世にはびこる思い込みを白日の下にさらす名著『FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』でぶったぎられる思い込みのトップバッター『分断本能』。
なんでもかんでも、二元化して考えちゃう「思い込み」のこと。
本能ってことは、あんまり深く考えてなくても出てくる考え方ってことよ。「二極化」って言葉のほうが馴染みがあるかな。
もちろんこの捉え方が間違ってるってことじゃないんだけど、これは「ひとつの見方」であって、「唯一の絶対的真実」じゃないんだよってこと。表現方法のひとつ、切り取り方のひとつでしかないってこと。
善と悪、光と闇、金持ちと貧乏、男性性と女性性、スローライフ派と効率主義者、高次元と低次元、えとせとら。ざっくり捉えるための最初のステップでしかないのに、「これが現実(真実)だ!」と思い込んでしまうのが罠。
全ては陰陽に落とし込めるってのももちろんそうだよ。でもその陰と陽だって八卦にまで落とし込んで、さらにそれを組み合わせて64の「事象」を読み解くわけでしょう。
そんでもってこの分断本能の危ういところは、両者は相いれない、二つは分断していてその間には超えられない溝がある、っていう思い込み。全く別世界として受け入れられないんだ、って前提で見てしまうこと。
これは「わかりやすさの罠」だと思う。
人はついついドラマチックに物事を見てしまうし、より刺激的な(不快な)ほうに注目してしまう。だから目に入らない情報、溝だと思っている中間部分は、存在していないって勘違いしてしまう。
こういうときこそ統計、平均の出番なんだよね。
全体像を把握する、ばらつきの分布を見るためのまとめデータなんだから。個人個人の特性、パラメータを「あてる」ためのもんじゃなく。
分かりやすいのが悪いって言ってるんじゃないよ。
ただ、不安が高まっているとき、緊張状態にあるとき、人はやわらかく「考え」られないどころか「直感」だって聞こえなくなるってこと。自分の感覚を濁りなく捉えられるのは、自分が安定しているときだからね。
そういう非情時に人を絡めとるワナが
分かりやすい思想、救済の物語、共通の敵。
アイツらとワタシたち。アイツらは間違ってる。ワタシたちは正しい。アイツらは敵。アイツらとは分かり合えない。ワタシたちは救われるけどアイツらはお陀仏。ぶつぶつ…
世界が二極化してるんじゃなくて、あなた(の思考)が二極化してるの。私だってするし、誰だってするよ。あえてそうやって大きく捉える視点もダイジ。でもそこから出られなくなると、大いに困る。困るぞ。
こわいのは、自分側VS相手側に分けて相手を「許せなく」なること。
ゆるすってのは、聴(ゆる)すってこと。
ゆるせないと、相手のこと(声)が聴こえなくなってしまうし、溝エリアからの声なんて存在すら気付けない。
「許すことは、囚人を自由にすることだ」と、神学者のルイス・B・スメデスは書いている。「そして、その囚人が自分だったことに気づくことだ」
何にも気付かないってのは、自分は何も変わらずに動かないってこと。動かないってことは、死んでるってこと。生命力は循環してこその生命力。動かすことができなければあとは枯れゆくのみ。
私はそんなの、やだね。
囚人でいたくない。
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