ぼちぼち帰国の気配を感じ始めた今日この頃・・・
1年後、私は地球のどこにいるのやら。
一週間、お疲れ様ワタシ。
ようがんばったよ。
春休みは、あともう一週間。
さてさて、星の記号を眺めて癒やされようじゃないか。
世界を分かち合ってみようというココロミ
新月にキロンのトリプルぱんち👊✨
シンガポールだと3ハウス強調だね。
慈悲、コンパッションから生まれる関係性、新しい繋がり方。他者の苦しみも自分ごととして分かろうとする、っていうのかな。
他人の気持ちや状況を勝手に引き受けるってんじゃなく。
他者にしろ外部に広がる環境なり何なりの世界ってやつもまた、ワタシの世界の一部なわけで。別々の紙の上に描かれた別々の絵じゃなくて、同じ1枚の絵の中に並んで登場しているってだけだから。
それに気付いたうえでの「共感」なんだな。
表層面はしっかりと線引する。感情とか責任とか。
毒蛇がにょろついてて、それを退治するのは行動レベルでは「否定、拒絶」だけど、それは毒蛇の存在にNOと言っているわけじゃなくて、その状況にNOを表現しているだけ。
毒蛇は存在すべきではない!してはいけない!ってのはお門違い。
全てにYES、存在を肯定する(ジャッジせずに受け入れる、って言い方がポピュラー?)ってのは、行動レベルではなくてもっと深いレベルのハナシ。
この毒蛇のくだりは、『神話の力』でジョーゼフ・キャンベルせんせが書いてたこと。ちょうど昨夜読み終わったよ!!やぁ、おもしろかった。
「慈悲」、他者の痛みに寄り添うこと。これが宗教(人間の精神的な連携)の根幹にあるんだってハナシもあって。ハートで繋がる、心を開く、ってそういう意味だったのか。
世界各地にある伝説や神話の処女降臨、目覚めのストーリーは「心で繋がる意識」をスタートするメタファーだって言われてお膝をぱちん。ははぁ、なるほど。
生まれ変わり、死と蘇生のメタファー。
ただ動物的に、本能的に世界と関わっていた段階から・・・
意識的に、「よう兄弟Bro」って姿勢で関わる段階に。
神経細胞が、大腸→脳→心臓と進化していったように、進化の次の段階に「心」がある。
脳の情報処理機能を「左脳」というなら、いわゆる「右脳」的な領域。
でも脳の扱いをマスターして、無意識の領域までも意識下に取り込もうとするんでなくて…
右でも左でもなく、中心(心)に自分の中心を戻すってこと。
右と左に分けた脳みその、真ん中って意味じゃないよ!そこはまだ脳みその次元から変わってない。
円⭕の中心、見えざる点。
別の位置取りに、生まれ変わらないと。
確かに、左脳は意識側、右脳は無意識側の情報処理をしてるけど・・・
その情報源(中心点)は、脳にあるわけじゃない。
中心に生まれ変わるためには、一度しなないといけない。
この新月図だとアセンダントに迫りくる冥王星。その先に見えるパートオブフォーチュン、幸運の印。
破壊の神はいままさに来ようとしているときは恐怖を、到達したときにはこの上ない恵をもたらす。
…だったっけ?
まさにそれ!って思った一文。
そのアセンダントのルーラー天王星は新大陸、新世界目指す霊性のシンボルでもって4ハウスを維新しようとしている。
共にある木星は変化への肯定だ!
そうそう、コンパッション。他者の痛みを感じる力。
悲しむ力。悲しみ苦しみも含めて生きていることを慈しむ力。
これが人間性、精神のスタートだったんじゃないかってキャンベルせんせは言う。生きることは他者のいのちを奪うこと。動物を食べて、自分たちもまた食べられる。
「食われるものにとっては、かなしみ。
食うものにとっては、よろこび。
生きるもののさだめは
きびしいものだねぇ」
ライチョウはまた立ちどまって、
「食われないように身をまもるのも、生きるもののつとめだよ」
といって、するどい目つきになって空を見まわした。
「生きるもののつとめ?」
「そう、じぶんのいのちをじぶんでまもって、しっかりと生きることが、生きるもののつとめさ」
イチくんが春休みに読んでたトガリ山の冒険シリーズもついに最終巻・・・!!
ホロスコープ見ながらふと開いたら、このページのコトバで「おおお!」と感動。ついさっきまで読んでたキャンベルせんせのコトバにもリンク。
最終巻、星の描写が、宇宙の描写がすごくきれい・・・私も読もうかなって、今この記事書きながら開いたら、章題「ワシにつかまったワシ」のページ(笑)
↓ワシやん
よろこびとかなしみ。
金星から、太陽の自覚だな。精神の成熟。
罪悪感、と表現されていたけど
それは「善悪」というモラルの上で悪を感じたってことじゃなくて、その事実を事実として受け止めたっていうのかな。
あぁ、われわれはいのちのためにいのちを奪う!(そしていのちのおかげでいのちを得る)と気付いた、自覚した。そうして信仰が、宗教の種が生まれた。
受け取っていた、と気付くこと。
受動的な子どものまなざしから、社会に自分の顔を向けるオトナへ。
受け取っていると自覚すること。
自然からの賜り物も、そう。
コドモはそれを当然のものとみなすけど、オトナはそれを「自分ごと」として受け取る。受け取った、と思うから、次にパス回しをせねばならぬ、と責任が生まれる。
さて、いのちの連鎖に自覚的になると・・・
見えている現実、生きている世界とは別に見えない世界の存在を感じるようになる。
いのちを支える死、死から生まれる生命、それを動かすエネルギーはなんなんだ?向こう側には何があるんだ?あちらとこちらはどうつながっているんだ?
目に見えぬ約束
水星は『二重の約束』。あちら側とこちら側で重なるもの。
逆行する水星はうしろを振り返る。
水星は逆行する、惑う星。
でも実際、惑うのはワレワレ見ている側の問題。
見せかけの前進、後退だってこと。
アップダウンだって、見せかけ、表面的なことにすぎないのに。
運命の輪は、上っては下る。
人はそれに抗えない。
・・・車輪にしがみついている限り!!
トキは流れる。
それは見せかけだってこと。
水星が進むのも、戻るのも、見せかけの動きだってこと。
通信エラーがぁ〜とか、交通のトラブルがぁ〜ってのは
エンタメ(雑談のネタ)としてはいいけども。
それを行動の理由にしたり、選択の基準にしたり、問題視したり恐れたりするのは、ナンセンスだ。
車輪の軸を見てご覧よ。
コマの中心は、動かない。
円の中心に自分がいるはずなのに、いつのまにか車輪にしがみついてアガッタリ、サガッタリ。
上がったり下がったりはごくごく自然なこと。
そりゃあね。車輪はまわっているからね。
こっち側から見れば上がっていて、あっち側から見ればさがってゆく。
見る場所によって違うってだけ。
車輪にしがみついているうちは、それは「逆行」なのだ。
それにしても、水星のシンボル『二重の約束』さ。
「目に見えぬ約束」は、言語化(説明)することができない。
してもらうことができない。
人によっちゃそれをタマシイの抱く使命だとか天命だとかカッコイイ表現をする。でもそれは、生きているうちに分からなくて(言語化できなくて)もいいんだと思う。
なるようになる、といいますか。
因果の糸がもつれて、自由意志で動いているようで実は、結局運命に導かれて、いらべきところに帰着していく。
自由に生きたほうが、そういう大きな力に取り込まれていく。自分を方向づけている縁がくっきり見えてくる。
人は自由であるときに、宿命を見出す
自由に生きれば生きるほど、運命は紡がれる
ほつれ、ほつれて、宇宙の意図と因果の糸が結びつく。
惑星に惑わされる段階から脱した先人
キャンベルせんせは、中心点からのまなざしを「理性」と言う。この理性が人間のなかで目覚める転機が訪れたのが紀元前5000年頃、孔子と老子、ブッダとピュタゴラスの時代。
「動物的なパワーによる支配や教育、草木の生えた大地との類推や、惑星の運行によって導かれる」レベルから、理性によって導かれるレベルにステージアップした。
・・・てことはね、「惑星の運行によって導かれる」レベルは理性一歩手前ってわけだ。
BC5000年頃に転機が訪れたってのは、全人類に先駆けてその視点を得た人がいた(その存在が認められる土壌ができた)ってこと。
全人類がその意識に到達したってわけじゃなくてね、当然。
だって、最近になってやっと「惑星の運行によって導かれる」流れが流行ってきた段階だからねぇ!!占星術がワタシたち一般ぴーぽーに浸透してきて、受け入れられて。
新しい世界の殻を割った彗星のごとき先人たちの思想に、びゅーんと引きあげられた大多数の人類は、彗星の尻尾。まだまだ、先は長いぜ。
いや、出口はもうすぐそこか?
目指すは、その先!
手始めに、水星逆行について、小石を投げてみたくなったってだけさ。
さてさて、今朝はベビより先にベッドを抜け出せたから一本書けたぜ!!!
まとまりのないまま、勢いで。
プロジェクトメンバーには、このネタもちゃんと精製してもっと盛り込んだネタをニュースレターを配信するぞ。
よく見たら船長キャップ、ドクロマークだな!
死をもたらす海賊だな!笑
生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え
そうそう、タイトル回収。
うははw