あなたは今、この星のどこにいますか。
私は今、最近は雨ばかりのシンガポールにいます。
雨のおかげで朝夕はちょっと涼しくなりますが、日中外に出ればやっぱり南国の蒸し暑さ。今日1歳になる下の息子は、毎日汗びっしょりで、抱っこして頬を寄せるとちょっぴり甘酸っぱいにおいがします。
自然の中で変化する日々の暮らしから、遠い異国の旅先での出会い(やトラブル)、そこから見えてくる世界と、世界をそんなふうに見せているのは自分のナニがそうさせているのか…?
そんな、静かで楽しくて好奇心をくすぐられる、二人の往復書簡。
高い視野と、深い思索…
知的なんだけど、優しくて柔らかい。
対話の仕方がすごく女性的で憧れる。それはやたら共感や同意を示して盛り上がるでもなく、結論や持論を表明し合うわけでもなく。
それは対談じゃなくて手紙っていう手段をとっているからかもしれない。合間合間に、それぞれの世界(日常)があって、時間の経過があって、心地いい店舗のタイムラグがあって。
絶えざる関心の鍬をもって、深い共感の水脈を目指したい
私もこんな往復書簡をしたい〜〜〜〜
プロジェクト【交換ノオト】テーマは星(タロット)でいかがでしょう(笑)ふとした日常のこと、ホロスコープでもカードでも、学びでも遊びでも。等身大のワタシ同士が交わす、交換ノオト。
ブログ持ってる人ならお互いのブログで。なくてもメールで送ってもらったのを私のココのブログ上で。
ラインとかコメント欄とかメッセージ以上のまとまった量(そしてある程度の上限)があって、ブログ上で公開する、往復何通でおしまい、ってルールがあれば、ゆったりゆっくり、そんでもって刺激もあって楽しめそう。
さてさて、そんな往復書簡のなかで「じんと」きたテーマで拾い上げた引用文を…
自分の背骨に「プライド」が入っていひとは、容易に感謝できる。
そうでないひとは、自分の「感謝」が「卑屈」に結びつくのを怖れるあまり、それができない。
「感謝」は自分自身にプライドがなければ、何食わぬ顔をして卑屈の側に行きがちな質(たち)なので。
背骨にないプライドという成分は、鎧のように外骨格(!)に形成され、外から見えやすく―それは外気に触れて自慢や傲慢に変化しやすい―ようやく体をなし「立って」いられる状況……。
それは国そのものにも言えますね。背骨にプライドが入っていたら、いちいち誇示してみせなくても立派に「立って」行けるはず。
「プライドが邪魔して感謝できない」んじゃなくて、それはあなたの背骨にプライドが入ってないから!
ははん、なるほどね〜
鎧の殻を脱いで柔らかいワタシになったとしても、プライドという背骨があれば大丈夫。
カニ🦀から獅子🦁へ。
厄介なのは、カニをこじらせたままのライオン。
「同じ日本人として誇りに思う」ならまだわかる。どうしてこう、いとも容易く短絡的に、帰属意識に個人のアイデンティティを丸投げし、とどのつまりは自らの優越欲求を満たす手段にしてしまうのか。
何がことあるごとに「日本人は偉い」と大声で叫ばなくてはいられないほど「日本人」は自信を失い、コンプレックスに打ちひしがれているのか。
これって、ケシーさんの言う巨人のエネルギー構造(罠)のことだよね。個人じゃなく、巨人に同一化してしまう。それを仕向けるのが巨人の構造。
↓
最近でもYouTubeでちょいちょい目にする「日本人」というワードに込められる「実はスゴイ」とか「これからはワレワレがうんたらかんたら」とか…。
所属先から得られる安心感、承認欲求、優越欲求をひしひしと!ひしひしとその必死感を感じる。
わざわざ国を挙げてのスローガンに掲げられた「クールジャパン」ってのもあったけど、その傾向がスピリチュアル系に顕著なのは、まさに精神的な理由があるんだろうなね。
私は、〇〇人とかどこそこの国とかってやつは、ある特定の時間と地理的、政治的条件で切り取られた限定的なカテゴライズだと思ってるから…
もちろん日本LOVEだし、日本人のステキなところ、日本文化のステキなところ、お国自慢もたくさんある。
そうであっても、おれたち!日本人は!スゴイんだ!トクベツなんだ!と主張されると、シラケてしまう。それを含めて日本人らしいなぁ、と思うけど。。
○○人で仲間分けをすることで集団のコントロールは圧倒的カンタンになるんだけど、そういう目的でコントロールされた先ってろくなことがない。たいてい、ヘイトだし(笑)
ケシーさんの言葉を借りるなら、「重要性を引き下げることは、自分の価値を低く見積もることではない」ってこと。重要性と、自分の価値は、ごっちゃにしてはいけない。
巨人は「重要性」をつついてくる。そしてそこから盛り上がってくるエネルギーを吸い取る。巨人は大きな鎧。守られている、つながっている安心感を与えてくれるけど、自分の背骨で立つことは許されない。
必要なのは高揚した言葉や
たいそれた夢によって
生きるということなのではない。
無作法なまでにじぶんであること、
ただそれだけなのだ。
異文化、他文化、多文化へのまなざしが柔らかく、鋭く、お互いに対する思いやりと敬意持ったやりとり、そして言葉の美しさを味わいたい人は読んでみてね!
梨木香歩さんの小説は、植物とか動物の描写が好き!!そして海王星的な…不思議なんだけど、そのうちなにが不思議なのかわからなくなる不思議さが…(笑)
見えない世界がごくごく自然に、この世界と混ざり合ってる感じ?
↓これは、過去記事でも何度か触れた物語!
さて、プロジェクト【交換ノオト】のアイディアをあたためようか。