五色の舟じゃん。
『五色の舟』の作者、近藤ようこさんを知ったのは『高丘親王航海記』の漫画。淡白な線なのに印象が濃すぎる線(絵)に衝撃を受けた。
名作の漫画化って、小説とか映画とかしょっちゅうされてるんだけども、どの作品も「がっかり。。。」しかなかった。単なる要約になっちゃうからかなぁ。
ところがこの『高丘親王航海記』ときたら!がっかりどころか、相乗効果か!!ってくらいに作品の美しさと不気味さと軽快なおもしろさを表現しているんです。
気持ちよく混乱(トリップ)すること間違いなし(笑)
高丘親王にハマったのは去年?だったけど、最近思い出すことが多くて。先月図書館をうろついてたら、なんと、親王×シンガポールの書籍を発見。
日本の皇太子の航海の痕跡とそのお墓がこのあたりの地域にある?!
それってすごい観光資源になるんじゃね?!
ってビジネスマンたちの駆け引きを、謎の多い親王の資料考察と一緒に描いている小説。旅行会社のシステムってこんな感じなんだーって部分も垣間見れる。
でも今は「観光客いっぱいよびこんで、レジャー施設やら高級ホテルをばんばん建てて、団体ツアーにお土産爆買いを期待して!」って戦略はとらないだろうねぇ。
いきてぇなぁ。
日本よりもっと近く、ここから川ひとつ渡れば、高岳親王が航海を終えたあたりなんじゃないか、って土地。『高丘親王航海記』だと、虎に身を捧げた伝説を採用している。
虎・・・
寅年・・・もうすぐニューイヤーだね。
※中華圏は旧暦のお正月
どこに繋がっていくんだろう。おひとり様のミステリーツアー。
親王はなにかを求めて、ひたすら足をうごかしていた。
なにを求めているのか、なにをさがしているのか、自分でもよく分らないようなところがあった。そしてつらつら考えてみると、自分の一生はどうやら、このなにかを求めて足をうごかしていることの連続のような気がしないでもなかった。
どこまで行ったら終るのか。なにを見つけたら最後の満足をうるのか。しかしそう思いながらも、その一方では、自分の求めているもの、さがしているものはすべて、あらかじめ分っているような気がするのも事実であった。
なにが見つかっても、少しもおどろきはしなかろうという気持ちが自分にあり、やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした。
まさに、そんな感じ。
なんにしても、「運命愛…これをば、今より、我が愛となさん!」ってことですな!
『五色の舟』で言う「無数に存在する航路」を流れる1艘のうつろぶね。漫画では「歴史」の比喩として描かれていたけど、「個人の歴史」ってスケールでもそうだと思うんだ。つまり、人生。
「私は最初から海上の一点を漂っているに過ぎないのです
傍をさまざまな船が通過していきます」
「そのうち一艘がこの私たちの歴史だというのだね」
漫画で出てきた妖怪、「くだん」はこういう。
「単純な円環とは限りませんが
どうあれ内海からは出られません
正確に言えば外のことを私たちは感知できません
しかし航路は無数に存在します
そのさまを俯瞰し
意図的に乗換えをおこなうための装置が私です」
私は、「物語」が「くだん」なんじゃないかってふと思った、今。
物語が、無数の航路の交点になる。
「物語」は主人公や登場人物の”目”を通して、自分からは見えていなかった視点を体験できる魔法!
時間、時代、空間、立場、現実を超えて、当たり前の世界への「疑問」とか 「違和感」を安全な場所で確認できる装置なんだわ。
ファンタジーの世界ってのは、目の前のリアルな現実(A)をとことん見つめた目を、ずんずんずんずんズームアウトして、めちゃくちゃ大きな枠で捉えたあとで、そこからまたピントをずらしてかなり至近距離までズームインした現実(A’)なんだと思う。
だから目の前の現実とかけ離れている世界を空想世界に描いているようで、実はそうじゃない。全く同じ世界を、ほんの少しずらしただけのリアルな現実なのかもしれない。
別の層の現実というか、パラレルワールドというか。
物語を交わし合おう、って意図で、【星の読書会】を企画した。
本を読まない読書会(笑)
「聴きあう会」ってのも、やってみた。すごくおもしろかった。
今度開催するのは、「くだん」となってくれそうな物語を課題図書にピックアップした読書会。※参加者募集中!!
なにが起こるか分からないし、なにも起こらないかもわからない。ただ、楽しいだろうな!って期待は、ある!
公式LINE
※公式LINE友だち🎁企画、まだやってます。詳細はコチラ↓
ああ僕ら 選んだのか選ばされたのか
考えたいのさ 未来をようやく疑いだす
うつろな舟のような空っぽなはずのこの体に
爆弾のような訴えを積んで反逆起こす夜明けの鐘
♪『うつろぶね』日食なつこ