今私の中で激アツなのは星の読書会( *´艸`)
占星術を最大限楽しみたい!!!!
ここから今日の本題。
占いが心理学に吸収されるようになって(逆か?占いが心理学を呑み込んだのか?)人の心だとか目には見えない働きや構造も明らかになってきたかのように感じる。
でも「分かった」気になってるときがいちばん道を踏み外しやすいってことも覚えておかないといけない。当たり前のように「潜在意識」とか「脳の仕組み」とか言ってるけど、それは現段階の多数派の意見(見えている部分)でしかないから。
内界は、すなわち無意識界である。
それは内省可能な領域を指しているのではないことに注意しなくてはならない。
自己をみつめるとか、内界に目を向けるということで、自分の感情をあれこれ表現したり、自分の心境をああでもない、こうでもないとひねくりまわすようなことをする人もあるが、そのようなことを言っているのではない。
われわれが問題としている内界は、自我によってコントロールできない、 あちらの世界なのである。
「心は脳にある」「脳こそが心」「脳と心は別物」
いろんな説があるけど、脳は自分の意識を支配する司令塔というイメージは根強い。でもこのトップダウン式システムも、社会的な価値観がそう見せているだけなのかも・・・って最近思う。
ピラミッド型の支配構造。
自律神経(身体の反応)と脳の関りという視点で見てみると、脳は8割が受信、2割が指令だって言うじゃない。意外と民主主義なシステム(笑)
太陽だって、意識vs無意識になぞらえて言えば1~2割がいいところ。いかにリーダーシップを発揮して統制するか、引っ張っていくか・・・というよりは、全体をまとめる、つなげる大きな関係性のバランスが重要なんだな。
これは「自分らしく、豊かな人生を生きる」ダイジな要素でもある。その全体のバランスこそが、生存本能を超えた生命力だから。
そのへんを少し、占星術に絡んでお話しするつもりの講座!
11月に開催決定( *´艸`)
ポリヴェーガル理論は自律神経の新しい「視方」なんだけど、自律神経と言えば心拍や呼吸っちゅう身体のリズム。身体のリズムはやっぱり「月」だよね!
昨日読んだこれ。
心臓ってのは基本「不整脈」ってのがイメージと違ってておもしろかった!!それを「ゆらぎ」と表現しているんだけどね、肺のリズム(ゆらぎ)、頸動脈のリズム(ゆらぎ)、腎臓のリズム(ゆらぎ)、この三つのバラバラのリズムをどれかひとつに同期することなく、全体で調和させるのが心臓のリズム(ゆらぎ)。
ああ、これってホロスコープだなぁ!!!!
スピードの違うメーター、ゆらぎ、それを全体で統一した「私のリズム」。全体だからそれ自体は「記号化」されていない。でもそれこそが私らしさを表す。
ホロスコープの中に「私らしさ」は描かれていない
バラバラなリズムをつないで、繋いだ先に出来るカタチが私らしさだから。
型抜きの型だったり、ドーナツの穴だったり、一生懸命例えてみるんだけど、実体のないものを説明するのは「~じゃない、~でもない」とないない説明するしかないんだね(笑)
東洋哲学は、そうやって「~ではない、~ではない」といって「私の正体」を説明していたのが印象的。真実なんて、ない(笑)
だから囚われるな、ってことなんだけど。実体がないもののハナシに実感なんてわかねぇ!ってなもんで。
んもう、最終的にはPPAP★踊るしかなくなるんだな(笑)
「月」を伝えようと思って月を指さす。
その指は月を指し示してはいるけど、、指は月じゃない。
それなのに人はそのさされた指を見て「月」だと思う。
その事実(真実なんて、ねぇ!!)に実感を持てたことを、「悟る」というんだけど、体験を「教える」ことは不可能なわけで。そいで東洋哲学は実践方法をいろいろ編み出したってわけ。ヨガとか、禅問答とか、座禅とか、仏教の戒律や修験道とか曼荼羅とかね。
あれは全部、方便。そこに至るためのハシゴ。手段はどれでもいいんだよね。じゃあ、占星術もハシゴになるんじゃない?って思ったのよ。
だって、「私は何者だ」という究極の問いが占星術に向けられる最大のテーマだから。自分の存在(意味)を肯定する何かを探り当てるツールが、占星術。
んで、占星術の「その先」ってのが、この人工言語設立の究極の目的で。その目的は存在の絶対的根拠を肯定すること。そんでもって、それは「ない」ことが前提になってるってこと。
だからそもそも「ない」ってことに気付くってのが、占星術を学んだ「その先」なんじゃない?って私は思うのね。ドーナツの穴は、穴だった。
わざわざ「絶対的に自分や自分を含む宇宙の存在を肯定してくれる根拠」を必要としなくなること。あなたが生まれてきたことにはこんな意味がある、とか使命がある、なんてわざわざコトバにしなくても、わざわざ肯定しなくても全く気にならない世界。
肯定するものをわざわざコトバにしなくても、それを否定するものがそもそもなかった、って気付くこと。
最終的には、そこに行きつくために占星術は大いに役に立つツールなんだと思う。○○座がどうとか、ハウスやアスペクトがどうってのは、そこに至るまでのダイジな「経験」であって、なにひとつ無駄なもんはないと思う。
だからハードアスペクトが不運だとか凶だとか、そういうのんも無いと思ってる。だって私はその先に「全肯定」があると思っているから(笑)
人生で起こること、すべて良きこと
善いも悪いも快も不快も、全てに(ちっぽけな自分じゃ全体像を把握できないような)大きな意味がある。
ちょっと前まで「占星術」や「占い」に対して葛藤してたんだけどね、これがきっかけで出会えた人たち(こうして読んでくれているYOUも!)を思い浮かべて「あーーーーー、占星術ありがとう!!!!!!!」って思ったの。
占星術のコトバを借りて、私は表現させてもらってる。共通語のおかげで、聞いてくれる人に出会うことができる。
その中の一人でも、「それ面白いね!」といって一緒に新しい天蓋を張れる仲間に出会えたら、私は嬉しい。その「縁」のために、私は占星術を学んでいるのかもしれない。
最初はおそるおそるだったけど、こうやって発信したおかげで出会えた人(それもひとりひとりがすごくステキで魅力的で憧れる、ホロスコープの生き証人である人たち)がいる。
ロジカルとマジカル、そこにバランス(中和)は必要ないのかもしれない。
違いは違いのまま、尊重して両輪をまわす!!両方が別々に独立して磨かれているからこそ、第三の道が見えることだってある。まだまだ出来ることはありそうだな~と、大きな課題にわくわくしております。
あと、そろそろ次の本を読みたいから【宇宙からのギフトを読み解くプロジェクト】OPENしようかなと思ってます(笑)
今狙いを定めているのはこの2冊。
現在進行中プロジェクト
かりかり執筆もがんばってるよ
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