なんとか!!noteの更新、新月には間に合ったわい(;´∀`)
「わからなさ」を受け入れる度量を育む射手座のトキ【1ミリ先の宇宙】
射手座シーズン!私が1年でいちばん好きなトキ!
クリスマスを待つあのひんやりキラキラした雰囲気が、好き。クリスチャンじゃないけど、やっぱりわくわくしちゃうね。
昔大学の食堂に流れてたラジオでよく聞いたキャッチコピー、
「苦労するのが辛いんじゃない。夢が無いから辛いんだ」
みたいなこと。ああ、これも射手座的だなぁ。
「自由」で思い出した、日食なつこさんのこの曲!!
自由は「楽しい(おもしろい)」けど、「楽ちん」ではない。
失敗も、納得いかないことも、自分ごととして受け入れる度量が求められるから。わからないこと、わかってもらえないこと、それも受け入れた先に成長がある、そう信じる「楽観性」。
自分以外に託すこと。
他人の手に渡ると、思ったような方向には行かないことがほとんど。誤解されたり、反論されたり、間違いを指摘して訂正されることもある。予想外の「ねじれ」が起こる。
でも・・・
その予想外の「ねじれ」も肯定する姿勢が学術や研究には必要なんじゃないか。
この「ねじれ」を受け入れて託すことが、現状を前に向かわせる「希望」になる。例え「永久に未完成の海を漂い続ける悲劇」になろうとも、間違いを永久の正解だと信じ込むよりマシでは?
『第三者による反論が許されないなら、それは ――信仰だ』
信仰と、知識(学術)の探求の軋轢。占星学が「異端」とされ、関心を持つだけでエグい拷問で殺される時代でさ、それでも命がけで研究を続ける主人公たちだからこそ、このセリフは重い。
そんでもって決して「信仰」を軽視したり馬鹿にしてるワケじゃない。むしろ「信仰」とはなんなのか、異端である彼らが教えてくれているような皮肉。
射手座の世界観にどっぷり浸かれる天文漫画『チ。』!最終巻に出てきた彼が空に見出したのは「射手座」。そして探求者ケイローンのハナシ。
「賢者とは、探求者だ」
最終巻でおもしろかったのは、「追え、探求せよ」と言う師のコトバと、「疑え、善を見失うな」という父のコトバで揺れ動く少年。
まさに「木星的テーマ」ではないですか。
果てなき探求心と、個人レベルの欲望を超えた「社会的善」という大きな視点。どっちかを選ぶんじゃない。その両方に折り合いをつける大きな軌道を創り出さないといけないんだ。
自分をどんどん広げていく。自分に含まれる軌道を広げていく。
中心を決めてそこから成長していくってのじゃなくて、層を重ねながら(それこそ太陽系の星々の軌道をなぞるように)自分の範囲を大きくしていって、結果的に内側にできる空間が中心になる、みたいな。
自分を中心に据える、ってのは、スケールが小さいとただの幼稚なワガママになっちゃう。でもね、「自己ちゅー」って、自分を中心にしてるからメーワクなんじゃなくて、「自分の範囲」が小さいから問題なんだ。
…これは内田樹せんせの受け売りなんだけど(^^ゞ
自分を含めた空間スケール・時間スケールまで「自分」を拡大できるんであれば、自分の一部である周囲の環境や他者を害することを気にせずふるまうなんてこたないだろうし、未来の自分が苦しむようなこともしないだろう、って。
自分が自分を中心に据える。ただし自分という存在スケールを大きく捉える目をもっているかどうか?そこがダイジ。
さあ、自由の風がどんどん吹くよ!
致死量の自由だとしても、おそらくワレワレはそれを呑む。
毒でしか癒せない傷があるから。
そして、その先に「善き未来」があるから。
「善き未来」は、もう始まっている。
射手座のトキ&新月のリーディングを終えて、ああそういうことか、と編集後記。
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