身体を育む、栄養ある食べ物。
子どものころは誰かが口に運んでくれた。そのうち自分で食べられるようになった。大人になれば、目の前のお皿に盛りつけられるのを待つだけじゃなく、自分で食べるものをこしらえることも出来るようになる。
言葉も、同じです。
そんな書き出しで始まる、【詩】の本。
Kindle読み放題リストに入ってるのを見つけて、今読み始めたところ。詩集ではなく、詩の解説でもなく、「詩と生きる」ことについて書かれているのかな?ってのがあらすじの印象。
「詩と生きるったって、別に私は作家でも詩人でもないよ」って思うんだけど、どっこい「人は誰も、自らの心の奥に内なる詩人と呼ぶべき存在を宿しています」と。
これは別に時々SNSで書いて恥ずかしくなる「ポエムちっくな自分」のことではなく、もっと大きく捉えた「生き方」のハナシなんじゃないかな。
私たちの人生の旅は、答えらしきものに出会った時よりも、真の問いに巡り会えたとき、始まる
「わかった」と思ったらそこで終わるけど「わからない」からその先がある。知りたいと思う。学びがある。一歩先、自分の成長であれ他者との関係性であれ、「その先」の世界に踏み込むには答えじゃなく問いが必要なんだ。
その「問い」を生み出すのがコトバなわけで、心の糧(成長のための栄養)になるって例えも納得。
そしてその「問い」を深めていくことが、この本で「詩と出会い、詩と生きること」と表現されていること。ダイジなのは、解答めいた「答え」には慎重であること。
ドイツ語で【詩】は「凝縮する」dichtenという意味を持つ。凝縮された表現、コトバが【詩】ってこと。
西欧では【詩】は呪術の類で、ギリシア語では詩を、「行う」あるいは「つくる」という意味の「ポイエーシス」poiēsisで表している。
漢字の【詩】は「コトバ(ごんべん)+寺」。
「寺」は「行く、進む」を表す足形のイメージである「之」と、動かす手の形を表す「寸」の組み合わせ。手足を動かす、すすんでいく様子をコトバで表現したものが【詩】。
「寺」の上部分は植物が芽生える様子、下部分が手の形って見方もある。コトバによって芽吹かせるもの。
さて、どんな内容の本なのか・・・?
これから味わってみようと思います♡♡
年末しあわせ読書三昧( *´艸`)
★2021年最後のプロジェクトは《ふりかえり満月祭》で楽しく締めくくりました!!ありがとうございました★
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