おもしろ!!!
ちょうど読み終わった本がまたそんなテーマ(ありとあらゆる人生の可能性を生きてみることができるとしたら?)で、なんだかじんわり、生きる責任という喜びを感じるとと子なのでした。
ミッドナイト・ライブラリー (邦訳版:The Midnight Library)
からの
より
意志とは、単に目的を意識することではなく、
目的とぴったり重なり合ったもの。
それは〝自分〟のありとあらゆる面が団結して、
自分自身との調和のとれた合意が成立している状態。
『リック・ルービンの創作術』より。
あぁ、これが「太陽」の意志、目的意識なんだな。
自らの太陽系を生きるってこと。
を経て
ラジオを聞いていたら、哲学者と経営者?の対話のなかで
「”責任”は未来に依存しているけど、”覚悟”は今この瞬間の意志」
みたいなハナシが耳に入ってきて。
それを『リック・ルービンの創作論』に重ねて言うならば
「未来への責任を内包した覚悟」こそが太陽的目的意識&意志なんじゃないか、って思ったんだよね。
それは、ひとつ方向を定めたとき、無数に分岐するルートのなかからひとつのドアに手を伸ばすとき、そのドアの先に展開する無数の分岐ルートを受け入れる覚悟。
未来を自分の光☀で照らすってのは、コントロールするってことじゃない。
起こり得る出来事を把握する、あらかじめ納得しておくってことじゃない。
そうじゃなくて。。。
むしろコントロールの外側にある世界、自分の外側にひろがる自分の世界を、「見すえる」ってことなんだよね。まっすぐに見る。
見るってのは、光が届くってこと。
太陽から反射した光をキャッチするってこと。
願ってもどうにもならないことが、世界には溢れている。意志や祈りや願いでは、世界は変えられない。そのことは、絶望なのではなく、希望なのである。
「わたしはわたしの運命の主人」
「わが魂の船長はわたしである」
ウィリアム・ヘンリーのこの言葉を挙げて
これほど傲慢で、とんちんかんなことはない、とハクスリーは言う。
最近の占い提供者が好きなセリフなんだけどな(笑)
なんならわたしもこのブログを立ち上げた当初、最初の記事で占星術を例えるときにそう書いていたかもしれない。
「わたし」に運命を支配することはできない。
だってわたしは「もっとも口うるさい船客のひとり」にすぎないのだから。船長の食卓に招待されるほどの身分でもないし、魂の船がどんな形で、どんなふうに動き、どこへ向かっているのか知らされてもいない。
(これは占星術、占いファンのみんなから反論が来そうだけど、今のわたしはこの言い分がとってもしっくりくる)
だからこそ、トキ(宇宙)と中するのだ。
そのリズムに自分をチューン・インするのだ。
宇宙といのちの編み込まれた関係性を、あそぶのだ。
太陽、クリエイティビティ、創造力、あそび。
あ、獅子座だね。
そうかそうか、水瓶座シーズンだものね。
この太陽の光を網目の外から眺めるのが、水瓶座的スケールだからか。
太陽は現在地。
目的地と責任は土星。
そこは自分から向かうものだけども、運命は向こう側からやってくる。コントロールの外側から。世界の方からワタシを呼びにくるのが天王星のラッパ。
目覚めよジャッジメントのラッパ鳴る。