咫(あた):人差し指と中指の間の角度(45度)
八咫鏡:咫が8つ分。三種の神器の一つ。年代不詳。『古事記』では、八尺鏡(やたかがみ)と記されている。八咫鏡は神宮にある御神体と、その御神体を象って作ったという皇居にある形代の2つがある。一般公開はされていない。
咫ってのはセミスクエアだな。そういえば昨日、息子が八角形のゴムで出来た、用途不明の謎のおもちゃを持ち歩いていた。
「八」ってのはめっちゃ多いでってイメージを表す数字でもある。末広がり。八百万(やおよろず)の神。ヤタガラスのヤタは「大きい」とか偉大なスケールを表してるのかも。
錬金術と言えば、ヘルメス。水星!
こないだ見た藤村シシンせんせのYoutube爆笑だった。
3時間があっという間(笑)
太陽系の外からやってきた謎の星。特異な形状と運動から「あれ、うちゅーじんの船じゃね?!」って専門家までワイワイさせた。どこから来て、どこに行くの!!オウムアムア!!
惺惺著(せいせいじゃく):惺=心に星で静寂な心、著はハッキリとした意識。
禅語。目ぇ覚まして、自分をしっかりと持っておるか?という問いかけ。静かに、流されず。
人籟・地籟・天籟:籟は風に反応して奏でられる音
「汝人籟を聞くも未だ地籟を聞かず。汝地籟を聞くも未だ天籟を聞かず」
人の奏でる音色を聞いたと言っても、大地の奏でる音色は聴いていない。大地の奏でる音色を聞いたとしても、天の奏でる音色は聴いていないだろう。
笛ってのは、穴に風を通すことで音を生み出す。
人籟は人と人の間(穴)に生まれる音色。地籟は大地や自然の中で生まれる音色。じゃあ、天籟はなんだろうね。これを聞くには「穴」が必要。穴があるから、音としてキャッチできるようになる。
「易」の思想は、天道×地道×人道がぴったり重なるトキを「時中」という。時流に乗るんじゃなく、時に中(あた)れ、って考え方。
時を見定めよ。流れを追うのでも乗るのでもなく、「中(あた)る」のだ。時流ではなく、時中。一瞬一瞬の「今」を見極めて、その「今」にふさわしい自分でいること。
頭は農地であり、自然。アイディアは作物。
耕したり世話をするけど、育てるのは大地であって自分じゃない。効率よく生産できる「工場」じゃないんだから。その大地となるのが、ノート。
頭のいい人とか仕事のできる人、じゃなく、「おもしろい人(人生)」になるためのノート術ってのがおもしろかった。
学びは模倣から。学ぶのが下手な人は早い段階で「批判」する。
まずは信者になって、全肯定で吸収すること!(笑)完コピできるくらいに学んで(真似んで)みて、それでもなおなり切れない部分、はみ出すのが「個性」なんだから。
あなたは、多くの知識を持ってはいるが、心は貧しい。
そして、心が貧しいほど、知識への欲求は大きくなる。
あなたは世界であり、世界はあなたである。
あなたが癒されるとき、世界も、癒される。
自分の心に秩序を得たとき、世界も秩序を回復する。わかっちゃいるけど乱れてるときこそそれがムズカシイんだよな(;^_^A
そういうときに、「他力本願」の教えはスゴイ!!!って思う。本質をついてる。自分でどうこうできると思うから、アカンねんな。自己啓発系のテクニックを全否定しちゃうけど(笑)
一神教は危うさがあるけど、他力本願の精神状態(宇宙)を知るには手っ取り早い「梯子」なのかもしれない。
ubuntu(ウブントゥ):アフリカのバンツー族の言葉。相手が会って自分がある、という意味。他者への思いやり、と訳される。
日本語だったら「おかげさま」のほうが近いじゃないかな。
ひとまずここまで!!
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