリー)を元に個々人を判断しようとしちゃうじゃん。個人を全体側、カテゴリーとかシステムの方に合わせようとする。

 

でも冷静に考えてみると、カテゴリーってのは、全体像を把握するためのものであって、個人の判断に用いるのはちゃんちゃらオカシイんだよ。

 

kotokotoba.hateblo.jp

 

 

人間の心を研究するときに、人間というものはとか、人間の心はとか一般化して考える方法もあるだろうが、私は、お会いする人の人生、その人の心を、一回限りの他とは比較できないものとして受け止めようとして

 

 

河合隼雄せんせは、「目の前の人の心はその人だけのもの」という姿勢で臨む。

心理学のカテゴリーにその人をあてはめるんじゃない。もちろんカテゴリーに関する知識をしっかりと持った上で、だけど。

 

 

占星術も、しかり。

だと思うんだよなぁ。

 

「この人は火星が牡羊座だから、攻撃的なのよ」とか「私は太陽が4ハウスにあるから家にいたほうがいいの」とか、いやそこまで単純化してる人はまともに占星術してる人はいないかもしれないけど・・・

 

でも、やっぱりベースとなっているのが

カテゴリー(フレーム)に個々人を当てはめようとしている視点だと思うんだよなぁ。「○○を活かす」という言い方にしても、同じな気がするんだ。。。

 

そういうこと私もしてるのかなぁ、と思ったらゲンナリしちゃって。

 

いや、でもね、「臨床」占星術なんてどうだろう、ってふと思ったわけ。それこそ、その人の「物語」ってのは「一回限りの、他とは比較できないもの」なんだから。

 

実際私はリーディングをするときも、一個一個のパーツを組み合わせて意味をつなぐ、みたいなことは基本的にはしない。

 

120度のアスペクトの意味は調和、180度は葛藤です、バーテックスは宿命です、とか、そういうカテゴリーありきで語りたくないわけ。

 

太陽とこの天体が合ですが、これはどういう意味ですか?と聞かれてもそれ単体じゃ全く分かりません。いや、「占い的な意味」はあるんだろうけど。私は「物語」の中で、それが全体のどういう部分を占めているのか、ってのが気になるの。

 

一個一個の意味とか、占いとか、本当は興味ないの。

 

野球でさ、「○○選手が送りバントをした意味はなんですか」とピンポイントで言われても、試合全体の流れがどうなってて、どのタイミングどんな状況でそれをしたのか分かんなかったら、考察できないじゃん。(笑)

 

送りバントと言うものはですね、そもそも・・・」とテクニカルなハナシを聞きたいわけじゃなかろうし。

 

 

 

そんなふうに「臨床」占星術っていうスタイルを思いついて、なんだか楽しい気分が戻ってまいりました。宇宙からのギフトを読み解くプロジェクトも、最高に楽しい。

 

これは私の極上の「遊び」。

 

人は自由であるときに、宿命を見出す
自由に生きれば生きるほど、運命は紡がれる

 

僕たちの居場所論 (角川新書)

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願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ

私は「物語」のチカラに、もっともっと触れてみたい。

 

 

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