知る者は語らず。道(タオ)を語りたがるものは何も知らない者だ。

道(タオ)、つまり真理のこと。

 

思考は──たとえどんなに優れた点があるとしても──「より見破りにくくなった無知にすぎない。

実際、それは、マーヤー〔現象世界を背後で操る力〕のあらゆる惑わしの技のうちでもっとも見破りにくいものである。

 

ふたつの矛盾しているもの(対立)があるのは、それぞれ対立しているモノがあるんじゃなくて、

「それは対立している、対立がある」と考えている人の意識(知覚する心)があっちとこっちに分裂して、その二つに分かれた心が対立してるってことなんですよ。

 

 

このジャンル(見えない世界のアレコレ)が好きな人はよく「真理を知りたい」と言う。

本当のところを知りたい。

眼の前の世界からは見えない領域に隠されている、秘密(神秘)を暴きたい。

 

 

「知りたい」という欲求も人間らしい根源的な欲求で、それは「つながりたい(ひとつになりたい)」という究極の欲求と結びついている。

 

究極の「知りたい」欲は、人間の(私自身のorあなたの)いちばん奥にある秘密に向けられるものだから、思考でもって「知る」ことは不可能。

知識をいくらかき集めても、絶対に辿り着けない。

 

でも、「知る」ことはできなくても「体験する」ことはできる。

 

 

究極の欲望、神秘に潜ろうとする蠍座の視点は、8ハウス=隠された場所にある。

それは破壊的衝動、残酷さにも結びつく。(子どもが好奇心で小さな生き物をバラバラに分界してしまうように)

 

その先9ハウスは答えのない世界。

無知の知。わからないものはわからないのだ、とした上で探求する世界。

 

究極の「知」は思考では到達できないけども

最初のステップ、足がかりとして知識は必要。

射手座の対向サイン双子座は、基本的な知識や情報。

 

その先は、「体験として知る」領域。

 

体験ってのは、主観的な、個々人の経験。

その個別の出来事、経験、学びを通して

そのエッセンスを抽出=抽象化して

「知」を追っかけてみようぜって楽しむ場が9ハウス。

 

 

「知」を思考(言葉)を通して学ぶんじゃなく

体験を通して実感する、って方法をとるのが神秘主義だけど

日本の密教もその方向だねぇ。