チの循環のハナシ。
・・・と、これは天地のチ!
今回書くのは、血(チ)。それから氣(チィ)の循環について。
チが上部に集まりがちな現代
頭ね。頭(脳)はチを使うための司令塔だからダイジなんだけど、チは一か所に留まると「不健康」になっちゃう。循環させて、動き続けて、やっと安定する。
私もかなり頭部にチを集めがちなもんで、それが原因で肩こり頭痛、思考由来の悩みとかきちゃうんだ。あんまりお外に出て運動とかしないし。
当たり前だけど、身体を動かすことでチも動く。
あと、人と接することもチを動かす。
血(チ)の循環は体内に限定されるけど、氣(チィ)の方は内部にも外部にもあるから。インターネットで人とつながることはチの循環になるか?その道の専門家じゃないから間違ってるかもしれないけど、どうもこの場合も上部に偏っちゃうんじゃないかって思うの。
チを循環させる=生命力を高める
そいで、チの動きと身体の結びつき(健康)に敏感だった東洋の先人たちに倣って、どう循環させていくかってことを勉強中であります。
東洋医学的視点で見れば、体内にある氣(チ)のセンターに当たるのがヘソ下あたり(下丹田)。ここで氣を集めて耕して(「練る」と表現される)全身に循環させる。
その氣の循環を意識した健康法が、「気功」っていう養生法。
「気功」と言うとマジカル・ハンドパワー!をイメージしちゃうかもしれないけど、もともとは体内の氣を循環させたり、外部にある氣を取り込むことで自分の生命力を高めようっていう養生法(健康法)。
乱れたり滞ったりすると不健康になっちゃうから、その流れを循環させる術。自分の内側にある流れだけじゃなくて、外側の世界の流れとも調和する術。
何かを治す方法というよりは、自分の生命力を高める方法。
生命力を高めるってのは、免疫力を高めるってこと。
誰かに与えてもらうヒーリングパワーではなく、自分の呼吸や身体の動かし方を通してチを循環させるトレーニングね。
ゆるゆる~っと気功とそのやり方について書いてある本。でも紹介されている実践編(30分一定のポーズで動かない)は、現代人には苦痛だと思う(笑)
特定の流派、個人の経験をもとにした視点はすぐに実践できる具体例としてGOODだけど、流派に縛られずに全体像を教えてくれる「理論書」みたいなののほうが私は好き。
試しにやってみよう
YOUTUBEで検索すれば気功だってお手本がいっぱい!いちばんわかりやすかったのが、中村げんこう先生の動画。太極拳ってのは、気功をベースに身体のバランスを整える武術。
やってみてわかるのが、下半身ぷるぷるになるってこと(笑)いかに普段の重心が上の方に偏ってるか。まっすぐ立ってるつもりなのに、気がついたら前のめりになってる。(五種体癖??笑)
自分の気付いていない部分に気付けるセルフモニタリングタイムに、朝の太極拳なんていかが。私は最近朝の15分ほどを太極拳タイムにしている。
憧れはかっこいいチャイニーズアクション、ムーランなんだけど・・・
鏡を見ると・・・カンフーパンダがそこにいる・・・
あっれー・・・おっかしいなぁ・・・・??
日本語の「ち」
と、ここまで書いて後でリリースしようと下書き保存してたんだけど・・・このタイミングで開いた本に日本語の「ち」について書いてあったからこれも書き加えておこうと思う。
日本語の「ち」はダイナミックな霊性をあらわす音。内部にうごめく、荒々しい生命活動。いのち、ちち(乳)、をろち(大蛇)、みづち(蛟)、いかづち(雷)・・・
モチベーションとか、やる気とか、そうだなぁ、占星術で言う「太陽」か「火星」あたりだろうか。
この生命力をもって日常生活を生きていくチカラが、「ケ」。
ケガレってのは、「ケ」が枯れちゃってる状態。日常生活の繰り返し、ルーチンの中で消耗した「ケ」を引き戻すのが「ハレ」の日。祭り(祀り)ですな!
ハレの日(マツリ)は払う(祓う)日でもある。いらんもんを祓い清めて「ケ」を取り戻そうって感覚。これは中国のチを循環させる根本思想にも近い気がする。
いらんもんいっぱい引っ付いてるから、はがせばいい。
古代中国の思想では人は皆「天命」(成るべき要素)を持っていて、それは生まれ持った刻印なんだと考える。天命を知るには、「心を盡(つく)す」こと。「盡」という漢字は、皿の上を掃いている図像らしい。
「天命」(自分に刻まれた刻印)を見たいなら、いらんもんいっぱい乗ってる心の皿を払おうぜ、ってこと。
チを巡らせるチカラ「ケ」は、誰もがもともと持っている生命力。本来あるはずの生命力だから。
ん。
書き終わったこのタイミングでチ(血)が出てきた。まじか。(笑)