実は昨日の夜、めちゃくちゃ落ち込むことがあった。
ちょうど調合してもらった松と杉のエッセンスが空になるこのタイミング、「気づいてるんだろ」と最終確認をされてるような。。。息子と一緒にぼろぼろ泣いたよ。
ほんまナニモンなんって思うんやけど、私口にして言ってなかった(けど心ン中で何回もぶつけてきた毒とトゲまみれの非人道的セリフ)を言いやがる。どこで覚えてきたとかそんなんじゃなく、これは私が彼に言い続けてきたコトバ(声に出してないけど)だって気付いた。衝撃。
子どもは、理屈とか言葉で理解してないよ。毛穴でお母さんから世界の全てを学んでるんだよ。
まさに、そうでした。彼の言いうことはめちゃくちゃで、理屈になってない文句のオンパレード。これを正論で言いくるめたくなる。こんこんと諭したくなる。大人として「正しい」事実を言わねば!!という気持ちになる。
そんなことをしても、まったくもって無駄だと実感。
やつらが見ているのは、聞いているのは、感じているのは・・・そのまんまの私だった。自分って結構人間的にはクズの部類やと知っていはいたけど、改めて突きつけられると(しかも最愛の我が子に)なかなかショックやわーーーーー。
そんで、落ち込んでてん。
頭ズキズキするし、肩にズシッと重さ感じるし、心霊案件か!と思いたくなったけど、身体的ストレス反応でした。寝て起きたらスッキリしてた。(笑)
月(心)は、受け入れるしかない。
コントロールしたくなるし、理屈で捉えたくなるけど、たぶん上手くいかない。マネジメント(折り合いをつけること)はできてもコントロール(思い通りに動かすこと)はできない。
コントロールされないようになるってのはダイジだけど。
むずかしいよなー。内観はダイジだけど、閉じた空間だと見えんことが多い。子は鏡って、すげえ真理。鏡って、分身じゃないんだよね。あくまでもリフレクション。どっかに反射してる自分の一部分を、自分の受信機でキャッチしてやっと見える。
「…何か特別なものを見たら、それで自分の何かが変わっちゃったりしますか?」
「…見るって事は信号を受け取るって事だから。
例えばリモコンでテレビの操作をするのも信号だからね。見たことでこっちのチャンネルが変わる事もあるかもしれない。
今までとは違うものが見えたり、感じ方が変わったり…」
月が無意識の自分、過去の自分。
太陽は自覚できる意識的な部分。目的意識や方向性。
自分の太陽が持つキーワードは、「問いかけ」なんだと思う。
あなたはこうです、こうなります。といった「診断」や「判断」の材料じゃない。自分が自分に問うべきテーマなんだと思う。その問いかけに自分なりの答えを探すことが、太陽を生きる(主体的に生きる、自分の人生の舵を取る)ってことなんだと思う。
だから、答えがない。正解がない。
誰にも教えてもらえない。
バロンダンス。バリ島の伝統的なお祭りで代表的な舞踏。聖獣バロン(善)と魔女ランダ(悪)が戦うストーリー。決着がつかないってのがミソで。
アジアらしい、「あわい」世界観だなぁと感動した。
このはっきりしない境目に、自分なりの答えを探っていく・・・「折り合いをつけていく」感覚が、これからもっともっと大切になってくると思ってる。
私は射手座30度『信者を祝福する法王』の太陽で。
精神世界への「旅」(=射手座)から帰ってきて、現実的な生活構造(=山羊座)にこれまで学んだことをどう組み込んでいくのか?という度数。自己満足からの卒業して社会に目を向ける。
理想、高尚なテーマ、探求心、自由な冒険。
好きなのはわかった。で、どこで根をおろす?
太陽の年齢域(25~35歳)に「問いかけ」る声がだんだん大きくなる。
哲学、オカルト、ロマン!たまらんなー・・・からの、
で、実際にどんな生き方でそれを体現していくの?
ぜんっぜん、答えは見つかりましぇん。
しょぼいわー。
問いを立てる。すぐに「わかる」答えに飛びつかずに、問いを立て続ける力。ほんまこれ、ダイジ。
すぐに「わかる」答えに飛びつかずに、問いを立て続ける力。
「スピリチュアル」というくくりで(ネガティブに)語られる層は、こういう泥臭い考え方を避ける傾向にあるんでないか?
あーーー、こんなんいちいち考えずに、光り輝くキョソ様に従ってありがたい「お言葉」をもらってバンバンジー☆やったらどんなに楽か。。。そうやって大衆をコントロールできたらどんなに楽か。。。(笑)