今は出会えなくとも、会いたい人には必ず会えるものです。
その形はどのようなものかわかりません。
それは「人」に限らず。
会えた!と思えるトキ、それは自分の心が共鳴するとき。触れ合った時に生じた、魂のふるえる反響音が聴こえたトキ。
小説というものは、人生のしかるべきときに出会わなければならないということを示唆している。
覚えておくのだよ、マヤ。ぼくたちが二十のときに感じたことは、四十のときに感じるものと必ずしも同じではないということをね、逆もまたしかり。
このことは本においても、人生にとっても真実なのだ。
それは自分のガワに聴く準備が整ったトキ。
何かが芽吹くのに十分な土壌が育ったトキ。
私が最近「会えた!」本たちの中から、ほんの一部分、はらりと手のひらに落ちてくれた花びらのようなほんの一部を、こうしてブログに書き留めている。
↑別館ブログで紹介した、『私の好きな孤独 (潮文庫)』と『〈読む〉という冒険 イギリス児童文学の森へ (岩波ジュニア新書 947)』で見つけたシンクロテーマ。
ノンセンス。ばかばかしいことを、ばかばかしいまでに真剣に。
笑え!「ぷっ」と笑うと、息が抜ける。吸って、吸って、吸って、ぱんぱんになって苦しいのなら、吐き方を忘れたのなら、笑いで思いっきりバーストしてしまえ。
そこにコスパもタイパもなく、ただ「なんやそれ!!(笑)」が渦巻くカオス。
おそろしく単純で、おそろしく矛盾していて、おそろしくまちがっていて、おそろしくいいかげんで、すこしも物事をわきまえていなくて、ヘマして生きているものたちの生きようを、ノンセンス詩は、しかも楽しい噂として読むものにつたえる。
ばかばかしいことをばかばかしいほど真剣に。
根も葉もない言葉で花も実もある噂をつくりあげて、「ほら、こんなやつがこんなことをしてこんなところにいたんだ」というふうに。
私の好きな孤独 (潮文庫) 『ノンセンスのおくりもの』
↓で紹介した、ケシーさんの『現実創造の掟』、全5回だと思ってたら最後の第6回が更新されてましたな!
大前提→エネルギーという視点で見た現実世界の構造→エネルギー漏れに陥る落とし穴→それを避ける具体的方法→避けた上で取るべきアクション→それから心に留めておきたいこと→その先・・・魂のプランが実行されるぞ!ってハナシ。
ああ、これじゃん!って思った💫
因果の糸がもつれて、自由意志で動いているようで実は、結局運命に導かれて、いらべきところに帰着していく。
自由に生きたほうが、そういう大きな力に取り込まれていく。自分を方向づけている縁がくっきり見えてくる。
人は自由であるときに、宿命を見出す
自由に生きれば生きるほど、運命は紡がれる
なにかのために、とか、誰かのために、とか、そういう「使命感」とか「高揚した気持ち」に頼ることなく、「そうしてしまう流れ」に向かっていく。あくまでも「巨人」の影響からはみ出して、孤独なトキにね。
役に立たなくっていい。
認められなくってもいい。
成功しても、しなくても、重要なのはそこじゃない。
私がやりたくて(実際はやりたいとかやりたくないかとか考えることはあんまりないかもしれないけど)やっていることなんだから。モチベーションは外からの刺激でも、感情の高ぶり(正義感や怒り、不安、欠乏感)でもなく、こんこんと人知れず染み出してくるハートの奥の岩清水。
そんで、今読んでいる本にハナシは戻る。
最初の章、『ノンセンスのおくりもの』を読み終えて、ブログにぱちぱちと快感の記録を残して、また続きに眼球を上下上下させているところであります。
その中で「ほうほうほう」と自分にリンクした文章。
ほとんど忘れかけていた約束。
それは、オマージュ(讃える言葉)こそが、もしかしたら、言葉がほんとうは夢見ている最良のよろこびなのではないか
依頼者さんのいのちの讃歌、【宇宙からのギフトを読み解くプロジェクト】もまた、オマージュなのか!!と思って。
それは消費のためにあふれかえる気の利いた言葉でもなく、美しい言葉をふるまう宣伝文句でもなく。沈黙をまさぐって、そっと触れたほんとうに必要な言葉。
みずから、ゆたかに沈黙できるような言葉
それを目指して(稚拙な部分は多々あれど)一生懸命に魂をかけて書いたオマージュ。
効率は悪いし、「サービス(商品)」にはなり得ないし、相手にも要求が多い、注文の多い料理店(笑)
ああ、でも楽しかったなぁ。
そして昨日読み終わったKindle本。
「短歌」ってやり口もあるなぁ!!!
短歌は過ぎ去った愛を、言えなかった想いを、見逃していた風景を書くのに適している。それらを、あなたがあなた自身のために、あなたに似ただれかのために、結晶化しておくには最適な詩型だ。
記憶の奥にある思い出せない思い出を書くことには最適なツールなのである。思い出とはこれまでだ。そして、これまでに起きたことはこれからも姿かたちを変えて必ず起こる。だから、これからを生きやすくするための御守りとして役に立つ。
いまこの瞬間、あなたが見ている月について言葉はいらない。
どんな言葉よりもその月のほうがうつくしいからだ。
見とれていい。黙っていればいい。無理に言葉にする必要はなく、目に焼き付ければそれでいい。それが思い出になったとき、目を閉じてもう一度その記憶のなかの月をよく見てほしい。おそらく何かが欠けていて、何かが不鮮明になっているはずだ。そこにこそ詩の入り込む余地がある。
欠けた何かを補うための言葉、不鮮明な何かにピントを合わせ鮮明にするための言葉、それこそが詩だ。
そう、絶対に言語化できないナニカを、言葉を通して必死に描写すること。それは詩で、祈りで、愛という行為・・・だと私は定義する。
世界は美しい、と。
美しいものを、美しいと言おう。
美しいと感じた心を、感動を、その世界の美しさを丁寧に描写する。言語という記号で書き表せない部分に、声という空気振動からは聴き取れない部分に、その感動のエッセンスがある。
そのエッセンス(成分)が、「愛」の素なんじゃなかろうか。
いや、愛そのものなのかも。
そして、その言葉は祝福!生命賛歌!
オマージュ、ほとんど忘れかけていた約束。
絶対に言語化できない、言葉では共有できない世界を共有するのは、「死」だと思っていた時代があった。今もそうかも知れない。この世は言葉でできているから。
ほんとうは、そうじゃないんだけど。でも、言葉が溢れかえっているせいで、もうそれが全てだと感じてしまうから。
それを全部、強制的に、誰一人例外なく、呑み込んでくれるのが「死」だから。
しかーし!
闇と光の魔術師、アーシュラ・K・ル=グウィンは、彼女のいのちから産み出す最後の作品『ラウィーニア』を通してこう語る。
わたしたちが理解しあうことを可能にするものは、死ではない。
それは詩だ。
六万年前 神がほだした 蚕の糸が
土地と人とに 染色されてひと色に 染め直そうと するのでも
単色に こだわるナショナリズムでもなくからみほつれて 編み込んで
錦の網目を 織るアクエリアス
これ、梨木香歩せんせの対談本↓を読んでてふと思いついた歌。
いや全然五七五七七に収められてない長歌なんだけど(笑)
装丁がすっごくキレイ!!図書館の本が古いからか、淡いグリーンにも見える紙っぽいラフな表紙に、白と黒の羽。文字は銀の箔押しでキラッと静かに光る。
往復書簡のかたちでそれぞれがそれぞれに宛てた手紙が本書。
創作者、翻訳者ならではの、日々の暮らし、異文化、社会への眼差し。視野が広くて、高くて、優しく美しい言葉を使う二人のやりとりに「じんと」くる。
私も往復書簡してみたい!!!
で、勝手に思い浮かんだ人がいるのだけども(笑)
このプロジェクトは今は保留。
六万年前 神がほだした 蚕の糸が
土地と人とに 染色されて
ひと色に 染め直そうと するのでも
単色に こだわるナショナリズムでもなく
からみほつれて 編み込んで
錦の網目を 織るアクエリアス
遠く遠くを目指した糸が射手座の9ハウスを超えて、「自分たち」の技を育てる10ハウスの山羊座へ。その伝統、歴史、文化の継承が「極相」を迎えたら
(たぶん、今がその時代)
11ハウスの水瓶座、その様々な色と柄の布地を繋いで、まったくもって奇想天外な着物を織り上げるんだろうね。
※極相
生物群集、特に植物群落が、遷移の過程を経て、その地域の環境に適合する、長期にわたって安定な構成をもつ群集に到達したときの状態。 クライマックス。 安定期。
クライマックスジャンプ!(笑)
↑学生時代ひとりDVDをごっそり積み上げてハマった仮面ライダー電王(笑)
いーじゃん!いーじゃん!スゲーじゃん!
始まりはいつも突然 運命を連れて行く
時空間を超える旅、過去と未来の接点、がテーマの仮面ライダーだったね♡
↓仮面ライダーネタの過去記事探して出てきたまさかの『プルートゥ』♇💫
ああ、そうか、今日はアレか。
せっかく出てきてくれたんだから、引用しておわりにしよう!今日のブログタイムもそろそろ時間切れだ!
宇宙にきらめくエメラルド
地球の最後が来るという
誰かが起たねばならぬ時
誰かが行かねばならぬ時
今この平和をこわしちゃいけない
みんなの未来をこわしちゃいけない
~中略~
突然嵐がまきおこり
突然炎がふきあがり
何かの予言があたるとき
何かが終わりを告げるとき
誰もが勇気を忘れちゃいけない
優しい心もわすれちゃいけない
アニメ版は、原作に忠実なんだろうか・・・!!!
このすさまじい展開は!!!エンディングは!!地球の未来は!!
また読もう〜