ももたろうの実写版(笑)
Pepsi Japan TV commercial "Momotarō Episode ZERO ~ 5" ft. The Heavy - Same Ol' (Bootleg Edit Video)
卑弥呼がそうだったように、「鬼術」と呼ばれるワザがはるか昔の日本にはあって。鬼を使役していたって伝説の行者、役小角とか、この桃太郎に出てくる鬼もそうだけど、目に見えない領域(自然)の力を目に見える世界に引っ張りよせるワザとかまじないを扱える人がいたんじゃないかな、と思う。
日本書紀では天孫降臨(天から神様チーム日本に降り立った伝説)以前の日本をこう言い表す。
多に蛍火の光く神,及び蠅声なす邪しき神あり。
復草木咸に能く言語有り。
ふんわ、ふんわ、と、まつろわぬ神々。蛍火のかがやくようにほっと点いて(憑いて)ほっと消える不安定なもの。
「もの」ってのは、物質的な存在(物)や誰か(者)という意味以前に、もっと根源的な存在感(タマシイ)を表すコトバだったというハナシもあったっけ。
その存在感たるや「蠅声なす(さばえなす)」「能く言語有り(よくものいうことあり)」と表現されるほど。草も木も石も、よく喋っていた。人にもその声が聞こえていた時代があった。
「信仰」とか仰々しい言い方をしなくても、自然に耳を傾ける姿勢を大切にして生きていた、ただそれだけなのかもしれない。いや、「自然」という言葉自体が輸入されたコトバ(※)だから、そもそもわざわざ言葉にして取り上げる(考える)必要がないほど、自分の生活と、命と、一体のものだったんだろうな。
誰もが「もの」の声を聴ける時代があった。草や木や石や、水や空気、そういった「もの」の声をキャッチできる能力が当たり前に会った。
「もの」の持つふわふわっとしたチカラは昔から生活に応用していたんだろうけど、ニンゲンが社会という大きなグループを作るようになると、より大きな力を安定して引っ張り出したいと思うようになる。
「もの」は石や樹に憑く。ふんわふんわと、蛍火のように、ついたりきえたりする。消えたからと言って存在しないわけでなく、ついたときに近くに感じるってだけなんだけど。
巫女やら神職、シャーマンは「もの」を呼び出したり、呼び出した「もの」の声を聴いたり、チカラを受け取る能力に長けた人。
桃太郎の鬼はさぁ・・・その力の強さが人の妬みや恐れにつながって、封じ込められて「鬼」になったわけじゃん。これって、歴史の中で繰り返されてきた真実じゃないのかなぁ。。。
「鬼」は怨念(想念、記憶)であって「自然」そのものでもある。
自然の恵み、力、それを敬って共に生きてきた時があった。今は、自然は忌み嫌われ封じ込められる対象でもある。虫、地震、台風、津波。
「鬼が島」が火山のメタファーにも見えたよ!!!!
スサノオ!!!
鬼が島伝説といえば、壱岐島!
「いき」って、呼吸。呼吸って、自然と深くつながるためにめちゃめちゃダイジなワザ。ヨガとか瞑想とかあれやらこれやら、基本は「いき」使いにある。
そういえば、最近我が家で大流行しているこのヒーローも、犬鳥猿を連れていた。。。