日記添削サイトで日本語勉強中の台湾人の友達が「ネットやLINEで知り合った、まだ会ったことがない友達は、本当に友達と言えるのでしょうか?」と投稿していた。
そこに寄せられた日本人からのコメントが、ほぼほぼ「否定派」か「難しいですね(場合による)」って濁す系だったのがオモシロかった!!笑
みんな友達の定義が「気が合う」「理解し合える」「信頼できる」を前提にしてるんだな~って。みなさん、どうでしょう?会ったことない人は友だちって言える?オンライン上だけでやりとりしてる人は?
私は・・・
森羅万象、ともだちでえぇやん!!!
って思ってるんだけど(笑)
だって、友だちって言っても何もかもに肯定(同意)できなくてもいいし、理解し合えなくてもいいじゃないの。こういうところイヤだよな、ってあっても友だちでいいじゃん。
なんなら致命的に意見の食い違いがあったとしても・・・
というか、気が合うとか理解し合えるのを基準にしてるのがハードルめっちゃ高いと思うんだけど。だってそれ、奇跡レベルに有難いことじゃん。そういう人と出会えたらとっても嬉しいね!地球に感謝だね!
言葉が通じなくても友だちになれるんだし、なんならコトバを交わせない猫とか鳥さんとかも友だちでいいじゃない。向こうがどう思ってるのかは、知らんけど。
相手が友だちだと思ってるかどうかで、友だちかどうか決める・・・って永遠に分からんくない?(笑)主観的でいーじゃない。関係性って、「自分が相手との関係性をどう見るか」で決まることでしょ。
森羅万象、ともだちでいーじゃん。
なんなら、空間を共にしていないネット上の相手どころか、時間を共にしていない未来(過去)の相手だって友だち認定できる。
これってホモー・スム(Homo sum)。
Homo sum. Humani nil a me alienum puto.
私は人間である。人間に関わることで自分に無縁なものなど何もないと思う。
―テレンティウス『自虐者』
森羅万象、人間に関わるものは私とも関わる物。
ローマの みつを じゃねぇか、テレンティウス!!
昨日読み終わったこの本が、おもしろすぎて。
私の三流っぷりを受け入れる覚悟(というかアキラメ)ができた(笑)
諦めるってのは、明らめるってこと。明るくなる。
公式LINE
友だちに追加するんだから、友だちでしょ?(笑)
理解し合えないと友達とは言えないって高めのハードルお持ちの人は、自分を守る分にはいいんだけど、人にそれ押し付けると厄介だから、それだけ注意。
「な、俺たち友だちだろ?」「私たちともだちでしょ?」が
いや~な響きを持つあくどいセリフなのはそのせいだわ。
カンペキな自分に釣り合うカンペキな友だちが欲しいんなら、想像上の世界でそのフレンドシップを楽しもう。
「わけわからんなコイツ」って思っても、「ここは許せん」って思っても「信用ならんな」って感じても、友だちカテゴリーに放り込んどいていいんでないの。相手が友だちと思ってなくても、私が友だちだと見るかどうかには関係ないし。
友だちの中にはイヤなやつだっているし。。。
友だち認定できんくらいイヤなやつは、そもそも友だちかどうか迷うことなんてなかろう。。。
森羅万象、ともだち候補。
ホモー・スム。