今日は久々に予定の入ってない平日。掃除やら買い物やらを済ませたら漫画喫茶でJOJO全巻読みなおすか!!と車を運転していたら「あ、淵神社」となぜか思ったんですわ。そうそう、行くんだった、みたいなノリで。
しかしいや待てよ、と。淵神社は好きだけど、最近お礼参り行ったばっかりだし、反対方向だし、満喫でディオ様の「ロードローラーだ!!」を拝みたいし・・・なんて行かない理由をいっぱいピックアップしてみたんだけど。なんか気になる。後頭部がムズムズする。
そいで前の記事で紹介したアプリでタロットを引いてみたら・・・
カップのナイト★ハートで動くロマンチックな騎士だぜ。
ほんなら行くか!天気もいいし!
で、ありがた〰く参拝しまして、裏手の摂社末社もまわって、星信仰ミステリーツアー面白かったなーなんて思ってたら、思い出した。
本殿右裏にある、祠の寄せ集めみたいなとこ。
大弁財天女、弁財天、と書かれた扁額(鳥居や門に飾られる額)と、弁天さまの祠、横には虚空蔵菩薩と山神権現と書かれた小さな石碑。
淵神社はもともと妙見社と呼ばれるお寺さんで、宝珠山の麓に弁天社、山頂に虚空蔵菩薩を祀ってた・・・ってのがミステリーツアーで見つけた長崎の星信仰。
だからその時祀ってた扁額や祠がここにあるのね、ぐらいにしか思ってなかったけど。いつも目に留まっていたんだけど、そう、ここにあったんだった!!!
宝珠山の山頂に祀られた虚空蔵菩薩と玄武神、その名残を稲佐山に求めてひとりミステリーツアーをして収穫なしで帰ってきたワタシ。気付け!!ここにあった!!
弁天、虚空蔵菩薩があって玄武神がないけど、「山神権現」の石祠がそうなのかな。権現ってのはサムシング・グレイト、なんかすげぇチカラとかエネルギーがこの世に表した姿って意味。単純にお山に対する信仰の名残かもしれないけど。
そんな古そうでもないから、その当時のものじゃあ無さそうだけども。ちゃんと残ってたことにハッと、そしてホッとしました。
そしてこの瞬間、後ろから階段を降りてきた方が昔お世話になった方と、その娘さまでまぁビックリ。「こんなマニアックなところ参拝してるから、マニアックな人なんだろうなと思ったら、まさかの!」と。そう、マニアックなワタシでした!
その方帽子被ってたから顔はよく見えなかったのに「あ、〇〇さん!」と自分から声をかけておいて自分で驚いたっちゅう不思議。
聞くところによると、今日は一年に一度のロープウェー無料開放デー(長崎市民のみ)なんだって!!こりゃラッキー!ってことで乗りましたとも。淵神社はロープウェー乗り場としても有名な観光地なのです。
神社の横にある乗り場に行ってみると、ちょうどいいタイミングで発車時刻。帰りもちびっこの遠足大集団と一足違いで被らなかったおかげで、ゆっくり眺めを楽しめました。いやはや、ラッキーですな!
ゴンドラから山と街を見下ろしながらグングン登りながら、もうひとつ気づいたのはこれ。
まぁこんもりときれいなおやま。淵神社が立つ山、宝珠山。
ずっと宝珠山=稲佐山の古い呼び名かと思ってたけど、ちゃうかった!このこんもりが宝珠山なんだね、きっと。
写真右下のこんもり。山が連なって稲佐山に伸びている。稲佐山は写真を撮るワタシの背中側、標高333メートル。そこにはワタシが探してた星信仰の跡地は無かったわけだ。他のんはあったかもせんけど。
昔はこの山の下がすぐ川、そして港。ここに水の流れのシンボルである弁財天が祀られた。川そのものに対する畏怖の念と、そこで暮らす人々の祈り(=抽象的な概念)を具体的な形にしたのが、信仰。
同じ集団が祀ったのか別々にあったのかはわからないけど、山頂には虚空蔵菩薩(明けの明星、金星のシンボル)と玄武神(北極星に関連付けられる神聖な獣)があって。
山頂と川辺の信仰をひとまとまりにして祀っていたのが妙見社。この跡地に建てられたのが神宮寺の末寺。そして神仏習合を経て淵神社になり、水の女神つながりで宗像三女神を祭神に据えた、とな。
宝珠山のてっぺんに小さな鉄塔?みたいなのが見えたけど、電波塔かなにかかな??登れるのかな・・・?
もうひとつ目に入ってきたのが、宝珠山と稲佐山の間(勝手に別の山として呼んでるけど、本当はどうか知らないよ)にちょっと覗いていた岩。
前に「稲佐山にもスゴイ巨石がある」って噂を聞いていたことがあるんだけど、あれかな。昔はズンッと立ってて、もっと下からも見えたんだって。今は金比羅山の金星観測所同様、生い茂った木に隠れているみたい。
巨石も星信仰と関係が深そうで、気になるキーワード。古代人はなぜか巨石・磐座(イワクラ)を祀る。それにしても、まさかの星信仰ミステリーツアーができて大満足。これにて、淵神社編は完結!かな。
今日は長崎市民、ロープウェー無料だからね!この記事見たラッキーなあなたも行ってみて!百万ドルの夜景を見ながらディナーもいいかもね★
あとあと、淵神社参拝するときはぜひぜひ裏手の祠にも寄ってほしいな。玄武神がどこにいるのか、山神権現がそれなのか、そこんとこはちょっとわかんなかったけど。
ティンカーベルが忘れられると消えちゃうように、信仰とか見えない世界のナニカも、思い馳せる人がいてこそアルことができるので。宝珠山のサムシング・グレイトの存在感とか、昔々ここにいた人たちの世界観とか。
肉体も山の地形も亡くなったり変わったりするんだけど、こうして見えない部分で組み紐のように連なって「今」があると思うと、それを切ってしまうのは実にオシイ!!と思うわけです。
別に信仰、宗教がどうとかスピリチャルなうんたらとか、そういうのは、ま、それぞれご自由にって思うんですが。そうやって見えないナニカを見えるカタチにこしらえて大切にするニンゲンって、んま〰愛おしいなぁ、って。
そんなことを考えた休みの平日でした。おしまい!