知性と感性が手を取り合うその先、境界線に向かって

ことばが思考の着物ではなくて、思考の肉体であるとは、私たちが思い、考える場合に概念と論理だけによるのではなく、イメージと想像力にもよるのだ、ということである。

中村雄二郎『哲学の現在』Ⅰ・3

 

乙女座的「知」のシーズンにぴったりのメッセージ、ふたたび!

 

starship.hateblo.jp

 

ここから流れ着いたんだけどね↓

kotokotoba.hateblo.jp

 

いま読んでる、おもしろすぎるこの本から

 

「レトリックなんて、ことばを飾る衣装にすぎぬでしょう」って意見にボコボコ気持ちいいジャブで殴り付けてきてくれる。

「ことばのあや」「レトリック」に、私は乙女座臭(ひじょーに個人的な理由で)を感じているよ。

 

そいで冒頭の引用。

ことばは思考の衣装じゃなくて、肉体そのもの。

考えるってのは、「論理」を組み合わせてるだけじゃないんだよってはなし。そこには「イメージ、感性、想像力」もある

 

ほら水星の乙女座は、その裏側を魚座が支えている。

魚座の想像力と乙女座の知性は、手を取りあう一対の世界。

 

中村雄二郎氏からの引用文で、乙女座×魚座のラインが思い浮かんだから、書きたくなったの。

知性と感性が手を取り合うその先、魚座から牡羊座へのAsc、乙女座から天秤座へのDsc。あの世からこの世へ、この世からあの世へ。ふたつの世界を結ぶ力の先に見える境界線。

 

世界の輪郭が、そこにある。