金色のアグリモニー

アグリモニー(セイヨウキンミズヒキ)のフラワーエッセンスが届いたよ。

 

人づき合いのなかで、自分の真の感情を抑えて社交的に明るくふるまう日本人にとって、深い癒しと成長をもたらすアグリモニーのエッセンスは、 本当によく必要とされます。アグリモニーの教えは、社交的なのが悪いということではありません。 自分の本当に感じていることを抑えていくうちに、自分だけがもつ心と感性という大切な“魂の羅針盤” が機能不全に陥ってしまいやすいことを警告しています。

人生の表面を仮面をかぶって笑顔ですり抜けていっては、その人本来が歩むべき人生の道から逸れてしまうのです。

 

総状花序(長い花軸の上に柄のある花を総状に多数つけた花の並び方)でスパイク状に咲くアグリモニーは、 1本の茎にらせん状に上へ上へと花を咲かせながら、一度に種、つぼみ、開いた花、とすべての成長の状態を有します。ですから、 自分の心のあらゆるレベルを大切にし、深い気持ちを表現することを恐れず、自分のなかの繊細さに触れられることを怖がってはいけません。 アグリモニーのエッセンスは、まっすぐに天の光を指し示すこの花のように、心の平和を実現し、成長していけるようサポートしてくれるのです。

 

『Vol.3 アグリモニー 真の感情を開放し、心の平和を約束する』上野七歩子のフラワーエッセンスより

 

「重い雰囲気、グチグチした話題が苦手だから、ついついおちゃらけちゃう」みたいな心の防衛機能に響く※アグリモニーのエッセンス。

 

※◯◯に効く、◯◯を治す、って言い方だと私のフラワーエッセンスに対する印象と違うニュアンスで伝わってしまう気がするから…

 

寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。願いと定めとを、内面的につなぐものは、祈りだよ

 

 

親鸞聖人は、アグリモニーだな。

親鸞悪人正機説、他力本願ってキーワードはかなり誤解されたイメージで広まってるけども、つまりはアグリモニーってこと。

 

寂しいときは、寂しがるがいい。

闇を切り離そうと拒絶するんじゃなく、光と等しく愛すること。

 

愛するってのは「めっちゃ好きになる」って意味じゃなくて、批判も解釈も挟まずにまっすぐ受け止めるってことね。

そんでもってその愛するという行為そのものが、祈りなわけ。

全託の祈り。本来のピュアな祈りの姿。

 

祈りは世界を全肯定する姿勢。

闇も光も含めた、世界そのものを愛する。寂しさは寂しさとして、悲しみも悲しみとして、怒りも、欲も、憎しみも、そのままの姿を心にうつしとる。

 

全部ひっくるめて、ただ素直にまっすぐに、受け止める。

悪人正機説はそういうサレンダーな世界との関わり方を言うてるんじゃないかな。

 

ニーチェが運命愛と表現するアレさ。

To be in love with one's Fate, to accept that our journey is our own and we should cherish our past, present, and the unknown future.

 

「運命」を愛すること、いのちの旅路を自らのうちに受け入れること、そして過去を、現在を、まだ見ぬ未来を慈しむこと。

 

「運命愛… これをば、今より、我が愛となさん!」

 

他力本願ってのは、世界の腕の中に包まれたいのちであるってこと。

そもそも抱きとめられているのに、腕の中でジタバタもがくから不安定になる。世界を信じて全身全霊を委ねれば、世界も抱っこしやすいんだよ、みたいな。

 

この抱っこのイメージは、今読んでるこの本から。

 

親鸞聖人について書いた過去生地をホジホジしてて、まさにアグリモニーだなぁと思ったから再掲↓

わたしが求めているのは、よく死ぬことではない。重い闇をかかえて、それでもなお歓びにあふれて生きる道だ。

 

 

闇をも受け入れる、ってのは別にどよーんと暗くなるわけじゃない。

開き直ったり無理くりポジティブ解釈するわけでもない。

 

本当の軽さ、というか、ふわふわと心もとない軽さじゃなくどっしりと安定感のある軌道の拡大!

そうそう、木星の感じ。

 

木星は射手座の守護星。

アグリモニーは射手座のタイプレメディ!

 

星座(サイン)の性質が個人の性格として現れたとき、そしてそれがマイナスな状態であるとき、その状態を「癒して」くれるのがタイプレメディって分類。

 

ここもまた、「直す」とか「改善させる」って言うより…

マイナスをプラスに転じるってイメージかなぁ。

-5を+5に、-100を+100に、絶対値に視点を定めつつカテゴリー変換しちゃうわけ。

 

マイナスをプラスへ。呪いを祝福へ。邪悪なものを聖なるものへ。このカテゴリー変換を見事にやってのけているのが、日本の神社だ、って内田樹先生のハナシが大好き。

 

ラテン語の「sacer」は、聖なるもの「sacred」の語源なんだけど、この言葉には「呪い」や「恐ろしいもの」「穢れ」という意味も含んでいる。

 

聖なるものと穢れとか呪いって正反対の性質なんだけど、根っこというか存在感と言うか「絶対値」が同じなのね。(-5と+5は正反対にあるけど、絶対値は同じ5)

 

ちょっと昔の「手前」ってのはYouとMe、正反対のものどっちも指す言葉。古代エジプト語で「ケン」と言うと、大きいものと小さいもの両方の意味を持つらしい。

 

正反対の意味、印象をどうやって使い分けるのかと言うと、それは文脈

捉え方を変えれば、正反対の存在になってしまうコトバのマジック。

 

日本では「呪い=祟り」を「聖なるもの=神」として祀るでしょ。道真公とか、平清盛とか。それってのは、カテゴリー変換の知恵、鎮魂の技術なんだ、って視点にシビレタ。

 

絶対値に対してピックアップするカテゴリーを変えちゃう。

 

-100ぐらいの恐ろしい祟りパワーを、100という絶対値だけを抽出して逆方向のカテゴリーで捉えなおす。+100の強力なsacred(聖なる)パワーになっちまうってわけ。

 

『鎮魂』の技術と、『12』のハナシ

 

「鎮魂」ってのは、不都合な部分を掻き消したりなかったことにするんじゃなくて、文脈を変えるってことに近いのかな。

 

+も-も外した絶対値が存在そのもので、その本質的な部分(つまりエッセンス)に触れさせてくれるのが、フラワーエッセンスの「情報」ってやつなんじゃないかと思う。

 

そのうえで、自分の選びたい文脈を選ぶことができる。

勝手にプラスになるっていうよりは、選択肢があることに気付かせてくれるって感じかなぁ。

自分がそっちの(プラスの)文脈を選ぶことができる、ってことに。

 

鎮魂、つまり癒やし。

フラワーエッセンス創始者バッチ博士はこう言う。

 

汝、自身を癒せ。

 

あ、そういえば保湿クリームにと今注文してるのがこれだ!

セルフヒール、ウツボグサのフラワーエッセンスクリーム♡

 

 内側から動かない限り、全ての癒しは無意味!

姉姉のカッチョいいコトバ♡

 

 

というわけで、

我、自身を癒しております(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

 

植物考

植物考

  • 作者:藤原辰史
  • 生きのびるブックス株式会社
Amazon