心の繊維

語りなおしを繰り返して成長する

ほんまに辛いことがあったときとか、何かを失ってしまっただとか、挫折を経験した時に、そこから立ち上がって新たに人生を動かすために「自分の物語の、語りなおし」が必要になる。

 

自分の物語、ってのは、アイデンティティのこと。

私はこういう人間だ、こういう人生を生きている、って自分に語って聞かせる物語。自分で納得できるストーリーのこと。占星術で言えば、太陽のことね。

 

葛藤や困難を機に「語りなおし」を繰り返して、自分の人生のフォーマットを書き換えながら、更新しながら人は「人生を生きる」ってこと。

 

 

「語りなおし」を通して、人はこれまでの経験、人生を縫い直して、新しい模様(デザイン)に仕立てなおす。そのひと針ひと針刺すような痛みは、残念だけど誰かに変わってもらうことは出来ない。

 

りなおすという心の作業は、さきほどふれたように不安定な状態に身を置くことだ から、じぶんでも怖い。そのときに、他人が代わりに語ってくれるのはものすごく助かる。

 

こういうふうに考えましょうとか、あなたはいまこんな気持ちでいるんでしょう、こういうことがどうしても乗り越えられないんでしょうと言われると、その場では一瞬、楽 になれる。語りなおしを他人が助けてくれるわけです。

 

でも、それがじつは最悪の対応なのです。

 

いっときはじぶんで語りなおすことを免除されるにしても代わりに語ってくれる人がいなくなったら、じぶんはまた元の木阿弥、元のストーリーに突き落とされてしまう。苦しいけれども、じぶんで語りなおさないことには事態は収束しない。

 

 

伴走者の役割

変わってあげることは出来なくても、伴走することはできる。

そのとき伴走者はその人の語りを奪っちゃいけない。相手の語りを奪う、気持ちを代弁してしまうことは、「語りなおし」の伴走者としては「最悪の対応」だ、って。セラピストや占い師で、こういう「最悪の対応」をやっちゃってる人は少ないくないと思う。

 

鷲田せんせは東日本大震災をふりかえって、ケアする人は「被災者役割を押し付け」てはいけない、と言う。「何でも言ってね、助けてあげるから」というコトバで相手を固定していないか。

 

「自分には問題や欠損があって、そこをどうにか外部から補修せねばならぬ」とか「相手には問題や欠損があって、そこをどうにか私が補修してあげねばならぬ」ってエネルギーで人(や世界)と接すると、それを証明する現実しか見えなくなる。

 

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 語りなおしの伴走者は、プロセスに手(口)を出さない。

 

ことばは、聴くひとの「祈り」そのものであるような耳を俟(ま)ってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。

「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)

 

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コトバになるまえのコトバにも全身全霊で耳を傾ける。祈る耳で聴く。これって全託の祈りのことだわね。(運が良くなる、才能が開花する、未来も過去も生まれ変わるメソッド - STAR SHIP☆星読み航海図)こうなりますように、とかこうしてやろうとか、そういう「願望」じゃない祈り。

 

この「何もしてあげない」ってのは、相当にムズカシイ。

 

 心のケアのプロフェッショナル、臨床心理士河合隼雄せんせも折に触れて「心を開いて、かつ何もしない」ことの重要性と難しさを語っている。

 

 老子も、ほんまに偉大な人は「偉大やな~!」と言わせることなく、民に自分たちが自然と上手いことやってるんやって思わせてあげられる人、みたいなこと言ってるし。

 

感情と世界の認識

自分の物語を「語りなおす」ためには、コトバが必要。

もし言葉をもたなかったら、じぶんを襲っている感情が悦びなのか悲しみなのか恥ずかしさなのか、そういう区別がつかない

 

月(感情)は最初からそこにあるんだけど、コトバで名前を付けて分類して理解していくのは水星。最初からワンセットであるわけじゃない。全く別の機能。

 

感情を言葉(知性)で分別していって文明を築いてきたのが、われわれホモサピエンス(知性のあるヒト)。言葉は後付け機能ってわけ。そんでもってホモサピエンス最大の武器。

 

 


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意識的に考えて、見えている世界が変わる。

というか、見えてなかったことに気付く。

 

それぞれの「環世界」の中で生きている

いやいや、「あったのに見えなかった」んじゃなくて、「私の意識の中にはなかった」ともいえる。意識の中に無いものは、存在していないから。

違う生物は「共通する、あるもの=同じ環境」の中で違う生活をしているんじゃなくて、そもそも環境観が全く違うんだよ、ってあのハナシを思い出した。

 

ニンゲンにはニンゲンの意識できる範囲の環世界(ウムヴェルト)に生きていて、犬には犬の、植物には植物の環世界に生きている。

 

 「環世界(ウムヴェルト)」ってのは、ニンゲン、犬、植物、虫、みんなそれぞれに違う世界軸の中で生きているってこと。時間の感覚も、空間の把握方法も、何を知覚して生きてるのか、生物それぞれに違う。なんなら、鉱物とか山とか、地球とかって規模で見ても、そう。

 

全く違う宇宙に生きてる。

 

人と植物、鉱物や大地とコミュニケーションがむずかしいのは、世界観(時空)のスケールが違うだけ。あれか、ワレワレが「次元が違う」って言ってるのと近いかな。

 

相手にとって1分1秒の世界が、私にとって1年に相当するなら、会話ができないどころかお互いの存在に気付けないかもしれない。

 

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 そこまでギャップが大きくないにしても、人と人同士だってちがう環世界で生きてるかもしれないでしょ。 というか、「私と同じ価値観で世界を見ているはず」と思うから、もろもろのトラブルがあるわけで。

 

 

 「分かり合えない」という前提を無視してむりくり繋がろうとした結果が悲劇になってきた、って歴史的事実だってある。

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心の繊維を豊かにする

鷲田清一せんせは、コトバを「心の繊維」と表現した。なんてすてきなんだ・・・!!!心の繊維を編んで、自分を取り戻していく。

 

その心の繊維を豊かにするのに、「物語」はほんとスゴイチカラがあると思うんだ!!

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心の繊維を豊かにするってのは、単純に語彙(ボキャブラリー、意味の知っている言葉の数)を増やすことじゃない

 

「それが表す概念(意味)をただ知識として知っている言葉」と「その人が実感として持っている言葉」は、同じ言葉というカタチをとっていても説得力が全く違う。言葉の重量というか、質というか、なんかそういうものが違う。

 

言葉は意味を運ぶ入れ物で、もちろん箱だけ同じカタチにしておけば通じるんだけど、そこに中身があるから人の心が動かされるんじゃないかなって思う。

 

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知識や情報は言葉そのもの、入れ物を指す。残念なことにこの入れ物、頭の中に入るとそのうち溶けてなくなってしまう。つまり、忘れちゃう。

 

でもその入れ物の中身はなくならない。箱がないから自在に引っ張り出せなくなっただけで、ちゃんと残っている。入れ物という制限がなくなる(=忘れる)ことで、中身が意識の及ばない深いところで混ざりあって新しいものが生まれたりする。これはだいたい眠っている時や、リラックスしているときに起こるようだ。

 

そしてその錬金術のたまものが「私らしさ」でもある。

 

だから、「忘れる」ことを恐れる必要はない。忘れた後に残るものが、いちばん大切なことだから。

 

息子イチ君は「あぶげ〜うぶあ〜」と謎の呪文を叫びながら、全身で言葉を吸収している。この時期を活かすべく「言葉のシャワーを!」と声高に叫ばれるわけだけど、できればそれも血の通った言葉にしてあげたい、と個人的には思う。

 

言葉を知識・情報として子どもに注入するって考え方がどうしても好きになれない。

 

私は私の言葉で。その入れ物がすぐに溶けてしまったとしても、無意識に織り込まれた想いってやつは彼の中に残ると信じているから。

 

言葉ばかりがひとりあるきするこんな時代だからこそ、せめて今の時期くらいは言葉をリアルな存在として分かち合いたい。

 

「うぶぁ~」とか言ってるあの頃のほうが、今よりずっと向き合ってコトバを交わせていた気がする。5歳になった息子は今じゃよう喋るようになったんだけど、今の私って「会話がかみ合わん」ことにめちゃくちゃ疲れたりイライラすることがしょっちゅう。

 

あの頃はどうして噛み合っていた(気がする)んだろう・・・??

聴き手(私)側の問題なんだね。

 

そうかー・・・。

私も、「語りなおし」が必要だな!

 

ああ、それにしても

しなやかで美しい心の繊維を、生きているあいだにたっぷり集めたいな!!

 

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