犀の角のようにただ独り歩め

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄とを除き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のように ただ独り 歩め

ブッダのことば

 

非生産的な活動に全力を注ぐ人生にする」と言ったけど、消費と浪費に耽ろうって意味じゃないのでね。

 

学んだこと、取り入れたもの、吸収したこと、気付いたこと、むしろ出来るだけ放出していかねば、と思う。できるだけ、手元に残さずに

 

大きな私は、何度も何度もそのメッセージをくれる。小さな私は、それに「ぐぬぬ」と不快感を露にする。いまだ抵抗中。

 

「それ、私のコトバ・・・」って執着が出る。その上「そうじゃねぇ!!本質はそこじゃねえ!!」「どいつもこいつも都合のいいように解釈しやがって!!」って悪態をつく。

相変わらず、ちっちぇえ(笑)

 

で、チ。で指摘されてしまった。 

自分以外に託すこと。

 

他人の手に渡ると、思ったような方向には行かないことがほとんど。誤解されたり、反論されたり、間違いを指摘して訂正されることもある。予想外の「ねじれ」が起こる。

 

でも・・・

その予想外の「ねじれ」も肯定する姿勢が学術や研究には必要なんじゃないか。

 

この「ねじれ」を受け入れて託すことが、現状を前に向かわせる「希望」になる。例え「永久に未完成の海を漂い続ける悲劇」になろうとも、間違いを永久の正解だと信じ込むよりマシでは?

 

 

三者による反論が許されないなら、それは ――信仰だ

 

信仰と、知識(学術)の探求の軋轢。占星学が「異端」とされ、関心を持つだけでエグい拷問で殺される時代でさ、それでも命がけで研究を続ける主人公たちだからこそ、このセリフは重い。

 

そんでもって決して「信仰」を軽視したり馬鹿にしてるワケじゃない。むしろ「信仰」とはなんなのか、異端である彼らが教えてくれているような皮肉。

 

 

 田坂せんせーの本から、この部分だけを引っ張り出すと「スピ系か?」と誤解されてしまいそうなんだけども・・・

「祈り」には2種類ある。

願望の祈りと、全託の祈り。

 

 この全託の祈りってのが、『チ。』でいう「ねじれ」も肯定する学術的姿勢、現状を前進させる希望なんだ。そんでもって私も書いてたアレにも通じるの。

 

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予想外も含めて、思い通りに進まないことも含めて、全てが「大きな視点で見た」はからいだって受け入れること。

 

人生はクローズアップしてみると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である

チャップリンのコトバ

 

そういうこと。そういえばこれは「いのち」というミクロにもマクロにも捉えられるものからそれに気づくこともできる本。

 

占星術だって、そう。 

時間軸を大きくとって、小さくとって、過去や未来を含めたスケールで見る。立場やポジションを大きくとって、母としての振る舞い、社会の中での振る舞いを見る。他者の視点、もっと大きな社会の視点、さまざま。

 

いろんなスケールでものごとを捉えられるようになれば、人生無敵なのかも。(笑)無敵と言えば、内田樹氏も「天下無敵」について書いてたかな?

 

 

天下無敵ってのは、敵を作り出さない心を持つということ。

敵ってのは、自分のパフォーマンスを低下させるあらゆる要素。広く捉えれば、気温だとかタイミングだとか全部含まれる、わけで、同じ土俵の同じ空間、時間で対峙する相手とは限らない。

 

この「天下無敵」の方法もまた、「全肯定!星の型!」なのでありました。

 

例えば「老い」も敵だ。

でも敵を「存在してはいけない存在」として見ると、あなたは自分自身の生命そのものを敵に回すことになる。

敵をつくりだすのは「因果論」、これは「運気を磨く 心を浄化する三つの技法 (光文社新書)」の「どうしてポジティブ思考は上手くいかないのか?」で詳しく説明されていること。

 

 

究極は、「自我」を忘れた時が最強なんだけども。

 それはこの本で言えば「なぜ最も重要な第五元素について、どの占星術師も語らないのか?」という問いのこたえであり「ゼロ・ポイント・フィールドなんだぜ」ってことでもある。

 

 

と、一方で「自我」と「執着」の愛おしさにも感じ入っている今日この頃。

最近、親鸞聖人がよう登場するもんで、彼の思想はどんな描かれ方をしているんだろうと紹介された戯曲を読んでます。戯曲って意外に面白いね。なんか大げさな舞台を観劇してる気分(笑)

 

表紙はむさい感じだけど、中身は手塚治虫っぽい絵でおもしろかった!

 

親鸞聖人ってのは、浄土真宗のお坊さんですな。

浄土真宗と言えば悪人正機説。概要だけ見ると結構衝撃で、正直、社会の教科書で見た時の印象は「なんじゃそりゃ。開き直りかい」だったんだけど・・・

 

それは字面だけ捉えているからかもしれない。

 

 寂しいときは、寂しがるがいい。運命が、お前を育てているのだよ。願いと定めとを、内面的につなぐものは、祈りだよ

出家とその弟子

 

こういう、言語化すれば誤解されるしかない大きなイメージを、「託す」勇気ってすごいと思う。自分が文字通り命を懸けて練ってきたネタなのに。。。

 

 

知識が増えても、心の眼は明るくならぬでな

出家とその弟子

 

システム化、構造化、神聖なものに対する上下関係、そういうものへの反発も感じる。はっきりとそう書いてあるわけじゃないけど。俗か聖か、その分別を超えたところに「本質」がある、そんなイメージ。

 

ですので親鸞聖人は肉も喰えば妻子もおるっちゅう!!(笑)

 

異端ですな。(笑)

異端と言えば、『チ。』もそうだけどアンチ・C教の哲学者ニーチェ

 

怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。


深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

 

私は「異端」が好きなんだなぁ!!(笑)

占星術的な表現で言えば、Asc(射手座)×太陽(射手座)×天王星山羊座)合でそのまんま。体癖で言えば8種の「強いものに反抗して弱い者に目をかける」クセか(笑)

 

業も罪も、業と罪のまま受け入れる。それって「全肯定!癒しの呼吸・星の型!」じゃないか。

ただ、「だから許される」という表現は本当に危なっかしいと思う。「ありのままのあなたでいいの」から生まれる悲劇は、ここ最近の変なカウンセラーブームで増えてるんじゃなかろうかと邪推もする。

 

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罪深いワタシ。親鸞聖人のストーリーは間違いなくパイン案件。表面だけ見たら西洋の一神教に似てなくもない??「罪」の捉え方が、最終的にどう結論付けられるのか・・・読み進めていこうと思う。

 

 

あとね、そう、「(ホロスコープが)(前世が)(母親が)これこれこうだから、ワタシはこうなのネ」というロジックが私は好かんのです。

 

それを結論付けているアナタが中心にあって、宇宙はスタートしておるのです。だから、逆

 

過去があって、今があるから、未来はコウ。

この「一直線でしか物事を捉えられない思考」が「敵」を永遠に生み出すんだな、って思う。

 

惑う星、惑星。

 

水星逆行?混乱?それ、星じゃなくてアナタよ。

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影響がアル!!ナイ!!の二元論じゃないわけ。白か黒か、正義(善)か悪か、聖か俗かって、次元から抜けださないと、次のステップには進めないぜ、ってこと。