義憤きのこ


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なんだ!勝手に出てきた曲、RADWIMPSじゃん!しかも映画の空海だ。映像きれいだったな~。空海のキャラはちと物足りんかったけど、チャイニーズアクション風というか、エキゾチックアジアンな感じが結構好き。

 

原作者の夢枕獏せんせは空海大好きよね。

私も憧れがぶちぬけて神格化してる。外国語を話すも書くもネイティブスピーカーの心を動かすレベル。権力者も民も惹きこんで歴史を動かすカリスマ的魅力。その思想。

ほんまにそんなニンゲンおったんかいな、って思う(笑)

 

空海、で過去記事検索して出てきたやつ

五大にみな響きあり。然り。

世界の全ては深く響き合い、常に変化しているが故に。

 

原文・現代語訳  弘法大師 空海  声字実相義: 真言密教の言語学と言語哲学

 

そうそう、この記事に「白いキノコ」出てくるんだけど

今朝息子と幼稚園にてくてく向かってたら白いキノコ出てて(笑)

 

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そいで息子とキノコジャングルの歌を作って歌いながら歩いてたら、なんだか雲行きがあやしくなってきた。数分前家を出た時は晴れてたのに、薄暗い。風が強くなってきた。

 

そのあと落ち葉がみんな浮かび上がって、不思議な光景を見た。風の動きを見た。突風ってやつですな!!葉っぱが大量で風のカタチまで見えた。いやぁ、びっくりした(笑)

 

息子と「きゃあーー!!」って叫んで走ったよ。息子は「こわいけど、こわいけど楽しいねぇ!おもしろいねぇ!」って目をキラキラおしりぷりぷりさせて可愛かった。

 

息子を幼稚園に送り届けたら、雨が降ってきた。私が癒えに到着したら、雨が止んだ(笑)いぢわる(笑)雨シャワー涼しくて、気持ちよかった~( *´艸`)

ほんで家について、ちょっとタロット触る。「何べん言ったら伝わるんや!!!」ってくらい同じハナシがここ数日続いてて、でも私の頭は「???」なの。え、どういうことスか??って。

そしたらほげ~~って眠くなって、昼過ぎまでベッドで気を失ってた。何回か「〇〇ってことね!!」ってハナシが出てたんだけど、目が覚めて左脳ONになったらカットされて覚えてない(笑)でもたぶん、右脳でちゃんと整理されたんだから大丈夫だと思う。

 

たぶんこのへんのハナシなんだと思うんだけどなぁ。

 

聴き手、鑑賞者、受け取り手に「自由な解釈」をゆるす、ってのは、すごいなぁ、って思うの。それが人生を注ぐ大切なものであればなおさら。

 

ゆるす、ってことは「聴(ゆる)す」ってこと。

語り手でありながら、聴き手でもある。

 

私はホロスコープを通してコトバを贈ることにヨロコビを見出しているんだが、「聴き手」としてコトバをつづれているだろうか、と自問する。

 

ブログも。

 

なんとか「できるだけ正確に」伝えようと思うと、言葉足らずになるしかない。だって、言葉で全部表現するなんて不可能。そんでもって同じ景色を同じフレームでコピーするのも、無理。

 

もちろんできる限りの努力はするけど、カンペキにわかってもらうことはデキナイ、と諦めないと。あきらめるって言うと、放り出すみたいだけど、それともちょっと違う。

 

それも含めて「余白」に組み込む度量さ。

 

私も、贈り手であると同時に、聴き手でありたい。

すべてを「聴(ゆる)す」コトバの使い手になりたい。

 

「全託の祈り」手でありたい。

 

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最近ねぇ・・・

占いギライスピリチュアル風情ギライな自分がむくむくと出てきてね。。。あと、正義感からくる「義憤」への嫌悪感。これだけマニアックにオカルトネタ書いといて何言うてんねん、って思われるだろうけど、ほんま根強いんだわ(笑)

アンビバレント~~

 

誰がどうとかってことじゃなくて、自分のモンダイ。

ここ自分の中でちゃんと腑に落としとかないと、先には進めんのやな、って。

THEレンマ、ジレンマ。

 

Humankind読んでた時に思い出したの。

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Humankind 希望の歴史 上 人類が善き未来をつくるための18章 (文春e-book)

Humankind 希望の歴史 下 人類が善き未来をつくるための18章 (文春e-book)

 

小学生のときに、アウシュビッツで子どもたちが描いた絵の本をばあちゃんに見せられてね。この本かな?中身は全然覚えてないんだけど、絵を見て涙が止まらんかったのだ。

 

 

悲惨な出来事とか、戦争をさ、「いかにカワイソウか(今の私たちはシアワセか)」みたいな本が大嫌いなんだよ。不幸と比較して幸福を勝手に決めつけてくるオトナが今も大嫌い。

あの時の私はそういう好き嫌いがまだ無いころだったけど、大泣きしたのは覚えてる。

 

何十年も経って、この本を読んでそれを思い出した。デンマークで起こった、船で移送されるユダヤ人の救出作戦。船で連れていかれて殺されるってところが私のトラウマなんだけど…(私の記憶に残らない記憶が引き起こした初めての不思議体験)

 

読みながらふぎゃふぎゃ泣いた。いや、泣かせる物語じゃないんだけど。本では、歴史上事実として起こったけどこれまでピックアップされてこなかった情報を述べているだけで。なんで泣いてるのか、左脳はそれっぽい理由をつけるんだけど、なんでなのかはわからん。

 

わからんけど、無意識の領域にある何かにひっかかったんだよな。

 

「義憤」への嫌悪感も、そのひっかかりと繋がってるみたいなんだ。なんでなんかわからんけど。嫌悪感のうしろにあるのは、私の怒り。怒りの後ろにあるのは、恐怖。そこまでは、なんとなく追跡できた。

 

こわいんだ。

 

 

「私は視野が広いし、高次元(?)だし、波動も高い(?)から、そんな偏見なんて・・・」って人だって、自分が気付いてないところで偏見ゴリラの顔してんだよ。まず「ある」(あるかもしれない、でもOK)って前提じゃないと、社会は簡単に地獄を生む。それを知っておかないと、って思う。

 

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自分に何度も何度もくぎを刺す。

 

ハンナは「生き方の目安」が理想の追求だとか真理だとか、そういう抽象的なもんを追いかけてるから現実に目を向けられねぇんだ!と言う。

 

私、こっちの生き方にすごく憧れちゃうんだけど。(笑)

例えばスピリチュアルね。愛だとか平和だとか「抽象的な」概念で生き方を指針にする。自分の精神性をいかに高めるか、とか、いかに自己実現する(幸せな自分を手に入れる、引き寄せる)かってことばかり考えてる人は、他人の存在をないがしろにする

ハンナが「世界疎外」って表現してること。

 

目の前の人の存在は、あなたが作り出したものなんです。

自分の心を見つめましょう。

その極端な例ですな。

 

その人は確かにそこにいるし、その人の人生を生きている。自己実現のためにあるわけじゃない。そこんとこ目をつむる人が集合してできた社会は、全体主義に向かう。

 

「高邁な理想」を掲げて、それに「貢献」しようとして、あんな悲劇が起きた。ふつうだったら、なんも悪いこたぁない。成長意欲サイコーじゃん、意識高い系が社会をひっぱるんだいっ!ってな。

 

むしろ「愛」と「平和」を説くスピリチュアリストこそが、歴史を穏やかに人々を結び付けるんじゃないの?って。

 

でも極度の不安や緊張におちいったとき、大きな拠り所を求めてしまうニンゲンはどうするか。分かりやすい思想、救済の物語、共通の敵。そこにぴったりフィットすぎるんだよ、スピリチュアルは。

自分たちが「愛と平和の使者」だと信じているが故に、簡単に敵をつくる。悪魔をつくる。悪魔を切り捨てることは正義の行為になる。どこまでも、美しいままで残虐になれる。

 

大げさな、と笑われるかもしれないけど、私はそんな「芽」を感じると怖くてしょうがない。「低次元な人を(無意識に)見下すスピリチュアリスト」のまなざしに、背筋がぞっとする。カワイソウな悪魔を設定して「救ってあげましょう」と自分と相手との徹底的な距離をつくる人たちに、恐怖を感じる。

 

そんでもって、私の中に「義憤」のエネルギーがめちゃくちゃ強いことを、それを冷笑する立場を演じることで一生懸命抑えていることにも、うすうす気づいている。

 

たぶん、弱いものいぢめするやつがはらわた煮えくりかえるくらい許せん。

でも私自身は弱いから、ものすごく卑劣な手段で「正義の鉄槌」をくらわそうとしそうじゃないの(-_-;)安全な場所から、手榴弾投げるかもしれない。

 

さるかにがっせんの原作で、義憤に駆られて猿をリンチする登場人物みたいに。あれは「義憤」にかられたニンゲンの姿を描いてるよ、まさに。

 

こらしめてやる、という名目で、暴力性を解放するんだニンゲンってやつは。日常生活、社会的にタブーとされればされるほど、その暴力性は凄まじい。

 

それがめちゃくちゃこわい。

それだけは絶対にイヤ。

 

私、暴力的なエネルギー(占星術で言う火星ってやつ)がかなり容量デカイ。スポーツなら闘魂、仕事なら熱量、何かに熱中できればそれをガス抜きできる。

ありがたいことに、これまでの人生で怒りに我を忘れるみたいな経験は無い。暴力沙汰を起こしたことも巻き込まれたこともない。

 

でも、種がある自覚はある。

だから、こわいんだな。だから、・・・否定してるんだな。

そうかそうか、今それを鎮魂しておかないと、先に進めないってことだな。

 

ラテン語の「sacer」は、聖なるもの「sacred」の語源なんだけど、この言葉には「呪い」や「恐ろしいもの」「穢れ」という意味も含んでいる。

 

聖なるものと穢れとか呪いって正反対の性質なんだけど、根っこというか存在感と言うか「絶対値」が同じなのね。(-5と+5は正反対にあるけど、絶対値は同じ5)

 

~中略~

 

絶対値に対してピックアップするカテゴリーを変えちゃう。

-100ぐらいの恐ろしい祟りパワーを、100という絶対値だけを抽出して逆方向のカテゴリーで捉えなおす。+100の強力なsacred(聖なる)パワーになっちまうってわけ。

 

~中略~

 

日本では「呪い=祟り」を「聖なるもの=神」として祀るでしょ。道真公とか、平清盛とか。それってのは、カテゴリー変換の知恵、鎮魂の技術なんだ

 

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最近知った心理学の考え方でね、「内的家族システム」ってのがあって。自分の中にはいろんな人格(パーツ)があって、それを全部まとめあげて統一したものが「自己(セルフ)」なんだって。

 

いろーんなキャラがうごめいている中で、好ましいやつばっかりじゃないわけ。問題児とか、扱いづらいやつとか、そういうパーツは隔離されたり管理される。(それをやってのけるのは無意識だから、「私」は気付かない)

 

今、私の中で隔離されていた「義憤」のパーツが顔を出したってワケ。「内的家族システム」だと、セルフ(全体性)とパーツ(別個のキャラ)の関係性が人生のクオリティに影響するってことになる。

これは、自分とのつながりだ。生命力を高めあうつながりをつくろうって、自分からの提案・挑戦だ。

 

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そんでうまいことお膳立てされててね、これに効くワークがあるんだな(笑)ブログで紹介しよーって思ってノートに書いてたやつ、自分のためだったんだね。。

 

ワークはまたブログでまとめようかな。

自分とのつながり、他に取り組んでる人がいたらきっと使える。

 

 

私が占星術に対して否定的なのも、スピリチュアルにいちいち「言い訳」付け加えるのも、自己防衛。「許せん!!!!」っちゅう義憤はやっかいだよ。許せん/許す相手が「存在しない」ってのがまたやっかい(笑)おらんもん相手にどう許せっちゅうねん。

 

「許すことは、囚人を自由にすることだ」と、神学者のルイス・B・スメデスは書いている。「そして、その囚人が自分だったことに気づくことだ」

 

 

超極悪筋肉マッチョごりごり胸毛ぼーぼーの赤鬼みたいな囚人を、自由にしろって?そりゃ恐怖でしかないでしょ(笑)

 

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「でも…少なくとも俺は…なんというかその、

迂闊にも憧れて…求めてしまったからかもだと思います。」

 

「何を?」

 

「自由を。」

 

幼稚園児のとき(思い出せる限りいちばん古い記憶の中の自分)から、ビビリで気が小さいくせに、反骨精神旺盛で「自由」を常に求めていた私。

 

充分自由に生きてるじゃないか、って言われるけどね(笑)

 

 

不自由な時代に生まれた人は、選択肢が増えることが自由だと信じる。
そして選択肢が増えれば増えるほど、足取りが重くなることに気付く。
次のステップで人は選択肢を極限にまでに減らして、
そこにようやく自由があると気付く。大事なのは選択肢の多さじゃなくて
どれを選びとるか、何を軸に自分の選択をするか、ということ。
人生の舵は誰がとるのか?聞くまでも無いこと、のはず。


「無自覚」に心を向ける。
言葉の及ばない、自分のいちばん奥ッ底にある部分に。

 

世の中は 夢かうつつか うつつとも
夢とも知らず ありてなければ

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「それがなんの役に立つのか」
「それに何の意味があるのか」

この質問自体何の役にも立たないし、何の意味も無い。


それをやろうと決めたんなら、一生懸命やればいいじゃないか。
ただ、その選択が本当に「自分の」選択かどうかはハッキリさせておくべき。
打算でも逃げでもなく、「選択」であるなら、迷うだけ時間の無駄。
あらん限りの集中力を注ぎ込めばいいだけの話。

 

意味は自分がつけてやればいい。ただし言い訳意味は違う。
後になって振り向いて、思いもよらない点と点が繋がることがある。
往々にして、ある。その点が線になった感覚の中に、意味がある。
やってよかったんだよね、間違ってなかったんだよね、
と自分に言い聞かせるのは慰めであって意味じゃない。


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苦手なものに対して批判めいたことを言うのは、
自分をかばおうとしているから。

コンプレックスに向き合うのは本当に苦しい。
でも相手を否定して自分を正当化するのはカッコ悪いから
みっともないと言われても、敢えてそれに向き合おうと思う。

 

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今朝カードを通して言われたのはね、「過去の延長線上の未来じゃなくていい」ってこと。「お前はStory Tellerだ」って。ストーリーテラー・・・ぶるぶる

 

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分別がない世界の感覚を思い出せる大人はいない。いったん言葉を覚えてしまったら、二度と戻れない。普通は、それを忘れていることも忘れている。二度と戻れないんだから、子どもに急いで言葉や文字を刷り込んで大人にしてしまうより、味わえるうちにしっかりその世界を味あわせてあげたいもんだと思う。


分別がない世界には、何の縛りも無い。「わたし」と「あなた」どころか、時間もない。それってものすごく「自由」なんじゃないか。もちろんそこには「自由」も「不自由」もないんだけど、究極の自由ってやつはそこにしかないような気もする。

 

「言葉」のおかげで「自由」を知り、それについて考えることができるようになったヒトってやつは、「言葉」がある限り究極の自由には成り得ない。そう思うと、なんとも言えない妙な気持ちになる。

 

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私は・・・物語を、つくりたい。。。

 

「分かんなくてもいいけど、とにかく、わたしたちは、聴いてる人に自分たちの歌を届けようとは思ってないわけ。

ましてやメッセージを押し付けようとも思わないし。

絵描きの絵とかも一緒じゃない?

テーマとか意味とか質問するのに意味はないのよ。

かといって伝えたいことがないわけじゃなくてね。

隕石としか言いようがないけど。

わたしたちの歌は、空からでっかい意志を運んでくるわけ。

聴いてる人の胸にその隕石をぶつけるの」

 

 

「隕石ってのは、『遠くから降ってくる大事な感覚』のたとえだよ」 

 

今日は過去記事まつりだな!!!