本日2度目の更新!
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さてコイツ↓は下書きに隠しておこうかとも思ったけど・・・出しちゃえ!
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感情(喜怒哀楽)は後天的なモノ。
ニンゲンのハナシね。
私は昔「保育士の資格取ろう」って思い立って飛び込み国家試験で取得したことがあるのです。その試験勉強がめちゃめちゃ面白かった。当時の受験科目に「発達心理学」ってのがあってね、身体の成長だけじゃなくて内面の成長のステップと、そのメカニズムを学んだわけ。
そこで赤ちゃん(ニンゲン)の感情は「快・不快」がスタートポイントってハナシがあったんだよね。
快適、苦しゅうない(すやすや)
OR
不快、どうにかしてくれ!(オギャー!!)
これが基本。原始的な感情の大元部分。
「不快」な感覚が、恐怖感や嫌悪感になって、怒りとか心配とか失望とかいろいろ具体化してくるんだよね。「快」もそう。嬉しい、楽しい、誇らしい、満足感、安らぎ・・・分化・派生してどんどん複雑に色鮮やかになっていく。
私たちの「感情」っていう言葉のイメージにあるような「感情」は、生まれたときにはまだなかった。それはニンゲン(先に生まれてるニンゲンたち)に倣って習得してきたもの。
倣うってのは、真似をするってこと。
脳にある神経細胞の「ミラーニューロン」はその働きを説明してくれた一例。鏡のような(ミラー)働きを通して、目の前の人の「感情」を写し取り、自分の中に取り込んでいく。
たいてい写し取る先にいるニンゲンってのは、お母さんにあたる。
親は子の鏡、子は親の鏡ってやつ。
それが占星術で「月」って表現されているわけ。
月は感情、月は母親、月は幼少期、月は習慣やクセ、月は無意識・・・
占星術って、ニンゲンと、ニンゲンを含む世界に関する「仕組み」のハナシだと思うんだ。仕組みがわかれば予測したり対処できるってんで、社会の動きとか個人の性格や運勢として応用されてるわけで。
んで、感情のハナシ。
タイトルの【タマシイには「感情」がない】ってのは、反感を覚える人も少なくないかもしれない。。。だって、「タマシイの喜びを」とか「ワクワクに従ってタマシイの望む方向へ」ってコトバ、聞くじゃん。
でも私は、そのコトバにすごく矛盾を感じてしまうんだよ。
「タマシイ」とか「ヨロコビ」の定義が違うだけかもしれないけど。
だって感情って、ニンゲンの後天的な学習のたまものだよ。
この世に生まれて出会う、地球ならではの彩りだと思うんだ。
タマシイの「感覚」ってのは、もっとスケールが違う・・・
快・不快よりもさらに上の層(次元)のはず。快↑にも不快↓にもアップダウンしない、点のなかに全部詰まってる状態。だから「悟り」を「差取り」アップダウンを全部取り除いてフラットになった状態って表現するんじゃないかな。
瞑想も、感情の層から外に出ることを目指すわけだし、それによって「直観」と繋がりやすくなるってのは、その状態がタマシイの感覚に近いから。
ワクワクしたり嬉しくなったりするのは、なにかしらタマシイの感覚に影響は受けてるかもしれないけど、タマシイの感覚そのものとは違う。う~ん、説明が難しいなぁ。
だって、あのレイヤー(層、次元)には、感情は無いでしょ?
これを表現するコトバなんじゃないかってのが、仏教用語の「アラヤシキ」。ちゃんと勉強してないから知らんけど。(笑)なんとなく、コトバの持つ響きが私んイメージに近い。
イシキ
ムイシキ
アラヤシキ
層(レイヤー状)に重なってるの。「膜」っていうとそれぞれが独立してる感じだけど、うーん、もっと中にも外にも重なり合ってる。ひとつの場(人とかモノとか空間とか)に全部同時に存在してる。
イシキは個の感覚。
「感情」はイシキとムイシキの境界線上にある存在。存在っていうとカタマリみたいなイメージになっちゃうか。フィールド?空気的な?
ムイシキからアラヤシキにかけて存在している「感情」のフィールドが、集合意識って言われるアレだと思う。「個」の範囲を超えて、繋がってる。
繋がってるものをイシキでピックアップしたのが、文化的な価値観だったり、気配とかそういう念能力的なものだったり、月のサイクルや天体の運行からの影響なんだと思う。
自分のイシキで拾い上げたものは「自分の」ものだと思ってるけど、集団から強く影響を受けてる。ヒット作、多くの人を感動させる作品や文学、芸術家のインスピレーションはそういうムイシキの層をイシキの層につなげた例。
イシキとムイシキの接続ポイントは「身体」にある。そりゃそうか。ワタシという時、ニンゲンは身体を指してワタシと言うんだから。
たぶんだけど、接続ポイントは細胞内のDNAにある。
「脳」に注目されているけど、脳も身体の中に搭載した臓器のひとつにすぎない。松果体とか、有名だけど。あそこには指揮権があるってだけじゃないかな。
監督がいてもプレイヤーがいなかったらチームにならないし。イシキに接続するためにデータを統合するわけだけど、データ収集班がいなきゃ意味ないし。
例えば不安とかストレスに関与するBDNF遺伝子だとか、怒りや衝動性に関するRBFOX1という遺伝子があるように、感情に作用するレセプターの存在が発見されている。この情報は、イシキとムイシキの層の重なる部分に関することだと思うんだけど・・・これがどういうことかってところまでは、まだ言葉にできてない。これも私のイシキがムイシキからキャッチした「データ」。
ムイシキの次の層、アラヤシキ(勝手にこの用語借りてる)は、そこからさらに抜けたところのはずなんだけど。私悟り開いてないから具体的な世界観は知らんよ。でも層の重なる部分に「感情」があるようだ。
だから「タマシイのヨロコビに」とか「ワクワクに従って」の根拠になってるんかもしれない。それが間違ってるとか、その言い方を批判するつもりは全然なくて。
ただ、あれ?タマシイって層そのものには「感情」は無いよな、って思ったわけです。
なんかもっと違う・・・
もっとちがう「感覚」はあるんだけど。
やっぱり方向性というか、志向性というか、向かっている方向というか、そういうもんはタマシイ次元にも存在してるっぽくて。占星術のドラゴンヘッドはその流れを記してると思うんだよな。
でも単純に「この職種・活動があなたのタマシイの向かう方向です!」みたいな、イシキの層にある語彙では言い表しにくい。そのコトバを私は持っていない。たぶん、ムイシキ以上に聴きとりにくい「音」なんだと思う。
音として認識できないくらいかすかな「ふるえ」というか「波」というか。
受け取っていたとしても、というか受け取ること自体は難しくない(拒否しなければいいだけ)だから受け取ってるんだろうけど、それが表面的なイシキにのぼってきているもんなのか??ってのがちょっと疑問で。
「使命」とか「タマシイのうんたら」とか「運命」とかは個人がイシキの世界で好き勝手に言ってればいいと思うんだけど。
「使命」に関しても、そう。
「神託」を求めるのも、そう。
「過去世」に関しても。
上からのメッセージや導きに「責任」を預けちゃいけない。
流れに身を委ねるのと、自主的に生きる責任を外部に委ねるのは、全く違う。全く。
(これは自分に言い聞かせてる)
決めるのも、行動するのも、そこにどんな意味を見出すのかも、
決めるのは全部自分。
例え「神の意志」があったとしても、そこに「私の意思」が無ければ現実は作れない。
ホロスコープもタロットも、そこにあるのはシンボルでしかない。
それが現実・事実情報と合致しているかどうかではなく
シンボルをどう自分ごととして落とし込んでいくか。
物事に意味(理由、原因)を求めるんじゃなく
自分の目が捉えた現象にどんな意味を込めていくか。
どんな意味に繋げることを決めるか。
こんなこと書いてると、まじで依頼が来なくなるね(笑)
Astrologerです、なんて言っちまったけど、仕事にはできない気がするよ。。。「使命がわかります!!」とか「あなたの真実の目的を教えます!!」とか言えば、もっと魅力的なのかもしれないけど、私がそれを言うとウソになる。
他の人が嘘ついてるって意味じゃないよ。
私の世界の問題。
ウソのコトバで進もうとすると、何が起きるって、呪詛返しが起こる。生命力のないコトバはそれを放った人の生命力も衰弱させる。
逆もまた然り、なんだけど。
最後にもう一つ。
身体は細胞で出来てて、細胞は何で出来てるかって、素粒子でできてる。素粒子と素粒子をつなぐ素粒子が、「光子」フォトン。光の素粒子。
細胞内の遺伝子のスイッチON・OFF切り替えるのは体液。水。
光と水で、できてる。
あ、時間切れ!!今日はここまで!バイ!
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下書きここまで。
お昼寝のまどろみ中にメモした内容をまとめた記事でした。
ここから追記。
こういう精神とか生命に関する自論はさー
「神さまにおしえていただきました」とか
「私のハイヤーセルフが語ったことです」とか
「天使様/龍神様/〇〇星人からのメッセージです」とか言えば
箔がついて説得力が増すんでしょうか、この界隈は(笑)
いや、ほんとにそーなのかもしれないけど。
「情報」を人格化、キャラクター化したらそう見えるのかもしれない。
そこにバリューを見出されるって、なんだか不服なんだな私は。誰にも見向きもされない何の箔もない自分のコトバが、悔しいのかもしれない。
アラヤシキ☆彡
なんかわからんけど気に入った。全然使い方、違うわ!って怒られるかも(笑)