弱くなくても、大切にされていいんです。
病気っていうビビッドな状態でなくとも、「助けが必要そうな状態」だったり、肉体的あるいは精神的に「弱ってる存在」であること。悩んでいて、苦しんでいる状態。
それが大切にされる条件として必要、って思い込みがあるんじゃないかな。
大切にされるってのは、真剣に向き合ってもらえる、つながりを得られるってこと。
「つながり」はニンゲンの(タマシイの)根源的な、究極の、キョーレツな、欲求だから。いのちが求める体験だから。
その「つながり」の条件を、アップデートしたほうがいい。
役に立たなくていい。ハイスペック能力を証明できなくてもいい。自分の好きなものが相手の好きなもの(ポジティブなフィードバックを得られるもの)でなくてもいい。
弱くてもいい、ってことはさんざん言われているけども
弱くなくても良い、ってことも付け加えておきたい。
↑全然関係ないイメージだけど、これなんか好き。
コラージュ作品、好き♡
ボイジャータロットのデザイン、コラージュきれいだよねぇ!!
バラバラでなんのまとまりもないものが、ひとつの作品をつくってる、ってのが好きなのかも。バラバラをバラバラのまま、カオスが完ぺきな統一感を感じさせるひとつの作品。
ブリコラージュ、ってことばを鷲田せんせが使ってたのを思い出した。
「寄せ集め」「手持ちの資源を活かす」「繕い」って意味。
人生はブリコラージュ💫
ものがたりで例えるならば、それは短編集💫
人生は長編小説そのものではなく、短編集。
好みに合うものもあれば、合わないものもある。
傑作も、お粗末なストーリーも。
↓鷲田せんせの思想に触れて(感動して)いる過去記事たち
「自分を満たす」方法は自分しか知らない(自分が知ってる)
いろんな具体例が挙げられているし、探し方もたくさんレクチャーがある。私もそんなアドバイスを見聞きしながら(しょっちゅうキャパオーバーで器のちっちゃいオカンになっちゃうもんでね)アレコレやってみるんだけど・・・
うまいもん食べる。カフェタイム。
アロマ、フラワーエッセンス。
読書。図書館ぶらぶら。
ノートをとる。書き出してみる。
それをしていれば、それについてしか考えない行為ってのがダイジなんだね。今っていう宇宙座標(トキと場所、X=0, Y=0、ゼロポイントフィールド)にフォーカスできること。
※ゼロポイントフィールド仮説といえば田坂せんせ
あのね、生きている限り、「時間」はX=0,Y=0にしかないんだよ。つまり存在しない。物理学的にも、心理学的にも。
逆に言えば、この座標の中心点X=0,Y=0に時間はある。
いや、ないんだけど、ここにある。
宇宙の中心にある時間(つまり、私が生きているという事実)を生きるために、必要なのは、行動するってこと。脳内だけでなく。
ホロスコープに「自分を満たす」ヒントを探すのもいいけど、私の場合はどうしても、脳内散策に夢中になって、「その瞬間だけの満足」になっちゃうことが多かったもんだから。
だから繰り返してしまう。満たされたような気になってるだけで、そこは幻想の中心点だったからすぐ見失ってしまう。
きっかけとしてはGOODなんだけど。
脳内散策なら、エネルギー少なくても実行しやすいから。
そこで幻想でもなんでもエネルギーちょいっと周りだしたら、時間軸に戻ってきてこの身体にエネルギー注入段階に入る。あとは自家発電できる。
ほんでもって、自家発電では到達できない電力を、他者と共創する。
それは自分の電力をつくってもらうわけじゃなく、相手に電力を供給するのでもなく、バチバチ!っとスパークしたときに生まれる新しいエネルギー。
ほいで、私はブログを書くことで癒やされてる。
エネルギー、ほじゅう〜