ふとカレンダーをみるとね、シンガポールの祝日にHari Raya Hajiって日があるのよ。 5月13日に。こ、これは・・・・『孔子暗黒伝 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)』!!!と思って読み返してみたら、ハリ・ラヤじゃなくてハリ・ハラだった。オ~~~~~~~ム~~~
諸星大二郎センセーの衝撃的すぎる世界観。
世界の仕組みをデータベース化した「易」と、古典×SFなぶっとび考察がたまらなくオモシロイ。。ある意味めちゃめちゃ「スピリチュアル」だけど、女子はまず嫌いなテイストだと思う。(笑)
オ~~~ム~~~~
神話と歴史が、都市伝説的なアレコレと結びつけて描かれてるの。すんごくリアルに。
あと、時空がゆがむ感覚を味わえたのがこの漫画!
静かで不気味?切ない?こっちは女性的で繊細な線が特徴。物語のカギを握っている「くだん」っていう妖怪(?)がね、もー不気味なの。不気味なんだけど、なんかすげぇの。
「内海を巡回する船があるとします
すると海上の一点は船の前とも後ろともつきません
しかし私の生まれた座標が
そこから未来と感じられやすいというふうには
申せましょう」
「それが歴史の姿なのか
ぐるぐると内界を巡るというのか」
「単純な円環とは限りませんが
どうあれ内海からは出られません
正確に言えば外のことを私たちは感知できません
しかし航路は無数に存在します
そのさまを俯瞰し
意図的に乗換えをおこなうための装置が私です」
「未来の人々が自分たちのためにお前をこしらえたのだとしたら
なぜお前は私たちの前に現れ今も留まっているんだろう」
「私は最初から海上の一点を漂っているに過ぎないのです
傍をさまざまな船が通過していきます」
「そのうち一艘がこの私たちの歴史だというのだね」
パラレルワールド、並行世界。同時に存在している、いろんなパターンの過去と未来ってこと。これは物理学でも肯定されてきている「ありえる世界」の仕組み。ただその一点を「選択」して現実があるってだけ。
現実は「主観」(私がどう見るか)に左右される。
精神論なのかってと、それともちょっと違うのかなぁ。
もっと根本的な、宇宙の仕組み。
コトバにしたらちがうイメージが重なってきてうるさいから、数字と計算式で表現するんだろうね!!物理学とか数学で、宇宙の姿を記述してたら、そうなったってだけ。
内海からは出られないし、航路の外を感知することもできない。
(たまに出来る人もいるぽいけど・笑)
この中からは気付かない、ってはなしを先日お届けしたリーディングに書いたような・・・書いてないような・・・いかんせん、一度リリースすると記憶が飛ぶ(笑)
この忘れっぽさ・・・個人情報保護的には便利なのかもしれない。
あとから感想や質問いただいたときに「えっと・・・えっと・・・(何書いたっけ)」ってなるんだけど(笑)
『五色の舟』の漫画家、近藤ようこさんの作品で最初の出会いはこれ!
澁澤龍彦氏の小説『高丘親王航海記』を漫画化してる人がいる!!と興奮。
昨日、第3巻を読んで感激。次巻が最終巻になるのかな?3巻は大好きなシーンが詰め込まれていたのだよ…!!
親王はなにかを求めて、ひたすら足をうごかしていた。
なにを求めているのか、なにをさがしているのか、
自分でもよく分らないようなところがあった。
そしてつらつら考えてみると、自分の一生はどうやら、
このなにかを求めて足をうごかしていることの連続のような気がしないでもなかった。
どこまで行ったら終るのか。
なにを見つけたら最後の満足をうるのか。
しかしそう思いながらも、その一方では、自分の求めているもの、
さがしているものはすべて、あらかじめ分っているような気がするのも事実であった。
なにが見つかっても、少しもおどろきはしなかろうという気持ちが自分にあり、
やっぱりそうだったのか。すべてはこの一言の中に吸収されてしまいそうな予感がした。
この射手座的世界観、9ハウス的な冒険観がたまらなく好きなのだよ。
『准南子』の説林訓に次のような一節があります。
即ち、明月ノ珠ハ蛇ノ病ナレドモ我ノ利ナリ。虎爪象牙ハ禽獣ノ利ナレドモ我ノ害ナリ。蛇というのは貝の一種だそうです。
わたしたちは見かけの美しさに目をくらまされているけれども、
要するに真珠というのは目にとっての病気にほかならないのですね。
病める貝の吐き出した美しい異物、それが真珠です。
この真珠のハナシに、大いに影響を受けた私です。
貝の中から、あの輝く真珠が造られるのは、異物混入から身を守るプロセスがあるからなんだって。ゴミとか砂とか虫とか、不快な物質が体内に入って傷をつけられると、自分を守るためにその異物を加工する。時間をかけて。
ホロスコープにハードアスペクトが強調されている人は、真珠を磨く準備を携えて生まれてきた。STAR(星)がそう言ってるんだ、間違いない。
だから凶星だとかハードアスペクト、グランドクロスだとかそういうのんも「真珠」を磨くための装置として読める。
まだまだ、本の旅はつづく。
ニンゲンのいちばん素朴な「性質」を思い出させてくれる旅のエッセイ。
太陽信仰以前の信仰形態は、星や巨石だったってサラッと書かれてたんだけど、それで思い出すことがたくさん。
こういうのって民俗学の守備範囲なのかなって思うけど、人類学も似たようなことを一生懸命してるんだって知った。○○学ってのも結局わかりやすい肩書きってだけだし。
今読み進めてるのはこの本。
こっち側を知るために、あっち側という定義をつくる。
ジブンを知るために、 アイテという存在をたちあげる。
そういう「関係性」についてのハナシが、めちゃめちゃおもしろい。
こむずかしい理屈はぬきにして、エッセイとして楽しめそうなのがこちら。
今冒頭だけ読んだところ。
待たせてる人がいる・・・と思うとなかなか次の募集がかけられないのです。。。色んな人のホロスコープ読みたいんだけどなぁ。
一か月くらい気長に待てるわよ~って方は、ぜひぜひお声掛けください。